諦めろといわれて諦められるなら
昨日の夜。
アタシが家に帰ると、母親から居間に呼び出された。
そこに呼び出されるときは決まって真面目な話をするときだ。
そしてそういう場合、たいていアタシにとってろくでもないことしかいわれない。
だから最悪の予想もしていたけれど、その一言はアタシに想像以上の衝撃をもたらした。
「あの家の息子と付き合うのはもうやめなさい」
そんなの嫌だと、そう言えばいいだけの話だった。
なんでもアンタの言いなりになると思ったら大間違い。
アタシにだって嫌なことくらいあるんだから。
なのに。
もう会えなくなる。
そう考えただけで目の前が真っ暗になった。
今までの思い出がいくつも頭の中にあふれてくる。
いいことばかりじゃない。
笑いあうこともあったし、ケンカして三日くらい口を聞かないこともあった。
それでも最後には仲直りして、また一緒に遊ぶようになった。
気がつくとアタシの目からぽろぽろと大粒の涙があふれて止まらなくなった。
どうしてだろう。
なんて、理由は分かり切っている。
アタシは、こんなにも、コウのことが好きだったんだ。
親に反対されたからって、黙ってこっそり会えばいい。
理屈ではそうかもしれないけど、アタシの心が泣いていた。
もう会うなと否定されることが悲しかった。
「わかりましたね」
「わかるわけないでしょ!」
気がつくとイスを蹴って立ち上がっていた。
「どうしてそんなことを勝手に決められないといけないの!? アタシはコウが好きなの! ダメだといわれて諦められるなら、そんなの恋じゃない!」
「あなたは長澤家の長女なのですよ。友人は選ばなければなりません。金儲けしか考えていない企業の息子など言語道断。もう少し自覚を持って……」
「だったらコウと結婚する。向こうの家から婿に来てもらうの。それだったらいいでしょ!」
コイツの考えてることなんてだいたいわかる。
旧家の生まれがどうとか、長澤家の長女がどうたらとか、口にするのはいつも家のことばかり。
コウと付き合うことを反対する理由なんて知りたくもないけど、どうせその辺りのくだらない理由なんだろう。
だから交換条件として「家」のことを持ち出した。
アタシの母親とコウの父親は、昔から嫌悪といってもいいくらいに嫌い合っていた。
その大嫌いな家の長男がうちへ婿養子にやってくる。
それは「家」を何よりも重視している女にとっては魅力的な提案に思えるはずだ。
アタシはこの女が大嫌いだけど、父親のいないアタシたちを女手ひとつで育ててくれたという恩はある。
家を出るというこの女にとって最も辛い選択肢だけはさすがに出来なかった。
だから、これがアタシに出来る最大限の譲歩だ。
狙い通り、母親は鋭い視線をアタシへと向けてきた。
コイツが人の目をじっと見つめているときは、なにかを考えているときだ。
熟考しているあいだは無防備になる。だからその隙を突かれないよう相手を威圧するのだと幼い頃に教わった。
つくづく冷たい女だと思う。
アタシはこうはならない。
物事をすべて理屈で片づけるなんて間違っている。
だからアタシはにらみ返してやった。
冷徹に計算する瞳を、怒りに燃えたぎった瞳で。
それはたぶん数秒だったと思う。やがて視線が和らいだ。
「先ほどの言葉、本当ですね」
「もちろんよ」
「わかりました。向こうの長男がうちへ婿養子としてくるというのなら、あなたたちの婚約を認めましょう。ただしそれ以外は認めません。これは『約束』です。いいですね」
『約束』──。
この家でその言葉は重い意味を持つ。
約束を守る人間になれ。
それが家訓のうちにとって、『約束』とは決して破ってはならない鉄の掟だ。
そのことをじっくりと考えさせるために、あえて時間をおいてから答えた。
アタシのためにじゃない。
目の前の女のためにだ。
「いいわよ。わかったわ」
「よろしい。ではこの話は終わりです」
約束した以上、破ることは許されない。
たとえそれが親子の間であっても。
どんな理由でコウに会うなというのか知らないし、知りたくもない。
コイツの頭は氷で出来ているんだ。
血の通った人間に理解できるはずがない。
興奮したまま部屋に戻り、勢いに任せてスマホを操作する。
熱くなった頭のせいで他のことはなにも考えられなかったけど、時間が経つにつれて冷静になりはじめた。
画面には送る直前のメッセージが表示されている。
『好きです。結婚してください』
「………………こんなの言えるわけないじゃない……」
ため息と共にベッドの上に倒れ込んだ。
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