第88話 誕生日(日下部side01)

 何か責任らしきものを感じたのか、水元くんは二階のドレスルーム兼写場(なんでそんなものが個人宅にあるのかはもう考えないことにした)まではついてきてくれた。

「ねえ、どうしたらいいのよ私」

「あとは、その、頑張って」とそそくさと階下へ逃げて行った。

「薄情者!」

「さ~、椿ちゃ~ん。楽しいお着替えの時間ですよ~」

「ひいっ」


そして、

「椿ちゃんいいわ~。素敵よ~。もう少し胸を張って~、足は前後に~、前に出てる方の腰に手を当てて~。きゃ~最高~。次はもうちょっとセクシー路線で~」

「ええと、あの」

「大丈夫よ~。そのドレス前かがみになっても見えないから~。絶対大丈夫~」

「そういう問題ではなく」

「表情かた~い。もっとこう、色気っていうか~しなを作るっていうか~」

「しな、ですか」

「好きな人を悩殺するつもりで~」

 好きな人、か。

「あ、いいわ~。その雰囲気素敵よ~」

 といった具合で、写真家水元唯子のモデルになるという、我が人生でも最も誇らしくもあり恥ずかしくもある時間はあっという間に過ぎ去っていった。

 最終的に、髪まで唯子さん自らセットしてくれて、サテン地の濃いブルーのイブニングドレスを着せられて終了。水元くんが言ってたとおり、このドレスは頂けるらしい。このまま着て帰っていいって。着てきたスーツは上等な紙袋に入れて渡された。


 あー、でもどっと疲れた。

 慣れないことはするものじゃあない。

 ソファに腰掛けてぐったりしていると、

「今日撮った写真も近いうちに送るわね~。こうちゃんの会社に送ればいい~?」

「ええええと、はい、恐縮です。ありがとうございます唯子さん」

「いいのよ~。私の趣味だから~」

 天国なのか地獄なのかよくわからない気分だわ、これ。


 ちょっと休憩したあとで、唯子さんに案内されて、馬鹿みたいに広いリビングに通された。リビングでは家主であるゲンキさんがシャンパンを飲んでいた。

 私たちに気付くとすぐに立ち上がり、

「日下部さん、いいね。素晴らしい。さっきのスーツ姿も凛々しかったが、ドレス姿はまた一段と美しい」

 過剰なリップサービスを頂戴した。

「お褒めいただきありがとうございます。あの、ゲンキさんとお呼びしても?」

「構わんよ」

「改めて、今日はお招きいただきありがとうございます。こんな素敵なドレスまで」

「いやいや、こちらこそ私的な誕生パーティに足を運んでくれて感謝しています。それも平日の夜、のパーティに」

 嫌味ではないけれど含みのある言い方。

 牽制のつもりかしら。

 それならやり返しておくしかない。

「関係なくもない、ですけれど」

 ゲンキさんは、ほう、という表情をわざとらしく作ってみせた。

「ルゥちゃんと日下部さんの関係性、とは?」

 私は羞恥心を飲み込んで、世界的冒険家にはっきりと言ってやった。


 数舜の間。

 その直後、

「ははははははは! 日下部さんほどの女性が、うちのアレを! そうかね! それは大変ありがたい!」

 芝居がかった調子で大笑された。

 唯子さんも「きゃ~」とか言って手を叩いている。こちらは普通に楽しそう。

 あー、言っちゃったわw。言ってみたらやっぱ恥ずかしい。顔が熱い。


 両手で顔をパタパタ扇ぐ私の前で、ゲンキさんは急に真顔になった。


「だがね、大変申し訳ないが、浩一郎のことは諦めてくれたまえ。アレには許嫁がいるのだよ。今日のパーティの主役がそうだ」

 父親直々に引き下がれときた。

 今は令和の世ですよ、世界的冒険家さん。

「それも知った上ですよ、私は。あの子のお父さんの遺言、許嫁の約束、同居生活。何もかも知ってます。それでも私は、最後のトドメを刺されるまでは諦めませんよ」

 そこまで言い切ると、ゲンキさんはシャンパングラスを置いて拍手をしてくれた。

 おそらく、私の言葉に対して。

「実に素晴らしい。日下部さんは見た目よりもずっと情熱的でチャーミングな方なようだ。もし、うちの愚息がキミを選ばなかった時には、私が責任をもってキミに相応しい相手を引き合わせることを確約しよう。だから、まあ数年はかかるかもしれんが、心おきなく我が親友の遺した愛娘と競い合ってくれたまえ」


「いい男と引き合わせてくれるんですか!?」

 あ、しまった。心の声が表に出ちゃった。

 けれどそれすらゲンキさんは面白がった。

「いいね! 実にいい! そういう貪欲さも非常に好感が持てる。私がもうあと二十年若ければほっとかないのだがいたたたたたた」

「若ければなんですって~? パ~パ?」

「母さん! 痛い! 耳がちぎれるよ!」

 ゲンキさん、唯子さんには滅法弱いらしい。面白い夫婦だわ。

 その唯子さん、私を評して曰く、

「それにね~、椿ちゃんはそんな安い女じゃないわよ~。うちのこうちゃんに目をつけるくらいなんだから、そんじょそこらの男じゃ釣り合わないわ~。紹介してやるだなんて失礼よ、ね~?」


「いえ、あの、はい。過分な評価を、ありがとうございます」


 あっ、でも紹介いただくこと自体は全然やぶさかではないのですが……。

 とは言えなかった。流石に。

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