鷹の眼

 目を覚ました。


 兵が言い終るか、終わらぬかといううちに、ギルベルトは駆け出していた。塔から砦の内部に戻り、真直まっすぐに指揮官の執務室に向かう。扉を開けた。


 指揮官コマンダントファルクが、立ち上がっていた。医者が二人、その脇で何事かを言い続けている。ギルベルトの姿を認めたファルクが、眉根を寄せた。


「この者たちに、もうがってよいと言うのだがな。聞く耳を持たぬ」


 まさか、立ち上がって、喋っているとは思わなかった。ファルクは、なおも寝台に戻るよう言い続ける医者を振り払うようにしている。生死の間を彷徨さまようと言っていた医者の言葉は何だったのか、とギルベルトは思った。しかし、よく見れば、額に玉のような汗が滲んでいるし、呼吸も荒いのが分かる。


幾日いくにちだ、ギルベルト」


「はっ?」


「幾日、私は眠っていた?」


 言いながら、軍服を手に取って身に付けている。からだには――とくに首や肩には――幾重にも布が巻かれているし、その下に隠れている傷は、当然塞がってはいない。死んでいても、おかしくない傷だったのだ。あとほんの少しというところで、剣先がずれていた。失った血は多く、不意に傷が開きでもすれば、今度こそ死ぬだろう。


 それでも、ギルベルトは止める気にはならなかった。金髪ブロンドが顔に張り付いているのも、払おうとしない。この男は、これくらいでいいのだ。


 眠っていたのは四日、とギルベルトが言うと、ファルクは額に青筋を浮かべ、さらに歯ぎしりした。


「我が城を攻囲されながら、四日も眠っていたとは。おのれに腹が立つわ」


 四日で起き上がっただけでも、信じがたいことである。思わず、口から笑いが出た。医者は、所在なさそうにして、まだ立っている。それらをすべて無視して、ファルクは部屋から出ようとした。医者に手で退室するように促し、ギルベルトは指揮官のそばに駆け寄った。


 居室から出る。向かうところは、分かっていた。ギルベルトは敵の総数、指揮官の数、武装と兵器の数と種類を、詳細に伝える。歩きながら、ファルクはそのすべてを復唱していた。


「足りぬ。二万など」


 一言だけ吐き棄てるように言い、城壁に、ファルクは立った。立哨りっしょうの兵や、隊長たちが、口を開けている。遅れて、隊長たちだけは、駆け寄ってきた。兵たちは歓声を上げている。ギルベルトが自分の部隊の兵に声を掛けている間、ファルクは集まった隊長に何事かを言い続けていた。指示のようなものを受けたのか、隊長はそれぞれ背筋を伸ばし駆け去っていく。


 それらが一通り終わってから、ファルクは眼前の灯の群れをじっと見据えた。相変わらず敵軍には、夜の動きはない。しかしその眼は、動きのない相手のすべてを、夜の闇の向こうまで、隅々まで見るように動いていた。


「野戦の様子は?」


「俺と、ルッツの騎馬隊で相手をしました。気味の悪いやつらでしたよ」


 問われ、ギルベルトは同じように相手の軍を眺めながら、報告した。


「どういう意味だ」


「退却が早く、しかも見事なものでした。老練な将軍が、ひきいています。損害はほとんどありませんでしたが、それは敵にも言えます」


 攻城についても、と言うと、ファルクはまた黙った。ギルベルトはまたその視線の先を追ったが、自分に見えるのは、ただ夜の黒い荒野と、点在するかがりだけである。


「おまえには、礼を言わねばならぬ。生命いのちを、救われた」


「礼など。それよりも、あの連中を叩きのめす許可をいただきたいですね」

 

 なにか、思い出したようにファルクが言った。礼の言葉など、ギルベルトは別に欲しいと思わない。彼もまた、それ以上は何も言わない。それでよかった。


 城壁から戻るあいだ、ファルクは何も言わず、俯きながら何かを呟いていた。居室に戻るなり、中央の卓に広げられた地図に文字を書き込んでいく。走り書きのようで、ギルベルトにも読めない字があったが、現状の整理をしているのだというのは、わかった。それを終えると、ひたすらに地図を凝視している。この男の、癖だった。戦のことを考えているとき、この男は地図から眼を離さない。まばたきせず、眼球もほとんど動かないので、ほんとうは何か、別のものを見ているのではないか、と思うこともある。


