君がかけた魔法は、

増田みりん

君がかけた魔法は、


「君に魔法をかけてあげる」


 そう言って笑った君の笑顔が、わたしに素敵な魔法をかけてくれた。


 * * *


 ミラは生まれて初めて見る王都に、思わず立ち尽くした。

 生まれ故郷とはなにもかも違う。こんなに人がたくさんいる光景も、驚くくらいの賑わいも、たくさん並ぶ露店も、行き交う人々のすごくお洒落な服装も、なにもかもが輝いて見えた。

 田舎者の自分には眩しい場所だと思った。それと同時に、皆が王都に憧れる理由もわかった気がした。


 手に持った荷物をぎゅっと握る。

 王都には、ただの見物で来たわけではない。ミラにはきちんとした目的がある。


『歌姫選抜試験』


〝歌姫〟とは、歌の魔法を使う、王国に仕えるただ一人の魔法使いのことをいう。

 歌の魔法は歌に魔力を込めて使う魔法で、使える者はあまりいない珍しい魔法であり、人に影響を与えることのできる唯一の魔法でもあった。

 そんな魔法の持ち主の中から優秀な者を一人選び、国をあげての催事などで国民の安寧を願って歌の魔法を行使するのが歌姫であり、名誉ある職業である。歌姫は国と王家に仕える。歌姫の魔法は国と王家の要請がなければ行使してはならないが、その立場や衣食住は保障されている。

 ちなみに、〝歌姫〟といわれているが、それは女性でなけらばならないという決まりはない。過去には男性の歌姫もいた。


 現在の歌姫は女性であるが、高齢になってきたため、歌姫の仕事をこなすのが難しくなってきた。そのため、新たな歌姫を決めるための試験が王都で開かれるのだ。

 ミラはそれに参加するために、王都にやって来た。


「まずは宿を探かなきゃ。えっと、宿のある場所は……」


 歌姫選抜試験を受けるにあたり、宿も提供されていた。歌魔法を使える者自体が少ないため、地方からも人を呼び寄せたいのだろう。そのために、どこかの宿を貸し切っているらしい。


 レンガ造りの街並みを、宿の場所が書かれた紙を見ながら歩く。

 あまりにも人が多くて、少し気を抜けば誰かにぶつかりそうだった。ミラはなんとか人の波を潜り抜け、ようやく人通りが少なくなった──それでもミラの故郷よりは十分多い──道に出て、少しだけ気が緩んだ。

 もう一度、地図を見ようと下を向いた時、肩にゴンッと衝撃が走り、ミラは後ろに吹き飛んだ。


「いったぁ……」


 ミラが体を起こすと、目の前にゴツイ体格をした男がいて、すごい形相でミラを見ていた。


「ひっ……!」

「ってぇな、お嬢ちゃん……お嬢ちゃんのせいでオレの肩が折れちまったよ。どう責任を取ってくれんだ?」

「わ、わたしはなにもしてな……」

「あぁ? よそ見してただろうが! そのせいでオレは怪我しちまったんだ。ほら、治療費出せよ」

「お、お金は持ってません……」


 ミラの所持金は少ない。王都に滞在する間の食事代くらいしか残っていない。歌姫になれなかった時は、しばらく王都に残って働いてから帰るつもりだった。


「金がないなら、体で払ってもらうしかねぇな。よく見たらお嬢ちゃんは別嬪さんだしなぁ? いい金になりそうだぜ」


 舐めるように、ミラの全身を見た男に、ぞわりと鳥肌が立つ。

 そんなミラを見てニヤリといやらしく男は笑い、ミラの手を乱暴に引っ張った。


「い、痛い……! 離して……!」


 助けを求めようと周りを見ても、皆、遠巻きで見ているだけでミラを助けようと動いてくれる人はいない。

 都会の人は冷たいという。きっと、面倒事には関わりたくないのだろう。たぶん、ミラが同じような状況に出くわしても動けないだろうから、周りの人を責められない。誰もが皆、自分が一番可愛いのだ。


(歌うしか、ない……? でも、ここだと、関係のない人まで……)


