Ⅲ
僕は王都ルテティウムの中央駅にいる。
右手に僕の普段使いの鞄とお昼ご飯のパンが入った紙袋、左手に先輩の鞄を持って、改札の前に立っている。
平日のお昼前の中央駅は割と空いている、といっても結構混雑していると思うのだが……
ま、まぁ王都基準では空いているそうだ、
確かに改札の前に突っ立っていても何も言われない。夏休みや冬休みの時は立ち止まろうものなら怒られるのに。
「はい、切符」
そう言って僕に切符を渡してくるのは先輩だ。
いつのまにか切符売り場から戻ってきていたようだ。お、帰りは特急か。
「特急なんてよく取れましたね。当日でも意外と取れるんだ」
「んー? 売り場の人に『特急でブレスティアまで』って言ったら、『行きの分は急行しかないけどいい? ああ、帰りは特急あるよ』って言ってたわよ」
え? あ、今日は平日か。だったら当日でも特急乗れてもおかしくはないか。
それにしても、先輩が切符を買ってきてくれた! 拘束魔法すら覚悟していたのに!
「案外あっさりと行くことにしたんですね」
先輩は昨日あんなに行きたくないとごねていたのに、昨夜一体何があったのだろうか。
「うん、結局一晩考えてみたんだけどね、どうせ行かなきゃいけないのなら、あの年増に恥をかかせる方がいいんじゃないかって思ったわけ。だから今日は行くことにしたの」
やっぱり、先輩は先輩だった。まともなこと考えていなかった。しかもそんなに自信満々で……その自信はどこから来るのやら。
「へえ、具体的には?」
「まだ考えてない」
やっぱり、そんなことだろうと思った。
「へえ、まぁ、頑張って下さい」
「ねぇ、ちょっと適当過ぎない?」
「あ、あと10分弱で列車が出ちゃうみたいですよ。そろそろ改札の中に入りましょう」
適当で十分だと僕は思う。どうせ失敗するから。
僕は先輩を置いて改札の中に入ることにした。
改札の中には沢山のプラットホームが敷き詰められている。地下には
縁起でもないか。
「ねぇ、みて、すっごいのっぺりした顔の機関車がいる」
改札に入ってから先輩は興奮しっぱなしである。機関車を見るのは初めてではないだろうに。あとあれは機関車じゃなくて電車。
それにしても、そうか、これは布教のし甲斐がありそうな反応だ。
「あ、先輩、それ違うやつです。ブレスティア行きはこっちです」
先輩はふらふらと緋色の、のっぺりとした流線形の電車へと誘われていく。それ反対方向に行くやつですよ?
僕は先輩の親じゃないんだから……
僕は先輩の手を引っ張っていく。
「はい、僕らが乗るやつはこれです。ほら、のっぺりした顔の機関車でしょう?」
先輩は僕に連行されて若干不満そうなのでこれまたのっぺりとした流線形の、今度は深緑色の機関車を見せて、機嫌をとる。ついでにわざとらしく指をさしておく。
「か、かわいいぃぃぃ〜」
か、かわいい? かわいいか?
僕には先輩の感性が理解できなかった。
「ねぇ、シャル君、これ買って!」
は? 何を?
「この機関車! 欲しい!」
え? まじ?
「いやあ、それは無理じゃないですかね。
あ、でも国鉄は今後この形を増備していくそうですから数年後には全国で見られるようになりますよ」
そう、この斬新なスタイルの機関車はこれから国内の工場で量産されるそうだ。まだアングレーズからの輸入分しかなく、国産はこれからの話だ。
だが、まだ先輩は不満そうだ。
「この機関車はアングレーズで設計されたものですし、極東のヤポネーズも採用したらしいので、世界中で見られるようになりますよ」
僕はさらに続けたが、先輩はまだ不満そうだ。頬が膨らんでいる。
「違うのシャル君、見られるがどうかの問題じゃなくて、私はウチの庭にこれが欲しいって言ってるの」
何か面倒なことを言い出した。子供じゃあるまいに。
「お金はありますか?」
僕は爆弾を投下することにした。
すると、先輩は何も言えなくなったからか、「さっさと乗るわよ」とだけ言って先に列車に乗り込んでいった。
それにしても、そうか、先輩もこっち側の人間だったか。
「まもなく、7番線、ブレスティア行き急行列車が発車します」
よく通る駅員の声とともに、けたたましいブザー音が鳴り始める。
早く乗らねば!