「早すぎる。執着もない。夜間に何も仕掛けてこないとは」


 頭の中を、整理するために呟く。指で、地図を叩く。彼がよくやることだった。ギルベルトも、何か問われるまでは黙っている。


「私を殺すことに、失敗したからか。いや、そうではないな。だとしたら、なんだ」


 呟き続けている。その呟きが、ふと止まった。


「ハンス殿は、もうポルトに戻られたな?」


 ファルクが、何かを思いついたように、ぽつりと言う。


指揮官コマンダントハンスは、亡くなりました」


 ギルベルトの返答に、彼は、はじめて地図から顔を上げた。


「なんだと?」


「刺客に、殺されました。首をかれ、即死でありました」


 状況を考え、葬儀は短く、翌朝に執りおこなった。青竜軍アルメでは、というよりこの国では、死んだ者は土に還すため、生まれた土地に埋める。指揮官コマンダントハンスの生まれは、国の北だが、家族はポルトの街にいた。まずは家族に、からだを返さなければならない。遺骸は、副官だったラルフ・イェーガーがそのまま、ポルトの街に運ぶことに決まった。そのラルフと、のこされた部隊は、同日にすぐ、ここをっている。


 ファルクはほんのひと時だけ、目を閉じた。


「ラルフは、胸を痛めたろうな」


「ポルトは荒れた漁師の街だったそうです。いまは、商人がよく訪れ、あきないを盛んに行っていますが。ハンス殿が、そういう街にしたのだと、ラルフが言っておりました。まあ、賄賂などもあったようですが」


 正直なところ軍人として、あるいは戦士として、認められるところは全くなかった。しかし、商いを安定させ、街を大きくした。少なくともそういうところでは、民や国のために役立っていたのかもしれない。


「そうだ。礼ということであれば、いつか小隊長カピタンラルフに、言ってやってください。ファルク殿の首を護ったのは、あいつです」


「そうか。あの男が」


 ファルクが、右手で首をちょっと触った。まだ、その傷は癒えてなどいないはずだ。さっきから、左腕を上げていない。左の首筋から肩にかけて、斬られている。きっと動かせないのだ、と思った。


「ラルフは、いつ、ここをった?」


 気を取り直したように、ファルクが尋ねてきた。もう、卓に目を落としている。


「三日前です。あの夜襲があった、翌日。陽の高いうちに」


「三日」


 それだけを呟いて、今度は指をゆっくりと、地図の上で走らせはじめる。ギルベルトがその動きを目で追っていると、執務室の扉が叩かれた。ファルクは応答しない。代わりに、ギルベルトが応じる。文官が一人、紙を手に立っていた。


「伝書です。ムート領ノルンの、レーヴェン・ムートの名で、指揮官コマンダントに」


「レーヴェン・ムートだと」


 また、ファルクが顔を上げた。ギルベルトは代わりに伝書を受け取る。読み上げようとすると、見せろ、と声が飛んできた。手渡すと、汗がじっとりと腕や手に浮かんでいるのが分かる。眼の周りが黒く、落ちくぼんでいるように見えた。


「もう、休まれた方がいい、ファルク殿」


「レーヴェン・ムートが出兵した」


 聞く耳を持たない。溜息が出た。このまま、卓の地図に顔をうずめて死ぬのではないか。それは困る、とギルベルトは思った。この男が死ねば、また煩わしい責任が、自分のものになる。


 それにしても、レーヴェン・ムートが、出兵するとは、思っていなかった。一年前の要請に、応えたということか。今も、この砦の兵の内には、近隣の集落からの義勇兵が含まれている。ただ、ほとんど実戦経験のない者で、後方で支援にあたることが多いのだ。しかしそれが、元は国軍の指揮官だった男なのであれば、十分に前線でも使えるかもしれない。