 歌の魔法は通常の魔法とは違い、効果の範囲が広い。歌が聞こえたらその時点で魔法効果の範囲内になる。だから、使用する時は細心の注意を払わなければならない。

 小声で歌う方法もあるが、それだと効果が激減してしまう。恐らくこの場から逃げ出すことは無理だ。


 どうしよう、とミラが悩んだその時。


「──おじさん、その汚い手、すぐに離しな」


 空から、声が降ってきた。

 顔を上げると、すぐ近くの建物の屋上に、艶やかな黒髪に、夕焼け空のような不思議な色の瞳をした、まるで猫のような青年が腰掛けていた。

 アーモンドの形をした目をすっと細め、青年はまた口を開く。


「手ぇ離しなって言ったの、聞こえなかったの、おじさん? あ、もしかして耳が不自由だった?」


 癇に障る言い方をする青年に、男はムッとした顔をし、睨んだ。


「誰だ、おまえ!」

「耳じゃなくて言葉が不自由なのかなあ? ま、二回言ったから、三回目はないよ」

「なんだと……!?」


 目を血走らせる男に、青年は余裕の笑みを浮かべた。


「──『吹き飛べ』」


 青年がそう呟くと、男に向かって強い強風が吹き付け、大きな体が吹き飛ぶ。


「『拘束せよ』」


 なにか見えない力が男の体に巻き付く。

 青年は軽やかにジャンプをし、男の前に降り立つ。かなりの高さから飛び降りたのに、なんともない顔をしている。


「誰か、このおじさんを騎士の詰所に運んで。しばらく動けないから」


 青年がそう言うと、周りにいた男性たちが男を取り囲み、運んでいく。

 それをぼんやりとして見ていると、青年がミラの前に来て、手を差し出した。


「大丈夫、ミラ?」


 心配そうな彼に、ミラは微笑んで頷く。


「うん、大丈夫。ありがとう、セオ」


 ミラは青年──セオドアの手を取って立ち上がる。


「ミラは相変わらず危なっかしいな。出迎えに来て正解だった」

「忙しいんだから出迎えはいいって言ったのに……でも、お陰で助かった。ありがとう」


 にこりと笑うミラに、セオドアは得意そうな笑みを浮かべる。


「……なあ、あれってもしかして……」

「『黄昏の魔法使い』のセオドアじゃないか……!?」

「うそ。なんで彼がここに……?」

 

