開戦

 白昼の荒野に、赤い旗が立った。


 それを知らせる角笛ホルンが城の南の塔から吹かれると、城内の全員が、一度に動き出した。ギルベルトを含めた大隊長オフィツィアたちは、一度だけ、軍議ので顔を合わせると、すぐに散開する。出撃の準備は、実に素早く行われた。


 自分の馬が、砦を出たところに、すでにき出されている。馬の首筋を撫でる。駈けるぞ。語りかけた。久しぶりの、戦場だ。ギルベルトは、腰の剣に触れ、その感触を確かめた。


 これで開戦となれば、実に数十年ぶりの、二国の戦になるはずだった。しかし、個人としての驚きはない。赤の国が攻めてくることなど、この三年は常に想定していたからだ。むしろ、ようやく動いたか、と思うだけだ。それは他の大隊長オフィツィアたちもほとんど同じ感覚だろう。もう、開戦に舵を切っても、反戦派だった北の無能な指揮官たちは、何も言えないはずだ。


 待つか、攻めるか。籠城か、野戦か。ギルベルトは、迷わず野戦を主張した。敵の数は、青の壁ブラウ・ヴァントから目視できる限りで、数千。斥候が野営地の後方まで山を駈けて得た情報からすると、総数は一万から一万数千ほどと考えられた。


 指揮官コマンダントファルクの不在を計ったかのように出てきて、陣を張った軍である。現段階では、こちらに向かっている増援の気配はない。後続の部隊があるとすれば、まだ先だ。到着前に、先鋒は潰しておきたかった。野戦でも、この城の騎馬隊ならば相手ができる。


 城門の前には、すでに兵士たちが揃っている。ギルベルトは、その先頭で馬の脚を止めた。


 一千の騎兵。指揮は、ギルベルトと、もう一人で、五百騎ずつに分ける。歩兵は一万で、二人の大隊長オフィツィアが五千ずつ、指揮をする。そう決まった。総隊長は、自分である。


 斥候の見た様子では、攻城兵器も、後方に備えているという。いずれ、城攻めに出るつもりなのだろう。もし敵が、その前に自分たちを城から引きずり出したいと考えているのなら、あえて、それに乗る形にはなる。しかし野戦は、望むところであった。


 ただ、二万弱という敵の数が、気にはなった。この砦を落としたいのなら、二万でも足りない。それすら分からぬ蛮族ではないことも、確かだ。一方、様子見というのであれば、逆に、多い。いかに大国といっても、一万を超える兵士を捨て駒として出せるはずがない。警戒は必要だった。とくに、斥候の及ばぬところからは、後続部隊が出てきてもおかしくない。先制からの痛撃は与えたいが、増援の如何いかんによっては、籠城戦に切り替えるつもりだ。


 ファルクならばどう考えるだろうか、と頭を巡らせた結果の、用心だった。


「しかし、あまりに機を捉えた侵攻だとは思わんか、ギルベルト?」


 ともに騎馬隊を率いる、大隊長オフィツィアが言った。ルッツ・ヒルシュという。ギルベルトより年配の、経験豊富な隊長である。どこかのんびりとした口調ですらある。緊急とはいえ、落ち着いた様子だった。


「ファルク殿の不在を、なんらかの方法で知ったのであろうよ」


 この青の壁ブラウ・ヴァントに現れた刺客と、指揮官コマンダントが死傷したことについては、すぐにつかいの人、馬と、鷹を出している。周辺の領地、軍の駐留地、遠くは都にまで連絡を送った。そのうちのどれかが、奪われ、情報が漏れた可能性は、ある。


 あるいは、あの刺客が、赤の国の者であったか。この機を逃さずに進軍してきたことを考えると、その可能性のほうが高かった。指揮官コマンダントファルクが襲われてから二日しか経っていない。ファルクが負った傷は、二日で癒えるようなものではない。命はあったが、血を失いすぎていた。目覚めるまで、もう少しかかるだろう。その隙を突くにしても、情報を手に入れるのが、あまりに速かった。ここ数カ月の、赤の国の動きと、刺客の動きは、呼応していると考えるべきだ。


