ブルースト県に入ると、少しずつ民家が増えてくる。教会の尖塔や、それを取り囲む集落も見えてくる。

 だが小麦畑がメインであるのは変わらず、街に近づいて列車が減速を始めても、見えるのは小麦畑、たまに民家であった。

「ねぇ、小麦畑まだ終わらないの?」

 先輩は退屈そうに聞いてくる。

「ブルースト県は農業県ですしね。ブルーストの街も止まる直前まで見えてきませんよ。

 結構ブルースト県もブルーストの街も小さいですしね。」

 僕は少し笑みを浮かべて返事をする。なんだか、まだマナーとかを叩き込まれる前の幼い頃の先輩ってこうだったのをふと思い出した。飽きっぽくて、すぐに不平不満を漏らしていた。

 昔先輩の屋敷で隠れんぼした時に先輩が鬼で、結局先輩は僕を見つけられず飽きてどこかに行ってしまい、他の子は皆見つかったのだが僕だけは見つけられずに延々と隠れ続けた挙句に夜になっても戻って来ず、家族や使用人総出で僕を探したことがあった。まぁ僕はガレージに止まっていた古びた馬車の中に隠れていたのだけど……

 先輩はその後大目玉を喰らったらしい。


 あれ、最近先輩って幼児退行してる?

 そんな事実に気づく頃には列車はブルーストの街に着いていた。

 ブルーストの街から列車に乗る人は殆ど皆無だった。

 そりゃそうだろう、普通の農民はお昼は畑で過ごすものだ……ろう?

 停車時間はほんの僅かで、列車は直ぐに発車し、景色はまた小麦畑に変わっていった。



「で、シャル君がさっき言ってたノール湖ってどこなのよ」

 先輩はまた退屈そうに聞いてくる。見ようによってはイライラしているようにも見える。

 仕方がないので僕は懐中時計を取り出し時間を確認する。

 ルテティウムを出て1時間15分か……

「あと5分ほどで森に入ると思います。森に入って10分ほどでノール湖です。さらにそこから崖の中に突っ込んでトンネルを抜けるとサラティ山地のオーレル峠がありまして、オーレル峠を越えたらもうブレスティアの街です」

 先輩はポカンとしている。 

「すごい……私が次に聞こうとしていたこと全部答えてくれた」

「良かったじゃないですか」

 聞く手間が省けたのだ。

「なんならサラティ山地とオーレル峠についてもっともーっと語れますけど、どうします?」

 僕は凄い喋りたさそうな表情を作って先輩に聞いてみる。

「いや、今日はいいわ」

「えー? 気にならないんですか?」

 もっと語らせて欲しかった。

「気にはなるけど、また今度の楽しみにとっておきたいじゃん?」

 そうだ先輩は好きなものは最後まで取っておく派だった。関係ないか……

 


 その後数秒もしないうちに先輩が僕を見つめてきた。どうしたのだろう?

「なんですか?」

 僕は聞いてみる。

「会話が続かないのだけど」

 先輩が簡潔に答える。

 なんだそんなことか。語ってはいけないのならば僕には先輩に聞かねばならないことがある。

「なら逆に聞きますけど、先輩ってレオノール少佐と何があったんですか?」

 つい先日知ったばかりのことであるが昨日先輩は口をきいてくれなくて、結局聞きそびれたのだ。あんなに優しいレオノール少佐のことだから、割と気になる話でもある。

 先輩は少し嫌そうな顔をして、「たいした話じゃないわよ」と前置きをして話し始めた。

「国防大学に入って、1回生の時にね、授業をサボってたの。それでさ、1回サボったらもう後戻りなんてできないじゃん? それで延々とサボり続けたらこうなった」



 は?

 まぁ、先輩らしいと言えばそうだけど……

「なんか、期待して損しました」

 思ったことを正直に言ってみた。

「でしょ? だから言わなかったの」

 先輩も少し退屈そうだ。

「別に面白い話でもないし」

「どちらかというと先輩の余計なプライドのせいですよそれ」

「何が余計なのよ。人間プライドの1つや2つないと生きていけないわよ」

 それをプライドのプの字もない人間に言われても……

 先輩は僕に対してマウントを取った気でいるようだった。先輩が平和ならそれでまぁいいかなとも思う。

 列車はいよいよ森の中へと入って行く。鬱蒼とした森はいつ魔物が出てもおかしくない雰囲気を醸し出している。実際正体不明の何者かに森の中で襲われた人も多くはないが、いる。

