第23話 雨と傘と夏目と季松

「雨……振ってるね……」

「ホントだな……困ったな」


 夏目さんの提案により、思いがけず決まってしまった石榮いしえさんのお見舞い。


 元より今日の授業内容を記したノートを、誰かが届けなければいけないということもあったので、結果的に夏目さんがその役目を果たすことになった。


 しかし――帰る直前になって雨が振り出してしまったのである。


「朝は晴れの予報だったから傘持ってこなかったんだよな……」

「だよね……まーでも梅雨だし、突然の雨も想定して傘を準備しておくべきだったね……」


 夏目さんはふぅと溜息をつくと、おもむろにスマートフォンを確認し始める。


「うーん、この感じだとちょっと厳しそうだね……ほら」


 夏目さんがスマホの画面を近づけて来たので除いてみる――すると天気レーダー的なアプリが、俺達の住んでいる県を覆うようにして雨雲を表示していた。


「ああ……かなり広範囲に、しかも東西に長く伸びてるな」

「この感じだと一時間そこらじゃ止みそうにないね……どうしよう」


「バス停まで走るしか……そこまで濡れるのは我慢するしかないな」

「でも走っても5分はかかるからビショビショになっちゃうよぉ、それで私達まで風邪を引いちゃったら元も子もないないし……」


「それもそうか……」


 風邪を引いた人のお見舞いに行って風邪を引いてしまうなど木乃伊取りが木乃伊になるとでも言うべきなのか、とはいえこのままではお見舞いする以前の問題だ。


 それにこう……どうにも俺の頭の片隅に強く刷り込まれてしまった彼女のおっぱ――お胸が否応でも妄想を掻き立ててくる、それこそ雨で透けようものなら……。


「し、しょうがない……ここは鞄を犠牲にしてバス停までは耐えよ――」

「――あ! 待って! そうだ忘れてたよ!」


 教科書が詰まった鞄を背中から下ろそうすると、夏目さんが何かを思い出したのか学校指定の手提げ鞄を何やらごそごそと漁り始める。


 そして少し嬉しそうな声で「あった!」と言って鞄の底からピンク色の、可愛らしいキャラクターがあしらわれた折りたたみ傘を取り出した。


「えへへ、折りたたみ傘入れてるのを忘れちゃってたよ」

「おお、そりゃ良かった、じゃあ早速行くとしようか」


「ああちょっと! 季松すえまつくん何処行くの?」

「へ? そりゃ勿論バス停に――」


「それはそうだけど……季松すえまつくんの鞄が濡れちゃうでしょ?」

「……? それ以外に方法無いんだからしょうがないだろ」


「だから――」


 と夏目さんはピンクの小さな傘をバサっと開き、くるっと回して自分の頭上へと持ち上げる。


 そしてニッコリと優しい笑みをみせ、傘の枠内から自分の身体を少しズラし、スペースを作ると、とんでもないことを言い出すのだった。


「ほら、季松すえまつくんも入って?」

「……え?」


「……? ほら、鞄も身体も濡れちゃうから」


 ま、待て待て……何言っているんだ夏目さんは……何故そんなことをナチュラルに、あたかも当然の如く言っているのだね……。


 いやどう考えてもいかんでしょう……それってつまり相合い傘って奴だからな? 男なら誰しもが憧れる至極のイベントの一つだからね?


 否応にでも身体的密着が図られ、それこそ相手の息遣いさえ鮮明に聞こえかねない距離、付き合っていない男女すらその心は急接近するに違いない。


 だのにそれを顔を見知っている程度の俺に対してやってしまうなど……。


「季松くんどうしたの? 早く早く」

「あ、いや……ちょ、ちょっと……」

「???」


 あ、あな恐ろしや……、これが数多の男子生徒諸君を勘違いさせ、そして冥府へと送り込んでいった夏目由香の本領か。


 出会い方こそ最悪だったものの、今は割りと自然に会話をしていたからすっかり忘れていた……いやそれすらも彼女の自然体と言うべきなのか……。


 まあ裏を返せば全くの脈なしとも言える訳だが……石榮いしえさんの陰に隠れがちだが彼女もまた学園のトップオブトップの美人なのである。


 本来ならそんな彼女とお話が出来ているだけで異常事態、それにも関わらず二人同じ傘で学年一の美女の家に行くとか何のバグですか?