平日のお昼前の時間なだけあってか、列車は王国随一の港町ブレスティア行きでもガラガラであった。
王都ルテティウムからブレスティアまで、列車で2時間程の道のりである。
先輩は車両の中程のボックス席に進行方向の反対向きに座り、窓の外を見ていた。
僕は先輩の向かい側に座る。
「そんなに見ていても、見えるのは見慣れた王都ですよ。」
僕は座るや否や、先輩に声をかける。
「別に、こっちの方の列車なんて滅多に乗らないんだから……」
まだ先輩はさっきの興奮を気にしているのだろうか。
「ここから1時間半ほど行った先にノール湖という湖があるのですが、すごい景色なんですよ? 森を抜けたと思ったらすぐにノール湖に架かる橋で、そのノール湖がまた透明なんですよ。観光地として名高いサルニア湖よりも全然綺麗で。」
先輩が僕の話に興味を持ち始めたのでさらに続ける。
「本当ならもっと有名になっても良いのですが、やっぱり行きにくいのでしょうかね。人の姿が見えないのです。そして最後、橋を渡りきるとそのまま断崖絶壁の中に突っ込んでいくのです。反対側から乗ったらもっと衝撃的でしょうね。トンネルを抜けたら断崖絶壁。そして列車は綺麗な湖に架かる橋を渡るのですから」
気づくと先輩の目がとてつもなく輝いていた。どうやらそのことにすら気付かないほど夢中になって喋っていたらしい。
ところで、先輩も国防大学出身なのだから見たことがあってもおかしくないのだが……
「先輩も国防大学出身ですから見たことあると思うのですが」
僕は聞いてみた。
「私基本列車の中で寝るから」
な、なんともったいない!
「先輩は人生の4分の3をドブに捨てててます! 車窓を楽しまないでなんで列車なんか乗ってるんですか!」
先輩のあまりの無駄遣いに少し興奮してしまった。
「いや、でも眠くならない?」
先輩は割と冷静だった。僕が異端?
「そこは意地でも起きるのです。列車の中では車窓を楽しむのが醍醐味なのです」
「へーぇ、じゃ起きてみよ」
今日は先輩がいつになく素直だ。一体どうしたのだろうか。
先輩と話をしている間にも、車窓は次々と変わってゆき、ついには王都都市圏を離れて景色は田舎のそれになってゆく。また、田舎に入るにつれて段々と駅が減ってゆき、列車はどんどんと加速してゆく。かわりに増えてゆくのは小麦畑。
「家ないわね」
つまらなさそうに先輩が言う。
「そうですね。ブルースト県に入れば家とか、急行が止まる駅とかあるんですけど、ブルースト県の手前は小麦畑しかないので」
「そのブルースト県までどの位よ」
相変わらず先輩はつまらなさそうに聞いてくる。
「だいたいあと20分位じゃないですか?」
僕は半分本気で答える。
何故か先輩は驚いたような顔。
「なんですか?」
僕は取り敢えず聞いてみる。
「いや、そんなこと知ってて人生で得したことあるのかなあって」
む? 失礼な。
「いいんですよ。痒いところに手が届くのです」
「あそ」
む? 自分から聞いておいてその反応はこれまた失礼な
先輩は意を決したように座り直した。僕も座り直す。
「ねぇシャル君」
「はい、何でしょう」
僕は何かしただろうか。ほんの少しだけ緊張しながら先輩の次の言葉を待つ。
「そろそろお昼にしない? 私そろそろお腹空いたし、何よりもパンは冷める前に食べないとパンに失礼よ」
「そうですね。すっかり夢中になって忘れてました。お昼にしましょう」
パンは残念ながら冷めてしまっていたので、魔法で温め直して食べた。あと先輩に罰としてクロワッサン1個没収された。
そのクロワッサンパン屋でラスト1個だったやつ……
そんなに食べたかったのですね。
僕のクロワッサンを食べる先輩はとても幸せそうだった。
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