マネキン

 一瞬だけだったが光の中に家屋の一部が見えたように思う。てっきり民家のない村外れに来てしまったかと思っていたのだが、そういえば赤鬼と出会った集落から離れた場所にも家が建っていた。


 胸に押しつけているスマホを下へと這わせていき、腰の辺りで離してライトを地面へと向け、それでもまだ広範囲が照らされているような気がしてその場へしゃがみ込む。


 周りに警戒しながらスマホの角度を少しずつ上げ、地面を照らす光の輪を広げていくと、右端に黒っぽいかたまりが見え、刹那、熊でも出たのかと思った私は息を飲んで身体を強張こわばらせた。


 目を凝らしてみると黒い塊は炭化した焚き火の薪で、その周辺の地面には大量の灰が散らばっているのが見えた。薪はまだ井型に組まれた形を残しており、ここを吹き抜けた風がすすの匂いを運んできたのだと思われる。


 家屋はどこだとやや下へ向けた角度を保ちつつスマホを動かしてみたのだが、どうやら見間違いだったらしく、光の届く範囲には薪の燃えかすがあるだけで、あとは灰にまみれた未舗装の地面しか見当たらない。他の焚き火があった場所と同じように、おそらくここもちょっとした空き地にでもなっているのだろう。


 周囲に誰もいないと判断し、スマホを縦にして正面へ向けてみたものの、光は何も照らし出すことなく途中で闇に飲まれてしまった。光を左右へ振ってみても同じで、見えるのは地面と暗闇しかない。


 ならば南へ下る道を探そうと立ち上がった私は、ライトとともに背後を振り返って来た道を確認してから、とりあえずの目標物として薪の燃え滓に光を固定したままそれへと近づいていった。


 そういえば、焚き火で焼かれていた肉は祭りの参加者にでも振る舞われたのだろうか。夕食にあんな精進しょうじん料理のような、質素で味気のないものを出されるとわかっていたのなら、疲れを押してでも祭りを見に行っておこぼれを頂戴しておけばよかった。


 燃え滓のそばに立った私は、組まれた木炭のあいだから冗談のように突き出た人間のものとおぼしき黒く変色した両足を目にし、自分が見ているものの答えを村人たちから聞いた多くの言葉が次々と去来する頭の中に探してみた。


 まず、冷静に考えてこれは何なのだ。形状から咄嗟に人間の足だと思ってしまったが、大きさからするとマネキンや彫刻などの作り物ということもありうる。炭化しているせいで生っぽい部分がなく、人形の一部であっても何ら不思議はない。


 薪を上から照らしながら組まれた中央の部分を覗き込んでみると、積もった灰の中に白っぽい棒状のものがいくつも散らばっているのが見えた。


 骨と言われればそう見えなくもないが、人間のものにしては小さいように思う。どちらにせよ、作り物めいているせいで恐ろしさは微塵みじんも感じられない。


 仮にこれが本物の遺体だとして、この状況はどう説明をつければよいのだ。まさか、赤鬼が言っていたのは冗談ではなく、大声で騒いだ人間を本当に焚き火の中へ放り込んだとでもいうのだろうか。


 爪先を空へ向けている真っ黒い足を見つめていた私は、それが薪に火が点いたあとで突発的に起きた事故ではないことに気がついた。


 これは明らかに計画的に行われたものである。


 事故などでたまたま運悪く焚き火に突っ込んでしまったのだとしたら、組まれた薪のあいだから足が突き出ているのはおかしい。


 そうなると考えられるのは、村ぐるみで殺人を隠蔽していたりするのでなければ、祭りと称した集団火葬というのがもっとも現実的な線ではないだろうか。それなら赤鬼が私に知る必要はないと言ったのもうなずける。しかしながら、荼毘だびに付したあとに遺骨をその場に放置するというのはせない。


 私はそこで、もっと簡単に本物の遺体かどうかを判別する方法があるではないかと、足が突き出ている薪の面のちょうど反対側へまわって頭部の有無を確認することにした。さすがに顔を見れば作り物かどうかわかるだろう。


 おそらく焚き火も祭りの一部で、これは傀儡宮にちなんだ人形供養のようなものに違いない。生身の人間であるはずがないではないか。


 燃え滓の左側からまわり込もうとしていた私は、近くで衣擦れのような音を聴いた気がして足を止め、慌ててスマホの背面を身体に押しつけて急いでライトを消した。


 薪から出ている足に気を取られていたとはいえ、さすがに何者かが近づいてくれば気配でわかると思っていたのだが甘かったようだ。ライトが動く様子を相手はどこかで見ていたのだろう。


 耳を澄ませていると今度は地面と靴が擦れるような音が一歩二歩と聴こえ、今にも暗闇から何者かが飛びかかってくるのではないかと怖くなり、私は背負っているデイパックを静かに身体の前面にまわすと、スマホを左手に持ち替えて中にあるビール瓶に右手をかけた。


 私がみたま屋を抜け出したことがバレて村人が追ってきたのかもしれない。それとも飢えた野生動物が闇に紛れて忍び寄ってきたのだろうか。後者であれば全力でビール瓶を振りまわしても何ら問題はないが、もし前者であった場合には当たりどころが悪いと大変なことになってしまう。


 虫の音は変わらず騒がしいものの、誰かが動いているような音はもう聴こえてこない。自分の立てた音だったとでもいうのか。そこまで神経をとがらせているつもりはないのだが。


 いくら待ってもそれ以上の物音は聴こえてはこず、おおかた木々のあいだを渡った風が枝葉を揺らしでもしたのだろうと思った私は、デイパックを背負いなおして薪の確認をしようと再びスマホのライトを点灯させた。


 輪郭のおぼろげな楕円形の光が前方の地面に現れ、その輪の中で数匹の大きな蜘蛛がもぞもぞとうごめいているのを目にし、こいつらがバケモノと呼ばれる毒蜘蛛かと思い、私はライトを動かして自分の足元を照らしてみた。


 幸いにも足元に蜘蛛の姿はなく、それでもやはりライトの使用は控えたほうがいいかもしれないと、スマホを薪のある右手側へ振ったところで私は目を見開き、反射的にきびすを返すなり何も見えない暗闇へと向かって走り出した。


 薪のそばに立っていた、あの黒い脚は何だ。


 焦げた木材を脚と見間違えたのか。最初に照らしたときにそんなものはなかった。あれはどこから来た何者なのだ。足音のようなものは二歩ぶんだけしか聴いていない。もともと薪の近くにいたのだろうか。


 考えの整理がつかないままもつれる脚を必死に動かして闇雲に走っていた私は、何かが右手の甲をかすめたのを感じてそちらへ気を取られ、身体が傾いたと思った次の瞬間には左肩から思いっきり地面へと激突していた。

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