 話しているうちに、他の隊長も、揃っている。ギルベルトは、前に進み出た。


「敵が、ついに来た。しかし、あろうことか我らよりも寡兵かへいで来おった。舐められたものよ。打ち払ってやろうではないか」


 兵たちが、声を上げる。城門が上がる。


 ルッツと並んで、駈けた。あとには五百騎が続く。歩兵は、その後ろだった。馬蹄の響きと、隊伍たいごの駈ける音が、ギルベルトを高揚させはじめる。面倒な思考は、頭から消えていく。ようやくだ。意図せず、口の端は吊り上がっていく。ようやく、あの忌々しい連中と戦える。三年待った、とすら言ってもいい。俺は、戦うためにここに来たのだ。


 少し高台になっている、荒野の端まで来た。甲冑を付け、陣を組む敵が見えた。駈け下りる。遅れて、歩兵も到着した。それを後ろに置き、騎馬隊を前に出した。正対するような位置に、布陣する。ルッツに言い置いてから、ギルベルトは単騎で、幾分か前に出た。


 そこで、おかしな気分に、襲われた。高揚に、僅かだが水を差されたような感覚になる。敵は、たしかに整然と陣を組んでいる。眼は自分を捉えている。だが、殺気は、薄い。感じないわけではないが、そんな感じがするのだ。自分が単騎でいることに対する反応も、それほどない。矢の一本くらいは飛んでくるかと思ったが、そうでもなかった。


南方人ズートども」


 大声で、呼びかけた。声は、聞こえる程度の距離まで迫っている。


「数十年侵すことのなかった国のさかいを、いま踏み越えようとしていることに、気付いておるのか、貴様ら」


 返事はなかった。代わりに、軍が動き始める。騎馬隊が出てくる。


「戦の火蓋を切ったな」


 呟いた。もう、いいだろう。赤い旗。火のように翻っている。ギルベルトの心でも、が燃え上がった。やはり、野戦だ。こうでなくては。始まったなら、あとは俺の戦だ。


青竜軍アルメの先陣は、このギルベルト・ベルガーである。我に続けっ」


 剣を抜く。馬腹を蹴った。風が鳴る。獰猛な笑みが浮かぶのを、自分では抑えられなかった。叫ぶ。一千騎が二つに分かれ、両側から攻める。敵の騎馬隊は、歩兵を守るようにしながら、横に展開していく。ぶつかった。先頭の将校と、視線が交錯する。年嵩としかさの男だ。笑うギルベルトを、妙なものでも見るようにしていた。離脱する直前に、兵二人を斬る。血を噴きながら、敵が馬上から転げ落ちる。距離を取り、並走する。相手が、歩兵部隊から遠ざかるように仕向けているのが、分かった。転回し、歩兵隊に向かう。遮ってくる。再び、部隊どうしが、波がぶつかるように衝突し、離れる。相手は、数騎を失っている。それなりの、打たれ強さを持った部隊だと思えた。


 相手の歩兵が動き始めた。味方が、応戦する。ルッツの騎馬隊は、歩兵を援護するように、近くで相手の部隊と交戦している。その動きに、敵の騎馬隊も合わせるように立ち回っているのだろう。傍目はためには、騎兵と歩兵が、乱戦しているように見える。こちらは、騎馬隊どうしのぶつかり合いである。


 純粋な騎兵の力比べならば、絶対に負けない。確信があった。剣を振るう。さらに、勢いを上げ、突撃した。敵の老将が、迎え撃ってくる。蹴散らしてやる。雄叫びとともに、剣を振るった。首を飛ばす寸前で、受け止められる。剣は、その手から弾き飛ばした。入れ違うように部隊が交わる。相手の騎兵の首をいくつも飛ばした。勢いそのままに、反転はせず、突っ切る。敵の歩兵隊に、横から攻撃した。後ろからの追撃は、後方の騎兵がいなしている。突撃の衝撃に耐えきれず、歩兵が崩れる。陣を断ち割った。それで、敵が大きく動揺しているのが分かった。ここぞとばかりに、ルッツがさらに攻勢に出る。その判断は、やはり速い。歩兵が分断されたうえに、押し込まれたくない敵は、防御するように騎馬隊の並びを変えていく。


