ROUND2
しかし勝負は終っていなかった。作業しようと机に向かうと、体が動かない。振り返るとマフラーがドアに挟まって私を留めていた。しかもマフラーは、ずるずるとドアの向こう側に引き込まれてゆく。
私はハゲジジイがドアの閉じる前にマフラーを捕まえ、今ドア越しに私からマフラーを取り上げようとしていることを悟った。奴は諦めていない。
還暦を過ぎたとは思えない力で、ハゲジジイはマフラーを飲み込んでゆく。私は両手でマフラーを持ち綱引きに応じようとしたが体ごと引っ張られる。
加えて問題だったのはドアの挟まれたマフラーの負うダメージだった。裂けた糸の繊維がドアのこちら側に残り、堆積し続けている。
「やめろ!これ以上やると・・・」と言おうとしたが留まった。そもそも自分の存在を承認させることこそがハゲジジイの魂胆なのだと思い出したからだ。
しかし尚もマフラーは破壊されつつ引き込まれてゆく。私は意を決し作り途中のマフラーを手放した。
ドアの向こうに消えて行くマフラーの尾を見ながら、私は「一勝ぐらいくれてやる。だが最後に勝つのは私だ」と思いながら壁の向こうから聞こえて来る勝利の笑いに悔し涙を流した。
そして私は涙を拭きながら自分の部屋を見渡した。マフラー一つ分しか購入していない為毛糸玉はもう部屋にもなかった。
私はクローゼットを開け、セーターを取り出した。そして背に腹は変えられないと、セーターを解きマフラーを編み始めた。
作業は夜を徹して行われた。何度か意識が朦朧とすることもあったが、私は自分の太腿を抓り続行した。既にヒロ君を喜ばせようという本来の動機はなくなっていた。あるのはハゲジジイへの復讐心だった。
デート当日の朝が来た。ハゲジジイのことだから私が新たなマフラーを用意したことを見抜いており、部屋を出た直後取り返そうとしていることは目に見えていた。だから私は朝六時に爛々とした目をしながら壁に耳を当ててリビングの様子を観察した。
壁際で待ち構えている気配はない。「出るなら今だな」と観察を続けながら足の腱を伸ばす。着替えは済んでいるので、部屋を出たらそのまま家を出る。洗面台に寄って時間をロスするわけにはいかないので化粧はしない。恋する乙女としては失格だが、勝利の為に全てを捧げる覚悟はできている。
私はドアを開け部屋を飛び出した。リビングを越え廊下を走る。その途中にあるハゲジジイの部屋を越えれば靴を履き取りつつそのまま家を出ることができる。
ハゲジジイの部屋まであと3メートル、2メートル、1メートル、その時、ドアが開きあの禿頭が見えた。
待ち構えていたわけではないようだった。ハゲジジイは虚を突かれたような貌をしながら腕を伸ばして来た。私はその腕をかわして靴を持ち玄関を開錠し家を飛び出した。
「待て!」
というハゲジジイの断末魔を背後に私は舌を出しながらアパートの階段を下りて車に乗り走り出した。
窓からアパートの柵から見下ろすハゲジジイの姿が見えた。私は窓を開け編み上がったマフラーを敗者に向かってたなびかせた。
柵を殴りながら悔しがるハゲジジイが遠退いてゆく。私は大声で笑った。「ざまあみやがれ」と声に出して言い、指笛を鳴らした。
最寄りの駅に到着すると、私はその近くの駐車場に車を止め、電車に乗った。車で直接待ち合わせ場所に向かわなかったのは「終電逃しちゃった」という伝家の宝刀を使う為だった。私の脳味噌は既に今日のデートの為に使われていた。
デートの最寄り駅に到着すると私は近くのショッピングモールに向かい、化粧室に入ってメイクをした。デート開始まではまだ12時間もあったので、どこまでも丁寧に行うことができた。
ショッピングモール内で朝食を済ませ、そしてディナーを食べ過ぎないように昼食を腹いっぱい食べると私は何となく携帯を見た。すると案の定ハゲジジイから無数の着信が入っていた。折り返すことなくメールを見ると、ハゲジジイから「あえて泳がしているんだぞ」という悔し紛れの内容のメールが山程入っていたが私は無視して携帯ゲームを開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます