第23話 時間が狂ってしまうダンジョンです!
少年が消え去って、俺は辺りを見回した。また、狙われたらどうしよう、と。俺は水晶の森の中、一人取り残されている。モンスターはいまだ出現しない。何か起こりそうだと、感じる暇もないほどの恐怖が、俺を包んでいる。
キラキラと、音をたてるように輝く無数の水晶柱。刃のように妖しく輝いているように見えた。
その脇に、小さな影が見えた。水晶を同じ色で気がつかなかったが、たぶん人間だ。モンスターとは魔素の在り方が違う。けど、水晶の迷宮の影響なのか少し輝いて見える。
「あ、あのぉ······」
俺は恐る恐る、その人影に話しかけた。人影は地面にうなだれて、膝をついているから心配だ。すると、人影は驚いたように俺を見上げた。
怯えたように瞳を目が合う。
瞳は目を見張るほど美しい、という表現が似合う。虹のような光彩で、キラキラと吸い込まれそうな光を放っていた。そして髪の毛は水晶の青。氷のように透き通った、冷たい色をしていた。
「大丈夫、ですか?」
俺はその人のところにしゃがみこむ。その人は少女だった。ひどく怯えた表情で、俺を見ている。
白い肌が、乱反射する水晶に照らされて妖精のようだ。
そして、怪我をしている。
見るからにも、魔素的にも人間であることに変わりはないが、何か異様な雰囲気を感じる。俺は彼女に傷に手を触れた。
「······っ!」
「ご、ごめん。傷が深そうだったら、手当てしようと思って」
俺は急いで彼女の腕の傷から、手を離した。すると、彼女は目を見張り、何度もまばたきをした。俺は首をかしげる。
「手当て、した方がいいかな?
嫌だったら、街の診療所までつれていくけど」
すると、彼女は拒絶するように首を左右に振った。診療所という言葉に反応したのだろう。
「じゃぁ、魔法で直しちゃってもいい?」
俺が聞くと、彼女は迷いながらも頷いた。
俺も頷いて、彼女にもう少し近づく。
そして、彼女に手をかざした。彼女は驚いたように目をつむった。その間に、俺は魔力に集中し始める。治癒魔法は体力を削るから、ザックさんがたまに顔を出しては訓練させてくれた。ザックさんはよく稽古で怪我をするそうだから。
彼女が治癒魔法で光を帯びる。ふわりと白い光は、彼女をより幻想的に輝かせた。
「よし。治ったと思うよ」
俺はにこりと笑った。少しは怯えられなくてもいいように、と思ったが。彼女はまだ、俺のことをじっと見ている。
何も言わないのはなぜなのだろうか。
もしかしたら、という考えがよぎる。
「えーと、その喋れない?」
「······」
彼女はうなずいた。声は出るらしいが、話すことはできないのだそうだ。俺は彼女の頭を撫でる。少し悲しそうだったから、つい弟妹にするのと同じように接してしまった。
「ご、ごめんね。それで、君は街に戻るの?
俺は進むんだけど、街に戻るなら送っていくよ」
そう言うと、彼女は悩むように俯いた。俺が立ち上がろうとすると、彼女は俺の手をつかんだ。その手はやけに冷たくて、機械的だった。
俺は不意に厄介な考えがよぎる。
急いで彼女の服の袖をまくった。彼女は驚いたようだったが、申し訳ないが俺はその腕を見た。関節が人間ではない。球体関節人形のそれだった。腕には魔素が含まれている。
「に、人間じゃなかったりする?」
俺が呟くと、彼女は薄い表情のままうなずいた。そうか、違和感の正体はそれだったのか。俺はやっと得心がいった。
この国ではスパイスと奴隷商売が栄えているのに加えて、貴族向けにオートマタの生産が行われている。ザックさんや、フレアさんから聞き齧った程度だが、本当らしい。
しかし、オートマターーつまり自動人形は魔素や魔力が込められており、話したり世話をしたりするそうだ。名前をもらうことで。
「もしかして、名前がなかったりする?」
すると、彼女は首を振った。そうか、なら良かった。名前がないのは少し寂しいから。俺の安堵した表情に彼女は不思議そうな顔をした。
「ステータスを見てもいいかな?
君の名前を知りたいんだ」
「······!」
そういうと、彼女は目を見張って、それからうなずいた。
俺は彼女のステータスのアイコンを探す。そして、見つけた黄色のアイコンに触れた。
イヴ・クリスタ
Lv.25
HP.1085
MP.771
オートマタ(所持者無)
そうかかれていた。基本ステータスしかないのは、彼女が戦闘に出るために作られたわけではないからだろう。
「イヴ、イヴって言うんだね!」
俺がそう聞くと、彼女は何度もうなずいた。嬉しそうなのは、自分の名前がやっと伝えられたからだろうか。すると、彼女が口を開いた。
「······ぅあ、ありがとう。名前を呼んでくれたおかげで、声が」
彼女の目元から大粒の涙が、ボロボロと溢れていく。それは人形とは思えない自然なしぐさで、水晶のように美しい涙だった。そして、彼女の笑みが満開に開く。
俺は焦って、ポーチからハンカチを取り出す。そして、彼女の涙をぬぐった。彼女は驚いたように、目を見開く。
「ふふ、ごめんなさい。
長いことここにいたから、きっと感情がわからなくなったのな」
彼女は困ったように眉を下げて、微笑んだ。そして、自分の目元に触れ悲しそうな顔をする。俺はどうしようかと、戸惑ってしまう。
「気にしないでください。あなたのお陰なんですから」
彼女は水晶のような青い髪の毛を揺らして、頭を下げた。
「そ、そんなこと。俺は当たり前のことをしただけですから、頭をあげて」
そんなことを焦っていっていると、彼女は目を見開いて、それから笑った。うふふ、と。どこか嬉しそうに。
そして、頷いて、俺を見る。
「あなたは、優しいのですね。ただの人形である私にも」
優しげな笑みを浮かべて、澄み渡るような声がいった。俺はそんなことはないと、俯いた。恥ずかしいのではない。自分のしたことが、逐一正しくなければいけない気がするだけなのだ。
だから、誰にでも優しいはずがないのだ。
「俯かないでください。
そうだ、私もあなたの旅に同伴してもよろしいですか?」
恩をお返ししたいのです、と彼女はいった。俺はもちろんと頷く他なかった。一人のダンジョン踏破は心細くて仕方なかったのだから。
でも、大丈夫なのだろうか。
「私は大丈夫です。きっとお役にたって見せますから」
そう言って、彼女はまた微笑んだ。
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