第25話 恥ずかしいより嬉しい

「あれ? もしかして季松すえまつさんと、由香さんですか?」


 あれから雨風凌ぐ為にバスに乗り込んだ俺達は、揺られること十数分、駅前のバス停で降りると、そこから更に5分程度歩いた所にあるマンションエリアに来ていた。


 昔はこの辺りに大きなホテルがあったらしいのだが、それを取り壊し再開発を行った結果、今は縦に横に長く伸びたマンションが乱立している。


 その中で一番新しく出来たマンションが石榮いしえさんの住んでいる場所、ゲスな言い方にはなるが、最低限お金は持っていないと住めそうにない佇まい。


「あ、さおちゃん久し振りー! 元気してた?」

「由香さんもお久しぶりです! この通りピンピンしてますよ」


 するとマンションの玄関口から偶然石榮いしえさんの妹である桜織さおりさんが出てきたので、夏目さんの表情がぱっと明るくなった。


 正直ここまでの道中はアイアイの件で非常にぎこちない感じになってしまっていたので、妹さんの登場にホッと一息つく。


 言われてみればな話ではあるが、どうやら桜織さおりさんとも交流の深い夏目さんは久し振りの再会に会話に花を咲かせていた。


 これなら少し重くなっていた空気を家まで持ち込まずに済みそうだな……。


「さおちゃんはこれからどっか遊びに行くの?」

「いえ、お姉ちゃんが風邪を引いているので流石に――えっと、由香さんも季松すえまつさんもお見舞いに来て下さったんですよね」

「うん、そうだよ」


 その問いに俺も首肯――すると桜織さおりさんはポケットから家の鍵を取り出した。


「私、今から買い物に行くのでこの鍵で家に入っちゃって下さい、多分お姉ちゃん起きていると思うんですけど、ベッドから歩かせるのは悪いので」

「ありがと――って、さおちゃん今から買い物に行くの?」


「はい、お姉ちゃん朝から何も食べていないので、30分くらいで戻れると思うんですけど」

「へーそっか……じゃあ私もついて行こっかな」


「ん? そういうことなら俺も――」

「いやいや、季松すえまつくんは先にせおりんの所に行ってあげて」


「…………ほえ?」


 ピシャリと右の掌を俺に突き出しそう言った彼女に、俺は実に間抜けな声をあげる。


「え、で、でもだな……」

「だって! 今せおりんは一人なんだよ!」


「い、いやそれは分かってるけども……」

「風邪を引いている時に一人って寂しいよね!」


「ま、まあそれは……」


 風邪を引くと人間ってのは精神が弱ってしまう生き物で、俺も中学生の頃にインフルエンザになった時は妙に人恋しくなった覚えがある。


 だがその役目が俺である必要はあるのか……? と思いながらも一応肯定すると、夏目さんは妙に満足げな表情を浮かべた。


「風邪を引いている時っていうのはね1分1秒でも誰か側にいて欲しいものなの、だから季松すえまつくんは先に行って来てあげるの、オーライ?」

「私も賛成ですねえ、第一買い物に3人も必要ないです」


「ええ……?」


 それを言ったら1人で十分じゃないのかと思いたくなる気持ちをぐっと堪える。


 恐らくこの場において俺に反論の余地はない――というよりそれを感じさせるだけの同調圧力を感じたので俺は聞こえない程度の溜息をついた。


「わ、分かった……じゃあ買い物は二人にお願いするよ……」

季松すえまつさんありがとうございますっ! じゃあこちらの鍵をお渡ししますね、号室は知っていると思うので呼び鈴は押さずにそのまま入っちゃって下さい」


「じゃあ季松すえまつくん後はお願いね! 行こ由香ちゃん!」

「はーい」


「い、いってらっしゃい……ませ……」


 為す術もなく妹さんから家の鍵を受け取った俺は、仲睦まじく駅前のスーパーへと向かった二人の背を悲しく見届けてから、マンションの中へと入ったのだった。


 まあ……女の子同士の再会を楽しみたい気持ちもあるのだろう、それを邪魔するのも悪いし、本来の目的は石榮いしえさんだからな。


       ◯


「あっ……ああ……!」


 そう自分を納得させ家に入った結果がこれである。


 言い訳をさせて頂けるのであれば、俺は全てを見てはいない。


 確かに石榮いしえさんの初めての部分を目撃する形にはなった、そもそも顔と手足以外の彼女の素肌など見たことがないのだから。


 とても艷やかで、触るだけで壊れそうな程の美しい素肌。


 そして何より――生まれ持った才能としか思えない美しい形をした豊満なお胸様は、部屋に入って5秒も経たずして俺の脳細胞を大いに死滅させた。


 だがそれだけだ……! それ以上は一切何も見ていない! 特に先端部分に関しては彼女の腕に隠れて全く以て見えなかった! 嘘じゃない! 本当だ! 信じてくれ!


「す、季松すえまつくん……な、なななんで……」

「ご、ごめん! せ、セーフ! 多分セーフだから取り敢えず即刻退散させて頂きます!」


「あっ! ま、待って!」


 みるみる顔が紅潮する石榮いしえさんを見て、また彼女を泣かれたら終わりだ思った俺は両手で目を抑えつつ部屋から出ていこうとする。


 しかし――それを引き留めたのは意外にも彼女だった。


「え……? い、いやそういう訳には……」

「もう布団で隠したから大丈夫よ……そ、それに嫌とか、そういうのではなくて……」


 い、嫌じゃないだと……? そ、それってつまりみ、見られても――?


 ま、待て落ち着け、最近ちょっと石榮いしえさんと親交が深まっているからって、そう考えるのは早計過ぎるだろ、調子に乗るな俺よ。


 だ、だがもし本当に見てもいいとしたら――そ、それはつまりしょうゆこと……?


 自分でも馬鹿なのかと言いたくなる程度には冷静さを失いかけていた俺であったが――石榮いしえさんの一言でふと我に返った。


「その……ありがとう……お見舞いに来てくれて」


「……そんなの全然気にしなくていいって。それに昨日の今日だっただし、もし俺のせいで体調を崩していたら悪いと思って……」

「そ、それは違うわ! そ、その……そう! 気温の変化に弱いだけで! 季松すえまつくんが悪いとか、絶対にそれはないから!」


「そ、そうか……?」


 何だか強引に否定をされた気がしないでもないが、当人がそうだと言うのであれば無理に訊く訳にもいかない。


 ……にしても体調が戻ってくれているようで良かった。俺の勉強の覚えが悪いから知恵熱を出したとかだったらただただ申し訳なかったし。


「あの、季松すえまつくん――もう大丈夫よ、こっちを向いても」

「え、お、おう……そ、そういうことなら……」


 彼女がそう言ってくれたので俺は向けていた背を元に戻す。


 下心を言えば振り向いても実は――みたいなのを期待していないでもなかったが、そこにはちゃんとパジャマ姿の石榮いしえさんがいた。


 そして彼女は息を呑むくらい可愛らしい笑顔を見せてくれると――こう言うのだった。


季松すえまつくん、来てくれて本当に嬉しいです。その……一緒にお話しませんか?」


「……うん、勿論。こちらこそありがとう、石榮いしえさん」



 ずっと俺のことを睨み続けていた筈の彼女が見せたとびきりの笑顔に、俺は有無などいう暇も忘れ、無意識の内にそう応えていた。

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