 周りがセオドアの正体に気づいてざわざわとし出す。困ったように周りを見るミラの手をぎゅっとセオドアは掴んだ。


「セオ……?」

「逃げるぞ」

「え?」


 そう言うなり、セオドアはミラの手を引いて走り出す。それに引っ張られる形でミラも続いた。

 しばらく走って、二人は建物の物陰に隠れた。呼吸を必死に整えているミラに対し、セオドアは呼吸すら乱れていない。辺りを注意深く見ていた彼は、深く息を吐く。


「……ここならバレなさそうだな」

「すっかり有名人だね、『黄昏の魔法使い』さん」

「よせよ、そのダサい名前」


 うんざりしたように言うセオドアに、ミラはくすりと笑う。

 セオドアはミラと同じ十七歳。その若さで、王国に仕える魔法使いたちのトップである魔術師団長の次期候補と言わしめる実力と功績を誇っている。

 ちなみに、セオドアの父が現在の魔術師団長である。

『黄昏の魔法使い』と彼が呼ばれるのは、その不思議な色合いの瞳が、まるで黄昏時のような色をしているからだ。ミラはセオドアのその瞳がとても綺麗だと思う。


「突然、王都に来るって聞いてびっくりしたよ。なんの心境の変化?」

「うん……あのね、わたし」


 ミラは服のポケットから一枚の紙を取り出して、セオドアに見せた。


「わたし、歌姫になりたいの」


 セオドアは紙をじっと見たあと、ミラを凝視した。


「……本気で言ってるの?」


 ミラはセオドアの反応に戸惑った。ミラの魔法のことを教えてくれたのはセオドアだ。内気なミラの大きな決断を、きっと喜んでくれると思ったのに。


「本気だよ。わたしは歌姫になる。そのための試験を受けに来たの」


 しっかり目を見て言ったミラに、セオドアはぎゅっと眉を寄せた。


「……無理だよ。ミラには歌姫なんてできっこない」


 ミラはセオドアの言葉に目を見開く。

 セオドアは応援してくれると思っていた。それなのに、まさかの正反対の言葉を聞いて、ミラは固まった。


「歌姫は諦めて、帰るんだ。……ほら、泊まるところないんでしょ? 今日は俺の家に泊まればいい。明日は王都を案内してやるから」


 そう言って掴んだセオドアの手を、ミラは思わず振りほどいた。


「……ミラ?」

「む、無理じゃない……! わたし、歌の魔法が使えるんだもの。歌姫になる資格はあるはずだわ」

「資格はあるかもしれないけど、ミラには無理だ」

「無理じゃないもん! ……セオは、応援してくれると思ったのに……もう、いい!」


 そう言ってミラはセオドアに背を向けた。


「セオに反対されたって、わたしは歌姫になるんだから……!」

「あ、おい! 待てよ! ミラ!!」


 駆け出したミラの背中に、呼び止めるセオドアの声が響く。

 けれど、ミラは振り向かなかった。

 歌姫になる。ミラはそう決めて、あの小さな町を出てきたのだから。



 ミラは小さな田舎町に生まれた。

 蜂蜜色のふわふわした髪に、いろんな色が混ざった不思議な色の瞳。少し垂れ目なミラは天使だと言われて、どこにいっても可愛いがられた。


 大人たちには可愛がられたけれど、子どもたちの間でミラは除け者だった。

 ある程度成長すると誰もが魔法を使えるのに、ミラはいつになっても魔法が使えなかった。そんなミラを変だと言ってからかい、仲間外れにした。


 内気な性格のミラはなにを言われても言い返せなかった。いつも一人で泣くだけ。

 あの日もそうだったはずなのに、一人の乱入者が現れたことで、ミラの世界は変わったのだ。


「ヘンな目の色! それに魔法も使えないなんて! おまえみたいな奴のこと、落ちこぼれのイタンジっていうんだぞ!」


 十歳になった今でもミラは魔法が使えず、仲間外れにされたままだった。今日も町のガキ大将のケイレブに苛められ、なにも言い返すこともできずに、ワンピースをぎゅっと握って俯いた。


