女神の微笑

その時、それを裏付けるかのようにオーク達の鬨の声が上がる。勝ち誇ったような力強い吠え声。

 

 後ろを振り返りたいところだが、こちらもまた危機だ。奴らオークどもは、中央への突撃に合わせるかのようにこちらに向かって突っ込んできた。

 

 凄まじい咆哮を上げながら。

 

 その咆哮は、さしずめ発情期の雄熊か怒り狂った虎のようだった。地面を揺るがすような吠え声に、武器を構えたラハナー達は震えあがった。

 コルバソフ分隊長が負けじと声を張り上げる。

 

 「来るぞ!負けてんじゃーぞ!盾を構えろ!槍を持っているものは---」

 

 分隊長が最後まで叫ぶ前に、第一列にオーク達がぶつかるように攻撃を仕掛けてきた。…ぶつかるように…いや文字通り体当たり攻撃だ。

 第一列の歩兵達がへっぴり腰で突き出した槍は、オーク達に軽々と避けられ、奴らの剣や手斧で穂先を薙ぎ払われた。信じられないことに、オークどもは誰一人として倒れている者はいなかった。浮足立った討伐隊は、豚どもを一人として傷つける事すら出来なかったのだ。

 

 ラハナーの前に立っていた歩兵もオークの体当たりを受けて無様にひっくり返った。ラハナーの眼の前の視界が急に開けた。そして飛び込んできたのは、倒れた歩兵に馬乗りになってとどめを刺そうとするオーク。奴はなたのような内反うちそりの分厚い刃を持つ刃物を振り上げていた。

 

 あんなもん振り下ろされたら、下になっている仲間の首と体は永遠に泣き別れだ。咄嗟にラハナーは飛び出して助けようとした。だが身体がすくんで動けない。余りにも圧倒的な勢いの差を見せつけられ恐怖した身体は、まったく言う事を聞いてくれなかった。

 

 その瞬間だった。ラハナーの身体は強い衝撃を受けて横ざまに吹き飛ばされた。眼の前の景色が曇天の空を映し出す。左の腰が麻痺して立ち上がることが出来ない。ラハナーは仰向けにひっくり返って倒されていた。

 

 (なんだ…?何が起きたんだ?)

 

 息を喘がせながら、何とか首を少しだけ捻ると、戦いの様子が見て取れた。防衛線はあちこちで破れていた。その突破口に次々とオーク達が躍り込み、兵士達と乱戦を繰り広げている。


 どうやら、立ちすくんでいた時、横の防衛線が破られて、そこに飛び込んできたオークに体当たりを喰らったらしい。

 その証拠に、痛みは少しづつ引いていき、麻痺した下半身も感覚が戻ってきた。ラハナーは恐る恐る腰に手をやり、触った手のひらを眼前に掲げてみたが血はついていなかった。

 

 (助かった…刃物じゃなかった…このまま死んだふりをした方が良いのか…どうしよう…)

 

 敵味方ともラハナーには目もくれない。それがラハナーを少し落ち着かせることになった。ラハナーは自分の身体を、どこの位置に留めるか思案しようとした。

 

 その時だった、分断された前方から歓声が聞こえた。…歓声。人間の声。豚共の下品な叫び声じゃない。美しい楽器が奏でるような人間の声だ。

 

 「騎士殿だ!騎士殿が騎兵隊を連れて救援に来てくれた!」

 「よし!合流できる!」

 

 討伐隊の中でも精鋭中の精鋭、騎士団が救援に駆けつけたのだ。

 

 …騎士殿…騎兵隊… その叫びはラハナーにとっては、甘美なまでの旋律に聞こえた。

 

 (騎士団が助けに来た!オークの真っただ中に居る訳にはいかない!)

 

 ラハナーは身体を転がしながら仲間の元へと戻った。気が付いた誰かが腕を取って助け起こしてくれた。

 

 「大丈夫か?」

 「あぁ、体当たりを喰らっただけだ。もう立てる」実際、腰の痛みは嘘のように引いていた。

 現金なもので、下半身の痛みは嘘のように消えていた。ラハナーは無意識に固く握られた右手を見た。そこには父から譲られたハンマーピックは握りしめられていた。体当たりを喰らってもなお、手放すことのなかった愛用の武器だ。

 

 (よし…俺は兵士だ。騎士殿が救援に来てくれた!俺は薄汚い豚どもを全員ぶち殺すのが仕事だ。後からのオークは全部防ぐ。だからロダルテ分隊、オーベリソン分隊…頼むぞ! なんとか本隊と合流してくれ!)

 

 ラハナーの身体に、心に猛然たる戦意が湧き上がった。

 

 (やってやる!ぶちのめしてやる!)ラハナーはオークを睨みつけた。オークどもも、負けじと睨み返して唸り声を上げる。だが気持ちが高揚しているラハナーは、ちっとも怖くなかった。

 

 (こっから逆転してやるよ豚ども!お前ら全員地獄に叩き落としてやる!)

 

 その時、ラハナーの頭の中には、王国民が信仰する戦いの女神『アイギナ』が、その美しい顔を彼に向け、艶然と微笑み掛けてきた気がした。

 

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