第3話 石榮雪織対策本部

「伊藤よ、俺は考えたのだ」

「…………なにを?」


 明くる日の昼休み、今日も今日とて石榮いしえさんに凄い角度から睨まれながら弁当を食べていると、俺は真剣な表情で呟いた。


「もしかしたら俺は、睨まれている訳ではないのかもしれない」

「……いや、睨まれてるだろ」


 至極真っ当な意見が帰ってきた。


「落ち着け伊藤、考えてもみてみろ。いくら俺に嫌悪感を示しているのだとしても四六時中睨む必要があるか? 寧ろ視界に映らない方がいいとは思わないか?」

「ポジティブなのかネガティブなのか分からんことを言う奴だな、……まあお前の言うこともあながち間違っていない気がするが」


 こんなことを自分で言いたくはないが、本気で嫌いであればわざわざ睨んでまで視界に入れる必要があるだろうか、少なくとも俺ならしない。


「だろう? つまりあれは睨んではいない、見ているだけということになる」

「成る程、凄いこと言うなお前」


「だから今後は睨んでいるという表現は止めるべきだ。あれは見ているだけ」

「じゃあ何で石榮いしえさんはお前だけをずっと見てるんだよ」


 折角彼女は睨んでいないという結論に至ったにも関わらずこの男はすぐ新たな議題を持ち出してきやがる……ディベートの強者かよ。


「誰かを見るぐらい普通にあるだろ。何を言っているんだお前は」

「いや『ずっと』見てんだよ、『見てる』に全てを収束させるな」


 そんなこと俺でも分かっとるわい。でもそういうことにしておかないとこう……メンタル保たねえだろ、それなりに傷ついてんだぞ。


 しかし言葉を変えた所で根本的な解決とはならないのは事実、何故彼女が俺を毎日見ているのか、そこを解明しなければ彼女に視姦されることに快感を覚える変態になるしかない。


