僕はゆっくりと運転席に座る。

 運転席の位置を調節してからキーを差し込んで回す。キーはストレスなく回り、軽やかなエンジン音が鳴り始める。こちらにもなんのストレスも感じられない。

 助手席に恐る恐る乗り込んできたのは先輩。後ろに荷物はしっかりと積んで、鍵もしてある。真冬ではなかなかエンジンは温まってくれない。暖機運転を行っている間に先輩は出来るだけ助手席を後ろに持って行こうと狭い車内でもがいている。

「一応聞きます。先輩は一体何をなさってるのですか?」

「一体シャル君は何を言ってるの? シャル君の運転が怖くて仕方がないからシートを出来るだけ後ろに持っていっているんじゃない」

 先輩は「何を言っているのやら」と言いたげな、若干定番となりつつある表情をしながら答えた。

「じゃあ後ろにも行けばいいんじゃないですか?」

 僕は少し拗ねたような表情をわざと作った。

「は? あんたが変な運転をした時にパッてハンドルを奪えるようにわざわざ助手席に座ってあげるんじゃない」

 僕はクリティカルヒットを受けてしまった。その先輩の忌憚ない物言いは僕から全ての気力を奪うに十分過ぎた。

 僕はこれからただでさえ苦手な運転をするのだ。しかもノール湖の方は結構遠いので長時間運転になる。

 僕はハンドルに突っ伏してしまった。

「先輩、これからノール湖まで車で行こうっていうのに、なんで僕にクリティカルヒットを与えてくれるんですか」

「嫌なら運転上手くなりなさい、そもそもこの私がシャル君に直々に運転を許可してなおかつ助手席に座ってあげようというのにありがたみを感じてないみたいね、ああ、あと、そろそろエンジン暖まったんじゃない? さっさと車出して」

 今日はなんだか先輩の機嫌が悪い。僕はサイドブレーキを外して、クラッチを慎重に入れて、恐る恐る走り出した。



王都の道は昔なからの街並みがのこる旧市街ではとても細く、自動車が入れないこともしばしばある。最近、いや現在でも開発が進んでいる新市街では、来たるモータリゼーションの時代に向けて車道を広く、自動車の利用を前提とした都市計画が行われている。

 僕が配属されたクラーナ区は後者で割と郊外扱いをされることが多いが、長い歴史を持つ郊外である。そもそも自動車が通れる幅を持つ道が少なく、それほどの幅であってもトラムが網の目のように走っているため、実際に自動車が通れる道はかなり限られてしまう。旧市街でも中心の方なら割と自動車は走れるのだが……

 ただ僕にとっての問題はそこにあるのではなく、クラーナ区民はこのような理由で自動車を持てないために、オートバイや自転車を使う人の割合が多く、またオートバイは特に交通マナーが悪いのだ。つまり僕が運転が下手なのは環境のせい!

「私、シャル君より全然うまいのだけど」

 隣から先輩に突っ込まれた。


 ただ、一旦クラーナ区から旧市街の外へ出て仕舞えば、車の運転に困るようなことはなく、オートバイも減る。通りは自動車が整然と列をなして走り、真ん中にはトラムがこれまた一定のペースで走る。

 時々交差点に信号機かあったり、交通整理の警察官がいて車を止めさせられることはあるが、突然ですが飛び出してくるオートバイはおらず、クラッチ操作の回数も少ない。

 僕たちが乗ってる公用車は一応改造されているとは言え基本的にはシビリアンモデルなので街を走っていて目立つこともない。

 車は順調に郊外を突っ切っていって、1時間くらい走ればもうそこは田舎の田園風景が広がっている。田舎ともなると道路の整備は決して進んでいるとは言えず、頻繁に車が行き来するにも関わらずノール湖やブレスティアの方に向かう国道は道が狭い。まぁ確かにブレスティア方面へは鉄道を使う人が多いだろうが。国道から少し離れたところにはブレスティアの方へと向かう線路がずっと伸びていてそこを流線形の機関車が引っ張る特急列車や、貨物列車が僕たちとすれ違ったり、追い越していったりする。冬道だとしかたがなかろう。

 そんな様子を先輩は膝を突きながらアンニュイな表情で眺めている。

「どうしたんですか? そんなアンニュイな表情をして、僕には散々当たり散らしたくせに?」

「私、まだ諦めきれないのよね」

「何がですか?」

「んー? あの機関車」

 正直衝撃だった。あれ、本気だったんだ……てっきり一晩寝れば忘れるレベルのものだと思っていた。それこそ、先輩はあの機関車にぞっこんなようだ。

 ノール湖の方へと走れば走るほど、国道と線路は近づいていって、最終的には並走することになる。天候は快晴。雪は多少積もっているものの車は十分飛ばせるほどしか積もっていない。

 車は順調に飛ばしていく。

 車はあたりの雪を軽く飛ばしながら走ってゆく。列車は自動車の比ではなく雪を飛ばしながら走ってゆく。

 車はいつのまにかブルースト県へと入っていて、あたり一面にうっすら積もった雪には境界線はない。その雪に同化して遠くにうっすらと街並みが見えてきた……ような気がする。まだまだよく見えない。

「ねぇそろそろブルーストじゃない?」

 やはりアンニュイな先輩に言われた。

「どうしてですか?」

「列車が減速してる」

 確かに言われてみれば僕たちが特急列車に追い付かんとしている。

 もうすぐブルーストの街に辿り着く……これを過ぎればノール湖はそう遠くない!

 国道はすぐにブルーストへとたどり着いた。ブルーストの街はそこまで大きい街ではなく、悪い言い方をすればさびれた田舎町である。ブルースト方面への宿場町としての重要性しかない。

 僕たちはブルーストの街で適当にカフェを見つけて車を停め、お店の中に入った。


「いらっしゃいませ。お好きなとこにどうぞ」

 入ったカフェは相当老齢のマスターが1人で経営しているようだ。

 僕たちは適当に空いている席に座る。

「マスター、カフェ・オ・レとクロワッサンとサンドウィッチを2つづつ」

 先輩は座ってすぐに注文した。もはや僕には選択の余地はなかった。

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