「やーい、落ちこぼれの泣き虫ミラ! 悔しかったら魔法使ってみろよ!」


 わははっと笑う声に、目に溜まった涙が零れようとした時、


「──『水よ、降れ』」


 ドバッと目の前で大量の水が零れる音がして、ミラはハッと顔を上げる。

 すると、目の前にはまるで濡れ鼠になったようなケイレブたちがいた。


「な、なんだ……? 今の魔法……?」


 動揺するケイレブは、ぎょっとした顔でミラを見た。


「ま、まさかおまえが……?」


 違う、とミラが言おうとした時、空からなにかが降ってきた。

 そのなにかは、ミラと同じくらいの男の子だった。


「使えるものなら使ってみろって言うから魔法使ったんだけど……だめだった?」


 猫のような目をした彼は不思議そうに顔を傾げた。そんな彼に、ケイレブはたじろぐ。


「だっ、誰だよ、おまえ……!?」

「俺はセオドア。昨日からこの町にいる」


 よろしく、と笑ったセオドアに、ケイレブは一歩後退り、「覚えていろよ!」と言い捨てて子分を連れて逃げた。


「あれ……? 嫌われちゃったかな、俺」


 不思議そうな彼に、ミラはおずおずと声をかける。


「あ、あの……助けてくれて、ありがとう……」

「俺は自分のしたいことをしただ、け……え?」


 セオドアはなぜかミラを見て頬を染めた。

 不思議に思ってミラが首を傾げると、セオドアはぎゅっとミラの両手を握った。


「好みのタイプだ!!」

「……え?」

「あ……じゃなくて! 俺はセオドア。君は?」

「わたしはミラ」

「ミラ……ミラかあ……」


 セオドアはブツブツとなにかを呟いたあと、ミラを見てにこっと笑った。


「……ねえ、ミラ。さっきの……君が魔法を使えないって本当なの?」


 唐突な質問に、ミラは驚いた。そして顔を暗くして頷く。


「うん……使えないの」

「うーん? おかしいな……なんか魔力感じるんだけど……」


 またブツブツとセオドアは呟く。独り言の多い子だな、とミラが思っていると、セオドアは「わかった!」と叫んだ。


「ミラ! あーって言って?」

「え?」

「いいから、いいから」


 よくわからないながらも、ミラはセオドアの言う通りに「あー」と言う。

 それを聞いて、セオドアはぱっと顔を明るくした。


「やっぱり! ミラの声から魔力がする」

「え……?」

「すごいね、ミラ! 君は歌の魔法が使えるんだ! 瞳の色、虹色だもんね。きっとミラはすごい魔法使いになるよ」


 キラキラした目で言うセオドアに、ミラは戸惑った。


「歌の魔法ってなに……?」


 そう問いかけたミラに、セオドアはわかりやすく歌の魔法について教えてくれた。

 歌の魔法は、発動した本人が歌にイメージしたものを反映する魔法。たとえば、みんなに笑ってほしいと願って歌えばみんな笑うし、悲しんでほしいと願えば悲しむ。練習を重ねれば、森羅万象をも支配できるという。


 通常の魔法は六属性に分けられる。

 火、水、風、土、光、闇。それらの属性を与えられる者もいれば、無属性といって、全部の魔法を使える者もいる。属性を与えられた者はその属性を極めやすいのに対し、無属性は全部の属性を使えるが属性を与えられた者ほどの魔法は使えない。


 対して、歌の魔法はどの属性にも縛られない。歌に乗せればどの属性も使えるし、また人に影響を与えることもできる、ある意味最強の魔法だった。

 ただ、その弱点は歌の聞こえる範囲すべてが魔法の影響下におかれること、だろうか。

 そのため、歌の魔法は扱いがとても難しい。


「わたし、本当にそんなすごい魔法が使えるの……?」

「間違いないよ、この俺が言うんだから。なんなら、試してみる?」

「試す?」

「ほら、ここにもう少しで咲きそうな蕾がある。花よ咲けって思いながら、なんでもいいから歌ってみて?」


 半信半疑ながら、ミラは言う通りに歌ってみた。

 歌うことは好きだった。歌うとみんな笑顔になる。暗い顔をしていてもみんな笑ってくれるから、ミラはよく歌った。

 花が咲きますように、と願いながら目を閉じて歌う。そして歌い終わって目を開けると、満面の笑みを浮かべたセオドアがいた。


「ほら、見て! ミラが歌ったから花が咲いたんだ」


 先ほどまで確かに蕾だった花が咲いていた。それどころか、周りの木々にも花が咲いていた。


「本当に……? これ、わたしが……?」

「そうだよ。君が咲かせたんだ」

「わたし……魔法が使えたんだ……」


 魔法が使えたことが嬉しかった。

 これで仲間外れにされることはもうない。だけど、内気なミラはこれをちゃんとケイレブたちに言えるだろうか。


 顔を曇らせたミラに、セオドアはきょとんとして「どうしたの?」と尋ねた。

 ミラはケイレブたちに魔法が使えることをしっかりと言える自信がないのだとセオドアに打ち明けると、彼はなるほどと頷いた。


「じゃあ、俺が君に魔法をかけてあげる」

「魔法?」

「そう。ミラが言いたいことを言えるようになる魔法」

「そんな魔法があるの?」

「あるよ」


 セオドアは自信満々に頷いた。

 そんなすごい魔法があるのなら、かけてほしい。ミラが期待に胸を膨らませて、セオドアを見る。


「じゃあ、魔法をかけるよ」


 そう言ってセオドアはミラに近づき──額にキスをした。

 突然のセオドアの行動に、ミラは目をぱちくりした。


「はい、言いたいことが言える魔法! これでミラは、えっと……ケーブレ? だっけ? とにかく、あいつに魔法使えるって言えるよ」

「……ほんとに?」

「本当、本当。ほら、今から言いに行こう」

「ま、待って……! もし、言えなかったら……」

「言えなかったら、また魔法をかけてあげる」


 にこっと、セオドアは笑う。


「俺は魔法使いだから。何度だって、君に魔法をかけてあげる」


 だから、失敗してもいいんだよ。


 そう、言われた気がした。

 そしてミラは、そんなセオドアの笑顔がとても眩しかった。そして──優しい彼の魔法に、かけられたのだ。



 あの日から二ヵ月経って、セオドアは町を出て行った。セオドアの父親はいろんなところを旅しているようで、セオドアもそんな父親について旅しているのだ。

 セオドアが町を去ったあとも、二人は手紙でやり取りをしていた。頻繁に届くセオドアの手紙が待ち遠しかった。


 そんなある時、『黄昏の魔法使い』の噂を聞いた。ミラと同い年の夕焼け色の瞳を持つ少年がそう呼ばれているのを知り、セオドアによく似ているねと手紙で書いたら、 本人だと回答が返ってきた。