「というかよ、石榮いしえさんがお前を睨み――見るようになったのはいつからなんだ?」

「え? うーん、そういえば編入してきたその日からだったような……」


 何なら転校生の紹介で教壇に姿を現した瞬間から見られていたような気がする……。


 幾ら何でも自意識過剰だと思って、その時はあまり気にしていなかったが……。


「正人の言っていることが何処まで本当か定かじゃねえが……だとしたら生理的に無理とかそういう話じゃない気がしてくるよな」


 好物から先に食べてしまう俺は森を凝縮したものと名高いブロッコリーをどのタイミングで食おうか悩んでいると、伊藤がそんなことを口にした。


「それはつまり……どういうことだ?」

「だから編入初日からなら、何かしら接点があるんじゃないかって話だよ」


「でも石榮いしえさんは帰国子女だぞ、接点もクソもないだろ」

「そりゃそうだが……例えばそうだな、小学生で幼馴染とか――」


 途端、ズドンと何かが落ちる音が聞こえ、俺と伊藤は驚いて顔を上げる。


 どうやら石榮いしえさんが教科書を落としたようなのだが、彼女はそれを拾い上げながら定期的に俺の顔を睨み――見つめ続けているではないか。


「……今の会話聞かれてないよな」

「まさか、大声で話してはいないし、聞こえてないだろ……」


 そう言いながらも俺達は先程より一層トーンを落として会話をする。あくまで憶測でしか会話をしていないが、聞かれたら洒落にならんからな……。


「……しかし、悪いが伊藤の予測はやはり外れている気がするな」

「どうしてそう思うんだよ」


「幼馴染は無いにしても、あれだけの美人が学校にいたら覚えてない筈ないだろ」

「そりゃ違いねえ」


 あれだけの美貌ともなれば、たとえクラスが違ってもあっという間に噂が広がるだろう、いくら何でもその情報をキャッチしていないとは思えない。


「しかもそんな美人が嫌悪感を示すとなれば、最低でもスカートをめくっている筈」

「それも複数回はめくっていそうだな」


「つまり美人な女の子のスカートをめくるだけの勇気があるのなら、俺は今頃石榮いしえさんに猛アタックしている、そういうことだ」

「お前のチキンハートじゃ想像もつかない展開だな」


「うるせえ二次元に魂を売った癖に」

「三次元に未練がましくしがみついている奴に言われたくないぜ、ははは」


「それを言われちゃ世話ねえな、ははは――――は」


 さもしい男二人が乾いた笑いを上げた瞬間、石榮いしえさんがチャバネゴキブリでもみたような表情を浮かべていたので俺は即座に真顔に戻る。


「話を戻すとしようか」

「え? あ、ああ……そうだな……」


 どうやら伊藤も察したようで、即座に口を真一文字にした。


 二人揃って顔も合わせず、ただ一点を見つめて小声で会話するなど酷く滑稽ではあったが、石榮いしえさんに『騒ぐな豚共』と言われるのは……あれ? 別にいいのか。


「……なあ」

「どうした伊藤よ」


「……いっそのこと本人に聞いてみてもいいんじゃないのか」

「頭がおかしいのか、いきなり嫌いな奴が近寄ってきて『どうして俺のことが嫌いなんですか?』って訊いてきたら、俺ならこいつイかれてるって思うぞ」


「そこまでしろとは言ってねえよ。だが正人だって理由も分からないまま軽蔑の眼差しを向けられ続けるのは限界があるだろ」

「それは……そうだが……」


 そりゃ俺だって他の生徒よろしく、石榮いしえさんに優しい微笑みを向けられたい。


 鞭ばかりでは人間辛いのだ。時には飴を使い分けることによって初めて鞭からも蜜の味を感じられるようになる――何を言っとるんだ俺は。


「いきなり石榮いしえさんに特攻を仕掛けるのは確かにリスクが高い。しかし戦術の基本として外堀から埋めていけば可能性を見出だせるだろう?」

「つまり石榮いしえさんと親しい友人から攻略していけってか……?」


 そうなると狙うべくは夏目さんということに……だが――


「夏目さんを味方に引き入れることが出来れば大いに状況は変わるかもしれないが……駄目だ、それは間違いなく失敗する」

「何故だ? 彼女は良くも悪くも人当たりのいい子だろ。お前でもまずは世間話から入っていくことぐらい然程難しくはない」


「いや、彼女は既に石榮いしえさん側の人間なんだよ」

「お前……学園のアイドル二人に軽蔑されてんのか、天才かよ」


「もっと褒めてくれ、そうしてくれないと涙が零れ落ちそうだ」


 いや、冗談はさておき。間近で話をした俺が言うのだから間違いない、あれだけ男子に分け隔てなく優しい夏目さんが苦い顔をするなんてかなり珍しい話だ。


 きっと彼女と接触を試みればその情報は全て石榮いしえさんへと筒抜ける。誤って石榮いしえさんの不満でも言った日には俺は弾劾されること必至……。


 故に決して俺から隙を見せてはならない。この聖戦を勝ち抜く為には生半可なやり方では容易に俺の首は跳ね飛ばされてしまう。


「しかし正人。逃げてばかりでは何も得られはしないぞ」

「それは分かっている」


 この不可解な状況から脱する為にはまず石榮さんのことをもっと知らなければならない、だがそんな簡単に方法は――


「…………」

「…………」


 ここで普通ならパッと画期的なアイデアが閃いてくれる所なのだろうが、如何せん地味をすりこぎで潰して絞り出した後の残りカスのような俺達ではあまりに選択肢の幅が狭い。


 ど、どうすれば……。


「……事情通なんて奴がいれば、話は簡単なんだが……」

「事情通……? そういえば、そんな奴いたような」


「何? 本当か? それは一体何処のどいつ――――!?」


 石榮いしえさんのご迷惑とならぬよう、正面壁の防音の穴を見つめながら会話をしていた馬鹿二人は、正面から接近する存在に全く気づいていなかった。


 それはさながらヨーロッパの火薬庫、キューバ危機の如き緊張感――いや一方的にボッコボコにされるだけだから違うのか、終わったな。



 いずれにせよ、俺がその殺気を認識した時には、石榮いしえさんは俺達の座る席のすぐ側まで歩を進めて来ていたのであった。

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