青の騎兵キャヴァリアを、舐めていたようだな」


 ギルベルトが叫ぶと、喊声かんせいがあがる。こちらの歩兵も、押していた。人の間を駈け抜けたところで反転し、乱戦を大きく迂回うかいした。後方から追撃の構えを見せていた敵の騎馬隊に、またぶつかる。首を飛ばし、何騎も打ち落とした。そこで、相手が、大きく後退したように感じた。一度拡がって、その間を、ギルベルトの隊が駈け抜けた。突撃を、かわされたようになる。しかし、包囲される前に、飛び出す。


 見ると、対峙たいじしていた騎馬隊で、旗が振られている。敵が、それを合図に、撤退を始めた。


「追撃」


 五百騎が、全速でけ、背を向けた歩兵部隊に攻撃をかける。前を、遮られた。あの老将の部隊だった。一度、馬の勢いを殺された。相手が離れていく。再び駈ける。それが、何度も繰り返される。ギルベルトの隊に対して横に動き、駈け回ることで、勢いを殺すことだけを目的にしているようだった。


 もう一方のルッツの隊も、同様に追撃を遮られていた。合流して、中央を割るか。同じことを、おそらく考えていたのか、ルッツ隊の反応は早かった。駈けながら、すぐに、二つの部隊を合わせた。敵の騎馬隊は、横に数段の隊列を組み、じりじりと後退していく。そこに、突っこむ。しかし、思いの外、揺るがない。騎馬隊の攻撃を受け止めている。突き崩すのに、時間がかかった。時間。はっとした。ギルベルトは、部隊後方まで指示を出し、追撃から離脱させた。


 矢が、飛んできた。馬の脚を速め、素早く離れる。柵と、そこにいる兵が見えた。馬止めを用意している。矢は、その後方から放たれたようだった。大弓。矢の届く範囲まで、誘われたか。幅広く展開した相手の騎馬隊の陰で、気付くのが遅れた。こちらは、中央に密集していたのだ。


 追撃をめ、軍を引き返す。馬と武具は、可能な限り回収した。南の馬は小柄だが、その割によく走る。実際、いま相手をした騎馬隊は、なかなかの走力を見せてきた。奪っておいて、なにも損はない。


 青の壁ブラウ・ヴァント間近の城外で、一旦の休息とした。報告が上がってくる。敵に与えた損害は、騎馬が百と少し、歩兵も二百程度だ。戦闘の勢いそのものは、こちらにあっただけに、戦果はもう少しあってもよかった。追い払った、というのが妥当な表現で、潰した、とまではいえない。ルッツが、部隊から離れ、ギルベルトのところまで歩いてくる。


「撤収だな、ギルベルトよ」


「殺し足りぬ」


「物騒なことを言うな。あれは、なかなかの部隊だった」


「圧力があるわけではなかったが、下手でもなかった」


 ギルベルトは、舌打ちした。とくに、最後の局面における撤退の巧みさは、認めなければならない。本気で追い込まなかったとはいえ、自分とルッツの率いる騎兵隊でも、潰走までさせられなかったのだ。


「本当に、様子見だったのか。実力を、計ったのかな」


「まあ、潰走させられるほどではない、と思い込んでくれるなら、それでもいい」


 実際、騎兵や歩兵そのものには、さしたる脅威を感じなかった。自軍の兵士たちを見ても、まだ余裕があるように見える。本当に、はっとしたのは、あの退却の局面だけだったのだ。


 次は攻城か、とギルベルトは思った。また、野戦を誘うようなことはしないだろう。敵の老将の顔が、ふと浮かんだ。迫力はないが、いやな眼をしていた。ああいう相手は、愚直に何度も同じ仕掛けはしてこないものだ。今度は増援を待って、城攻めに転じる気がした。自分なら、そうする。


 始めから、攻城に絞って、大軍を準備する。指揮官コマンダント死傷の報とともに、総攻撃を仕掛ける。それくらいのことは、してもいいはずだ。それが、ただ二万に満たない兵での様子見とは。


「なにを考えているのだ、南方人ズートめ」


 遠くに見える軍営を睨みつける。不気味な開戦になった、とギルベルトは思った。

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