 それにミラは驚いて、すごいと感心した。セオドアの噂が届くたびに誇らしい気持ちになるのと同時に、寂しくもあった。


 セオドアが、ミラの知らない誰かになってしまった気がして。

 セオドアが活躍するのは嬉しい。でも、そのたびに遠くに行ってしまったような心地がする。

 あのミラに魔法をかけてくれた少年が、いなくなってしまうような気がして、ミラは焦燥に駆られた。


 少しでもセオドアに近づきたい。

 だけど、こんな田舎ではやれることなんてたかが知れている。

 そんな時、『歌姫選抜試験』のことを知った。

 歌姫になれば、セオドアに追いつける。

 そしたら、セオドアに言うのだ。

 ──セオが好き、と。


 歌姫にならなくても、王都に行けばセオドアはミラを気にかけてくれるだろう。

 でも、それではだめなのだ。ミラはセオドアに相応しいと言われるような、そんな人になりたかった。そのために、自分の実力で歌姫になろうと決意し、必死に歌の魔法の勉強と特訓をした。


 セオドアに反対されても、嫌われても、ミラは歌姫になる。そして、自信を持ってセオドアの隣に立てる自分になりたい。

 そして、ちゃんと自分の口で告白するのだ。セオドアの魔法がなくても、言いたいことが言えるようになったのだと、示したい。


 セオドアから逃げたミラはなんとか宿を見つけ出し、ふかふかのベッドに寝転んだ。

 試験は明後日から行われる。

 どんな人たちが集まるのだろう。でも、誰であっても負けたくない。

 こんなふうに思ったのは初めてだった。こんなふうになにかに打ち込むのも、セオドアと喧嘩したのも、生まれて初めて。


 わたしは絶対に歌姫になる。


 そう言い聞かせて、ミラは瞼を閉じた。



 コンコン、とガラスがなにかに叩かれる音で目が覚める。どうやら眠ってしまったらしい。

 なにかと思い、音のした窓に近づくと、ブスッとした顔をしたセオドアがいた。


「セオ……!? ここ二階……むぐっ」

「しーっ! 騒がないの。バレちゃうでしょ」


 思わず窓を開けて叫んだミラの口を、セオドアの大きな手が塞ぐ。

 そしてミラの許可なく部屋に侵入する。


「……ふーん。わりといい部屋だね」


 セオドアは部屋を物色しに来たのだろうか。

 無言でじっとセオドアを見つめるミラに、セオドアはため息をついた。


「……あのさ。やっぱり考え直さない?」

「歌姫のことなら考え直さない」

「頑固だなぁ」


 困った顔をするセオドアに、ミラは俯く。

 どうしてそこまでセオドアはミラが歌姫になるのを嫌がるのだろう。


「ミラはさ、歌姫に必要なものを知っている?」

「必要なもの……? 歌の魔法じゃなくて?」

「歌の魔法以外で」


 そんなこと、選抜試験の内容に書いてあっただろうか、とミラは首を傾げる。


「知らない……そんなもの、書いてなかったもの」

「まあ、そりゃあそうだろうな。じゃあ教えてあげる。『恋』を知っていること、だ」

「……恋?」

「そう。なんでも、歌姫にしか伝承されない歌の魔法は恋を知っていないとだめなんだとか。その魔法は国の大事な祭事に必要なんだってさ。だから、歌姫は恋を知っていないといけない。それに大勢の前で歌わなきゃいけないし、自由に行動もできなくなるし……ほらね? ミラには無理でしょ?」