 冷静に考えてみればいつの間にこんな事になったんだ俺は……と思わずにはいられないが、これ以上はいけないと夏目さんの厚意を止めにかかる。


「あ、あの……流石にこれはまずいと思うんだが……」

「え? なんで? でも入らないと――」


「その何ていうか……そういうのは夏目さんの名誉の為に好きな人とやるべきであって……なにせ相合い傘な訳だし……」

「へ? あ、相合い傘…………? …………あっ、あっ、あ、あいあい……!? あ、あいあいあいあいあいあい……あいあいって……あの……!?」


 ようやく自分がナチュラルにとんでもないことをしようとしていたことに気づいたのか、夏目さんの顔がみるみる紅潮していく。


 そして壊れたおもちゃの如くあいあいを連呼、傘の柄をぎゅっと握って俯いて動かなくなってしまうものだから見ているこっちも恥ずかしくなってくる。


 だ、だがこれは仕方がないのだ……彼女はあまりにも無防備過ぎるから……。


「ま、まあ! 俺は全然大丈夫だから! 鞄の中に濡れて困るものもないしな!」

「…………」


「そ、それに鞄を傘代わりにするんだし、バス停までの距離なら風邪なんてひかないって! あ――ほら! さっきりより雨脚も弱くなったし今の内に――」


「だ、駄目っ! やっぱり季松すえまつくんだけ濡れるは良くないよ!」


「え」


 なん……だと……?


 彼女から放たれた言葉に、俺は目をひん剥いてしまいそうになる。


 流石に理解した筈だというのに、それでも俺を傘に入れる気だというのか……?


「い、いやしかしだな……」

「だ、だって、いくら私の傘でも季松すえまつくんだけ濡れてるのは申し訳ないよ、それに万が一風邪を引かれたら『あの時入れてあげれば良かった』って私罪悪感に苛まれちゃうし!」


「な、なぬ……?」


 まさかそんな脅しをされるとは夢にも思わず言葉に詰まってしまう。


「それに……そのまま帰るならいいけど、せおりんのお家に行くのに季松すえまつくんが濡れていて、私が濡れていなかったらヤバ――じゃなくて変な感じになるでしょ?」

「う、うーむ……? そ、そうか?」


「そうだよ! だからいっそのこと二人共濡れてしまうか! 二人共濡れずに、あ、アイアイするか! これ以外の選択肢は認めません!」

「そ、そんな馬鹿な……」


 ま、参ったな……よもや夏目さんにそんな決意表明をされようとは……。


 だがそうなれば選択肢は一つしかない……夏目さんをスケスケにさせしまうなどどう考えてもナンセンス……それだけは絶対に出来ない。


 し、仕方がない……彼女が良いと言っているんだ……何ならどう転ぼうが俺に損はない!


「分かった……そ、そそそれなら、お、おおお言葉に甘えて……」

「は、はわわ……ど、どどどうぞ……お、おおお入りくださ――」


「ん? 正人何やってんだよ、それに夏目さんも」

「うおおおおっ!? な、何だ伊藤か……驚かすんじゃねえよ」


「別に驚かしたつもりはねえけど……何だお前、もしかして傘忘れたのか?」

「そ、そうだが……何だ、嘲笑いにでも来たのか」


「阿呆か、わざわざそんなことしに来る程暇じゃねえよ」

「そ、それもそうか……」


「まー今日の予報晴れだったしな。仕方ねえ、俺の折りたたみ傘貸してやるよ」

「え」


「俺いつも面倒だから置き傘してるもんでな――ほらこれ」

「あ、え、さ、サンキュ……」


「んじゃあな、お前石榮いしえさんの家行くんだろ? 気をつけてな」

「あ、はい」


 なんということでしょう。


 爽やかに現れた伊藤は、俺に折りたたみ傘を貸してくれると、自分の置き傘をピックアップし、背を向けながら手を振り颯爽と去っていったではありませんか。


「…………」

「…………」


 残った俺と夏目さんの間には如何ともし難い空気が流れる――


 しかし暫くして最終的に二人共顔を見合わせると。


「……い、行くとしますか……」

「そ、そうだね……」


 お互い自分の手元にある傘をさして石榮いしえさんの家に向かったのだった。



 ……いや、いいんだけどさ、俺の決死の覚悟は何だったんだ……。

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