Ⅷ
車を降りて、下の方を覗いてみる。さっきトラックに突っ込まれた時にやっちゃってはいないだろうか。車体の下のほうに少し擦ったような痕がある。シャフトのような重要な部品がダメージを受けていないといいけれど。僕は運転席へと戻って車のエンジンをかける。取り敢えずエンジンは動いた。これで一応車自体は動くので一安心。
「ねぇシャル君、どうやって沼から出るの?」
間延びした、それはそれはとてもイライラするような声で僕に話しかけてきたのは先輩である。まぁ、僕にこんな態度で接するような人間は世界広しといえど我が妹とリュシーと先輩くらいだろう。
「どうするって言われましても……無理やりこの沼から車を出すしかないでしょう」
僕にはそのようにしか言えない。沼にはまった時の対処法なんて僕は知らないからだ。
「その、アルノース少尉、もし必要ならば私が車から降りましょうか? きっと車を軽くしたほうが沼から抜けやすいのでしょう?」
唯一ポレール王女だけが僕のことを心配してくださる。
実際、車がトラックに襲われた際もポレール王女は冷静で、全く取り乱すことなく、ましてや悲鳴なんて上げなかった。むしろメイドのアリアンヌの方が悲鳴を上げていた。また、車が止まってすぐに後ろを振り返ってみると、あろうことかアリアンヌがポレール王女に抱きついてしまっていて、ポレール王女はアリアンヌを慈母のような表情で受け止めていた。
「いや、そんなに変わらないと思います。下手に車から降りられてお召し物が汚れでもしたら私には弁償できるほどの稼ぎもありませんし」
「ふふふ、別にあなたに服が汚れたくらいで弁償してもらうかなんて毛頭ありませんけどね。貴方はよくやってくれていますよ?」
そうポレール王女が僕に笑いかけてくれた。
そのポレール王女の表情がまさしく彼女の人徳を示していて、思わず一目惚れしてしまいそうな感じがした。一方で先輩は先輩でつまらなさそうな顔をしている。そんな先輩にポレール王女が何やら耳打ちをする。
「そ! そんなこと! 私は別にそんなつもりじゃ……!」
何やら先輩が叫び出すと、さらにポレール王女が耳打ちをする。
すると、先輩が車のドアを開けて、降りてきた。そして助手席に座っていたフィガロ大尉に何やら話しかけて(フィガロ大尉はどうやら車に乗る時は窓を開けるらしい。狙撃のリスクを考えると全く褒められたことではないと思うが)そしてポレール王女の隣に移った。そして、そのまま先輩は運転席へと回り、退けと言わんばかりの表情で僕を運転席から離れさせて、自分は運転席に座った。
「ほら、車押しなさい。私がアクセル踏んであげるから」
え?
「ロリシャル! ボーッとしてない! 私達は逃げてるんだよ!」
え? え? 先輩が自分から動いている??
なんと珍しい。
だが、このまま感傷に浸っていると先輩にいよいよ本気で怒られるので僕は何も言わずに車の後ろに回った。
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その一言はとても衝撃的だった。
「あんまりアルノース少尉に強く当たりすぎるとそのうち嫌われちゃいますよ?」
突然私たちの護衛対象であるポレール王女殿下がそんなことを私の耳元でささやいた。私が驚いて殿下の方を見ると、ポレール王女殿下はまるでいたずらっ子のような笑顔を見せている。彼女の余裕がすごい。下手したらレスプブリカのテロリスト共に捕まって、追放ならばまだ良い方だ。最悪殺されてしまうかもしれないのに。まるでそんなことが起こりえないという絶対的な自信を持っているかのような、そしてもし万が一があったとしてもレスプブリカの連中を適当にあしらってみせると言わんばかりのそんな余裕を見せていた。
一体どんな化け物なのだこのお方は。さっきロリシャルが大ぽかやらかした時も殿下は1人平静を保っていた。私ですら車がスピンして道路を外れた際には恐怖でガタガタ震えていたというのに。
私は『ロミュの魔女』としてかつて戦場での恐怖の象徴となったことがある。因みに私はこの二つ名は好きではない。なぜなら私はそんな大した人間ではないからだ。まぁ、それはそれとして、戦場の最前線にいても私は死の恐怖を感じることは一切なかった。それは私が戦場にてもし死ぬようなことがあったとしたらそれは私の責任であるからである。私が弱いから負けてしぬのであるからだ。だが、今回のはそうではない。死んだとしても自分のせいではない。だから怖かった。震えた。
それなのにこの人は平静を保ち続けていた。殿下の隣に座っているメイドのアリアンヌなんかはもう思い切り悲鳴を上げていたのにだ。そしてアリアンヌはあろうことかポレール王女殿下に抱きついていた。一方のポレール王女殿下はそれを受け入れていた。
だんだん自分の思考が関係ない方向へと進んでいってしまっているのを感じる。頭の中が混乱してしまっている証拠だと私は思っている。
今、きっと私は「あわあわあわあわ」などと間の抜けたような、それこそシャル君なんかには絶対聞かせられないような声を出しているだろう。そんなパニックな私の耳元に、王女殿下はさらに顔を近づけてまたささやいた。
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