 そう言ったセオドアに、ミラは首を横に振る。


「無理じゃないよ」

「……無理じゃない?」


 きょとんとしたセオドアに、ミラは微笑む。


「うん。だってわたし──恋を知っているから」


 そう言ったミラに、セオドアは呆然とした顔をした。


「……え? ほら、だって前の手紙に恋ってどんな感じかなみたいなこと、書いてあったよね……?」

「それは……参考までに聞いただけで」


 そっとセオドアから視線を逸らして言う。

 セオドアが恋についてどういうふうに思っているのか知りたくて書いたなんて、とても言えない。


「そ、そっか……ミラが、恋を、ねえ……?」

「そんなに意外だった?」

「いや……うん、まあ。そうだね……ちなみに誰?」

「教えない」


 顔を背けたミラに、セオドアは困った顔をした。


「じゃあ……俺は余計なお世話をしちゃったわけか。なんか……ごめん。それなら…その俺はミラを応援する」


 少し元気がないが、セオドアに応援すると言ってもらえて、ミラは嬉しくなった。


「うん。わたし、がんばる。あのね……もし、歌姫になれたら……セオに話したいことがあるの」

「話したいこと? 今じゃ言えないの?」

「うん。今は言えない」


 きちんと、あなたの隣に立てるわたしになってから伝えたい。

 きっぱりと言ったミラにセオドアは訝しそうにしながらも、頷いた。


「ふーん……わかった。聞く」

「ありがとう」


 ふわりと笑ったミラに、セオドアは少しだけ複雑そうな顔をしたあと、「じゃ、帰るね」と言って窓から帰っていった。

 音もなく地面に降り立ったセオドアを見て、相変わらずだなと思った。

 そして、セオドアと話したことで、さらにがんばろうと思えた。




 歌姫選抜試験は二日に渡って行われる。

 歌姫になるために集まったのは十人程度だった。年齢も性別もバラバラで、みんな自信に満ちあふれた顔をしていた。

 一日目は軽い魔法の試験でなんとか無事に終わることができた。今日が試験の最終日で、多くの人の前で歌わなければならない。

 外は次代の歌姫の誕生を待ち侘びる人々で賑わっている。軽いお祭り騒ぎだ。


 緊張で、指が震える。

 大きく深呼吸をして、セオドアの魔法を思い出す。そうすると、彼から勇気をもらえる気がした。


(セオ……わたしに勇気をください)


 ミラの名前が呼ばれた。

 緊張で、どう歩いているのかもわからない。ドクンドクンと胸の鼓動がやたらと大きく聞こえる。この日のために作られたステージに立つと、わあっと人々がざわめき、たくさんの人に見られているこの状況に、頭が真っ白になった。


「八番、ミラさん。歌ってください」


 そう言われて、ハッとする。

 歌おうと口を開くが声が震えた。


(わたし……だめかもしれない……)


 泣きそうになって諦めかけれた時、ざわっと会場が湧いた。

 いつの間にか俯いていた顔をあげると、会場にいる人々がぽかんとした顔をして空を見上げていた。

 ミラもそれに倣い、顔を上げると──セオドアが宙に浮いていた。


「あれって黄昏の……」

「すげぇ、魔法で空飛べるんだ……!」


 セオドアは宙に浮かんで胡座をかき、ミラを見るとにっこりと笑った。そして、ミラにしかわからないように、魔法で声を届ける。


 ──がんばれ、ミラ!


 ああ、わたしのピンチを救ってくれるのは、いつもセオだ。

 いつの間にか緊張がどこかにいき、ミラは目を瞑った。


 そして、心を込めて、全身全霊で歌う。

 セオに向けて、あなたが大好きです、と──。



 そして、ミラは見事に歌姫に選ばれた。

 嬉しくて、真っ先にセオドアに言いたくて、いろいろなことを置いて、セオドアに会いに行こうと駆け出した。

 そして見つけた彼の姿に、夕陽が重なる。

 まるで溶けて消えてしまいそうなほど綺麗で、消えてしまう前にミラはセオドアに抱きついた。


「……ミラ?」

「セオ、あのね……」


 なにから伝えよう?

 そうだ、あなたに魔法をかけよう。


「わたし今日、セオのために歌ったの」

「俺のために?」


 不思議そうな顔をしている、ミラよりも背の高い彼の服を引っ張り、ミラはその唇に触れた。

 驚いた黄昏色の瞳が、夕焼け空の色と相まって、とても綺麗だった。


「今ね、あなたに魔法をかけた」

「魔法……?」


 ぽかんとするセオドアに、ミラは微笑む。


「きっとわたしのことが好きになる魔法。──わたし、セオが好き。どうか、わたしのことを好きになって」


 セオドアはミラの言葉に目を見開いて、ミラの大好きな笑みを浮かべた。


 そして──返事代わりの二回目の魔法を、君はわたしにかけてくれた。

 

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