目の前に置かれたのは一杯のカフェ・オ・レと見るからにしっとりとしたサンドウィッチ、そして香ばしい香りを漂わせている少しトーストしたクロワッサン。僕も最近カフェ・オ・レが飲めるようになったのだ。少しは褒めて欲しいくらいのものだ。それはそれとして、そのカフェ・オ・レの味を匂いで引き立ててくれるのが少しトーストしたクロワッサンである。本当はデザートくらいに思っていたのだが、この香ばしい香りはきっとサンドウィッチを食べている間にどこかへ消えてしまいそうだったので、僕は先にクロワッサンから手をつけることにした。どうやら先輩も同じことを考えていたらしくクロワッサンを満面の笑みで頬張っている、普通に可愛いから許す。少しクロワッサンをちぎってから口の中に入れる。そして広がるのは柔らかいバターの味。抱擁感。時々感じる少しの苦味。ある種の恋愛の過程であろうか。この何か愛しいものに包まれるような感覚は、想い人を抱かれてるような錯覚を僕に与える。おおかた、少しの苦味はどこまで熱く愛し合っても結局は他人であることであろうか。そんな苦味である。そのまま少しずつちぎって食べ進めていく。バターの味が僕の舌と口の中を遠慮なく浸食してゆく。このバターの優しさに僕は段々と気持ち良ささえ感じてしまう。このままだとクロワッサンを食べ終える頃に絶頂に達するのだろう。

 ふと先輩の方を見ると先輩も恍惚とした表情を隠さない。先輩はクロワッサンに並々ならぬこだわりがある人間だ。まぁ、あざといしいいか。

 僕は半分くらい食べ進めたところで何気なくカフェ・オ・レを取った。きっと更なる苦味を欲しているのであろう。

 カフェ・オ・レを少し口に含むと、勿論砂糖やミルクの味、コクを感じるがやはりコーヒー豆独特の苦味がほとんどを占めている。

 そのようにして少し口直しをしてから再びクロワッサンを食べ始めた。


 クロワッサンを食べ終えてから、次にサンドウィッチに手をつける。しっとりとしたパンにレタスと玉子、そしてベーコンが挟まっている。このきっちりと三角形に切られたサンドウィッチを僕は上から順に食べていく。

 特に深い意味はない、ただのなんとなくの僕の癖である。だが、この場合、まず最初に舌の上に転がってくるのはサンドウィッチの具を挟んでいるパンなわけで、そうするとそのパンが前奏のような役目を果たすのである。だがどう考えてもパンだけではない、そこにはほんのちょっとの具が挟まっている。それはそれでどういうサンドウィッチなのかがわかるので良い。

 しかしこれはただのサンドウィッチではない。最初から具がしっかりと挟まっている。とても良い意味で僕の楽しみを裏切ってくれる。そしてこの、マヨネーズがいいんだな。少し酸味が強めではあるけど、マーガリンとよく合う。

 これも、僕と先輩は夢中で食べ進めていった。



「君達は区憲兵ラ=ブランシュかい?」

 僕たちがサンドウィッチを食べ終えて再びカフェ・オ・レを飲んでいると、僕たちのテーブルの向かいにあるカウンターにマスターが腰をかけながら話しかけてきた。

 あ、そういえば先輩カフェ・オ・レ飲めたんだ。てっきりカフェ・オ・レすら飲めないかと……

 そんなことをふと思ったのをお決まりの読心で感づいた先輩がちょっとだけ僕のことを睨んで、答える。

「ええ、王都クラーナ区の区憲兵ラ=ブランシュですけども」

「ああやっぱり、そんな気がした」

 マスターが柔和な笑みを浮かべた。一体どういうことだろう。

「いやね、僕のね、3年前にガンで死んだ兄貴が昔区憲兵ラ=ブランシュだったんだよ因みに僕の従兄はとても優秀で中央憲兵レカルラートでね、まぁ、なんだ、軍人一族なんだ」

 昔を懐かしむようにマスターが言う。

「マスターは……?」

 先輩が恐る恐る尋ねる。場合によってはこっちが失礼のないようにしなければならない。

「僕かい? んー、僕はそんな大したことなくてね。せいぜい水雷艇の艇長だよ。最終階級は大尉だね。退役して実家のカフェを再興させたんだよ」

 まるで小さい、軍の階級のことなど知らない子供達に自分の身の上を語るかのように穏やかな口調でマスター、いや、大尉は言うがそれめっちゃ大変なことなのだ。特に軍内では。

 僕達はすぐに立ち上がって大尉に敬礼をする。

 大尉は僕達よりも階級が上じゃないか!

「まあまあ、やめてくれよ。僕はもう退役したんだ。もう軍の人間じゃないんだよ」

 大尉は軽く手を振りながら言う。

「いえ、ですが……」

 僕としては遠慮をする必要があるのだ。

「まあまあ、いいから、座りなさい」

 その大尉の柔らかい言葉には、人を絶対的に服従させる麻薬が含まれていた。多分、軍の人にしか効かない。麻酔といった方が正しいかな? うん、麻酔というべきだね。

 僕達は今度は元の椅子に座らなければならないような気がした。

 これが……歴戦の大尉なのか!

「うん、それでね? なんだか、君たちの様子というか君達の身体から醸し出している雰囲気を見てると、僕の兄貴を思い出すのだよ。兄貴もおんなじ雰囲気を出していた。そしていっつも従兄と喧嘩していた。本当なんだね、区憲兵ラ=ブランシュ中央憲兵レカルラートは仲が悪いって、兄も従兄も元々はそんなに仲が悪くなかったんだが、丁度同じ時期に憲兵ジャン=ダルムリーになったものだから、そこの部隊の色にどんどん染まっていくでしょう? それで仲が悪くなったんだよ、ハハハ! 本当傑作だったその時は!」

 大尉……いや、マスターはさも他人事であるかのように笑っているが、中の人としては全く笑えないんだよなぁ。

「そうかそうか、君達はその区憲兵ラ=ブランシュさんだね、当事者さんな訳だ。そら笑えやしないか」

 そう言いながらマスターは未だに笑っている。

「まぁまぁ、君達も任務だろう? あんまり引き止めてもよくないね、まぁ、どんな任務なのかは知らないけど君たちからは憲兵ジャン=ダルムリーの匂いがぷんぷんしてるから気をつけて」

 マスターはそう言いながら立ち上がって、空になった僕達のカップを下げていった。

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