 木々に囲まれて薄暗いここからノール湖まで10分ほどである。

 そして森を抜けて眼下に広がるのは……



 本当に水が溜まっているのかと疑いたくなるほど透明な湖だった。というよりも実際僕は疑っている。本当に『水』が溜まっているのか。実はそのことはまだ証明されていないようだ。

「キレイ……」

 水かどうか疑っている僕をよそに先輩が呟く。

 確かにこういうのは女の人は好きそうだ。

 どちらかというと水晶のような色といった方が正しいかも知れない。

「そうですよね」

 僕も返す。本当に、余計な事を考えなければ見惚れてしまうのがノール湖という湖だ。

 見惚れていたのも束の間であっという間に橋を渡りきってトンネルに入ってしまう。

 先輩はとても残念そうだ。

「ねぇ、シャル君、あれ本当に水なの?」

 先輩は真剣な表情で訊いてくる。

 どうやら先輩も気付いていたらしい。

 森の中にこんなに綺麗な湖があって、それでも森の落ち葉なんかで湖は汚れたりしていないのだ。

「調べてみると、『水』とはどこにも書いてありませんでした。『綺麗な湖がある』としか……」

「ふーん……確かにシャル君も『水』とは言っていなかったわね」

 先輩は何やら考え始めた。

 本当のことを言うと、僕は1つの確信とも言える仮説を持っていた。

 列車はノール湖の正体について考える僕たちを待ってくれる訳がなく、トンネルを抜けて、山の谷間を抜けていく。 

 峠を越えればブレスティア。あと少し。




「シャル君なんだか凄い楽しみそう」

 先輩はブレスティアに着く直前にそんなこと言い出した。どうしたのだろうか唐突に。

「そうですか? いやぁ、少佐に会えるのが本当に楽しみで、上手くいけば唯一僕を慕ってくれていた後輩に会えるかも知れないんです」

 僕は列車の中で脱いでいた上着を羽織りながら答える。

「ふーん、どんな後輩?」

 先輩も上着を羽織りながらさらに聞いてくる。緊張しているのだろうか。 

「僕と似たような、無属性の魔法を使う子なんですけど、とっても優秀な子で僕も魔法を教えたりしていたのですが、僕にある魔法を教えてくれました。それを教わって、まともに使いこなせるようになって以来戦闘訓練が少し得意になりました。もちろん僕も魔法を教えたりしていましたよ。だから、後輩というよりも年下の仲間って感じですね」

「ふーん、いいなぁ」

 先輩はうらやましそうに言う。

「そういう先輩こそどうなんですか? 先輩のことを慕っていた後輩の1人や2人いたでしょう?」

 普通は仲のいい後輩はいるものだ。実際後輩から学ぶことも多い。

「いなかった。なんか、後輩に恐れられていて誰も寄ってこなかった」

 うわ……本当にいるんだそういう人って。

 僕は驚きを隠さなかった。

 まぁでも、よく考えてみると先輩って常習的にサボるという破天荒なことばかりしていたからそんなんもんだろうかとも思う。

「なんか、親しい後輩とかいないのがまずいっていうのは分かっていたんだけど、結局出来ないまま終わっちゃったんだよね」




 ブレスティアは曇りだった。急行列車を降りて改札を出る。そして駅舎の前にあるトラムの駅へと向かう。国防大学まではここからトラムで3駅。

 その間、僕も先輩も言葉少なだった。僕は母校に戻って少佐と久しぶりに会うことと、ひょっとしたら唯一僕を慕ってくれていた後輩に会えるかも知れないことへの期待感と高揚感によって言葉少なになっていた。

 一方、先輩はというと、明らかに緊張していた。

 別に、少佐は普通にしていたら優しい1人なのに……

 あ、先輩って普通にできない人か……

「ねぇシャル君、今凄い失礼なこと考えていたでしょう?」

「いえいえ、とんでもないです。久しぶりに後輩と会えるかも知れないんですから。楽しみなんです」

 僕は適当にごまかしておく。

「まぁ、その後輩君と約束している訳ではないから会えるかどうかは分からないんだけどね」

 先輩にど正論を突きつけられた。僕にど正論を突きつけて先輩は落ち着いたのか、どことなく表情が柔らかくなったようにも見える。

 確かに、会う約束してないわ。

 

 3駅はすぐで、僕たちは『国防大学前』なる駅でトラムを降りて横断歩道を渡ると、そこには国防大学と書かれた門があった。その門はとても、とても懐かしい門だった。

「先輩、行きますよ」

 僕は先輩の方を見る。

「え、ちょっと待って。まだ心の準備が出来てない」

 ここから門を通るのに10分かかった。

 守衛の目がものすごく痛かった。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る