「オルカンから延びている、糧道を押さえに行ったのは、何名だ」


「一千を、十名の小隊長ごとに分けています。百ずつに分かれ、すでに、山に入りました」


「後発隊を出す。五百で、明日の夜。同様に小隊に分け、先発の部隊には合流せず、そのまま街まで向かわせる」


 ギルベルトは、ちょっと顎に手を当てた。それは、街を襲う、ということだ。


「オルカンの街で、騒ぎを起こさせる。兵舎と糧秣庫に、火を放つ。それだけで、すぐに離脱。先発の一千も、街道を進み、離脱を援護する」


「ほう。これはまた」


「とにかく、敵軍を動かす。おまえの言う通り、不気味な軍だ。糧道を断つにしても、徹底する」


 二重で、急襲を仕掛けるということになる。たしかに兵糧を奪われ、背後の街まで襲われたとしたら、敵は動揺するはずだ。千五百の兵を出しても、無論こちらのほうがまだ、兵数はまさっている。いくら、ここまで出陣していても、それで糧道を完全に遮断できれば、すぐに撤退するだろう。しかし、山を越え、街に潜伏し、軍営を襲い、離脱するというのは、並大抵のことではない。


「その、五百は?」


「民に化け、街に潜入せねばならん。そして、精強である必要もある。派手にやってもらわねば、ここにいる軍を引き返させることはできぬしな」


「では、俺がやります」


 そう、口をいて出ていた。


「俺の隊は、荒っぽいやつらが多い。こういうときには、役立つはずです」


 自分の部隊には、傭兵時代からともに戦ってきた者たちが多い。今でこそ騎兵の主力を担っているが、もともとは、集落や城郭の中で、少人数で戦うことばかり繰り返してきたのだ。潜入には向いているはずだった。他の部隊にも、戦に慣れた者は多いが、そういう者は根っからの軍人ばかりである。それに、もう指揮官は眠りから目覚めたのだ。自分が、ここで代わりをすることに、もうこだわる必要もない。


 ファルクもその返答を予想していたのか、まったく表情は変えなかった。


「まあ、おまえが適任だとは、思うが。危険だぞ」


「危険ですが、派手な役目なのでしょう? ここで老人の軍と向き合っているより、ましですな」


「言ってくれる。私の代わりが、そんなに不満だったのか?」


「ファルク殿と仕事をするのは、楽しいんですがね。俺は、やはり剣を持って駆け回っていたい」


 ファルクが低く笑う。それを肯定と受け取って、ギルベルトは幾分か心持こころもちが軽くなったのを感じた。必ず、生きて帰ってこようとも、思った。この男の傍にいることが、不満であるわけではない。


「もういい。なぜか、おまえが死ぬとは思わぬ。街まで、全速で駆けよ。そして、私の傍に戻って来い」


「たしかに、うけたまわりましたよ」


 すでに、ギルベルトの頭の中には、兵に出す指示や武装、行程、連絡の手段が次々と浮かんでいる。すぐにでも、ちたかった。


 自分が不在になる間の様々なことは、明日の朝、軍議で決められることになった。自分の残った部隊は、一時的に他の大隊長オフィツィアの指揮下に入ることになる。ルッツや数名は、作戦に反対するかもしれない、とギルベルトはなんとなく考えた。


「それから、使者を出せ。ポルトの街と、ここに向かっているという、レーヴェン・ムートに」


「なぜです?」


「気になることがある。場合によっては、レーヴェン・ムートには、ここに着到ちゃくとうすることなく、任務を与えることに、なるかもしれん。ポルトへの使者は、途上でラルフに追いつければ、それでよい」


 意味が解らず、ギルベルトは首を傾げたが、ファルクはそれ以上の説明をしようとしなかった。確信のないことは言いたがらないのも、この男だった。


「あの、赤い眼の男。どうなったか」


 大体のことが決まりかけたころ、ファルクがぼそりと言った。


「赤い眼、ですか」


「私を斬った、あの男だ」


 ギルベルトの脳裏には、あの裸体の男が浮かんでいた。凄まじい剣の腕だったということ以外、とくに憶えていない。結局、城の内外をどれだけ捜索しても、捕らえられなかったのだ。あのとき屍体したいとなって見つかった兵士の着装が、城内の別の場所で発見されただけである。


 報せでは、ここから少し北にあるハイデルの駐屯地で、指揮官コマンダントベイル・グロースまでもが襲われたらしい。死んだという報せではなかったが、あの巨躯きょくの豪傑でも、そんなことがあるのかと思った。


「赤い眼とは。そんな人間は、見たこともありませんな」


「だが、私は確かに見た」


 迷信や夢想を嫌う男にしては、やけにはっきりと言う。それが、少し不思議であった。




(前触れ  了)

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