"土竜の眼" (2)
(……この『さくせん』とやら、確かに理に適っている……のかもしれない。だが、こう言った戦い方をするのは、人間どもの他に……エルフか?……いや、あいつらは長弓の正確な射撃と、魔法剣士どもの魔法攻撃でこちらを近づけさせない、女々しい戦い方をする……。全く卑怯な戦い方だ。ドワーフ……そう、ドワーフか。この度の戦いの『さくせん』は、ドワーフの戦い方に似ている……)
"土竜の眼"の一族は、以前に一度、ドワーフの民と戦った事がある。彼らは筋骨隆々で力の強さはオークに引けを取らない。だが背が低く、動きが鈍いドワーフ達は、その弱点を補うべく
(その時の戦いでは、我らが一族が勝利を収めた。だが、彼らの勇気と戦いぶりに、我らは敵ながらドワーフを称賛したものだ……)
あのドワーフのような戦い方を……出来るのか?……いや出来る出来ないでは無い。もう戦いは始まっているのだ。谷底を汚らわしい人間どもが行軍している。谷の上からは、それが一望できた。
先頭集団は、こちらの攻撃を跳ね返す見たことも無い陣形を操る重装歩兵ども……その後を騎士とかいう馬に跨った、やたらキラキラピカピカ光る金属鎧を身に付けた指揮官達が続く。
その後には、皮鎧やキルトアーマー、鉄製の
隊列の周りには、”追跡者”と呼ばれる兵士達が犬を連れ、隙の無い動きを見せながら追随している。
(あいつら……気に食わない……そしてあの犬ども……あの犬が厄介だ……我らがどれだけ上手く身を潜めても、気配と匂いでこちらを暴いてくる……忌々しい奴だ……と言うか……何故だ?我らは、そんなに匂いを発するのか……?)
"土竜の眼"にとって心外だった。我らオークは人間どもが思うより、ずっと清潔だ。二週間に一回は川で己の身体を清める。……充分ではないか。なぜ、匂いがするのだ?
そんな事を思いながら、討伐隊の縦列を見ていると……その時、心臓が跳ね上がる。最後尾が谷に入ったのだ。……”深い水底の魚”は、魔力を温存するために”魔眼”を持つ動物を操ってはいない。"土竜の眼"……彼自身が、討伐隊の最後尾を確認しなければならない。
(『討伐隊が、全て谷に入ってから……奴らが谷底を埋め尽くしてから攻撃する』百人隊長はそう言った。ここは慎重に……大丈夫だな……間違いない……間違いないな……)
横にいるオークが、身体をそっと動かす気配がした。"土竜の眼"は、横を見た。”冷たき血”が長弓を谷底に向けると、弦を静かに引き絞り始めた。彼もまた、隊列の最後尾が谷に入ったと判断したのだ。
『よし……お前ら……攻撃準備』
他のオークも短弓に矢をつがえる。谷底の討伐隊は丸見えだ。まさに動く的だ。”さくせん”で百人隊長に言われた通りに、"土竜の眼"は心に強く念じる。
『”深い水底の魚”よ……。対面の弓兵達に、”我らが弓を放つのが見えたら、すぐに続けて攻撃せよ……”と、おぬしの
『承知した』”深い水底の魚”の落ち着いた声が、すぐさま心に中に響く。
"土竜の眼"は、周りの部下達が弓を引き絞り、木々の葉の間や草むら、岩陰から狙いを付けたのを確認した。
(よし……)腕を振って攻撃開始の合図を送ろうとした時、討伐隊の”追跡者”の一人が、不意にこちらを見上げた。次の瞬間、谷間に鋭い笛の
(バレれたのか?!……構わん!人間ども……もう遅いわ!)"土竜の眼"は腕を振り、攻撃開始の合図を送った。
谷底に向かって、50本の矢が風切り音を響かせながら吸い込まれて行く。その直後、対面の谷上からも同じ数の矢が放たれた。
『放て……!矢を放ち続けろ。狙いは大雑把で良い。撃ち続けろ』
"土竜の眼"は心の中で叫んだ。部下のオーク達は、次々と矢を放つ。討伐隊の最後尾は慌てふためいて逃げまどっていた。だが、隠れる場所は余りにも少ない。 奇襲が完全に成功したので、陣形を作り、盾を掲げるという行動も起こす余裕のある者は一人もいない。そして、この状態を立て直そうとする指揮官もまた……一人もいない。
部下が放つ矢は、雨のように討伐隊に降り注ぎ、そして
(高所を取れば有利なのは分かっていたが……これ程までとは)
血気盛んなオークは、折角有利な場所を保持していても、敵が怯むとその滾たぎる血を抑えきれずに、すぐに剣や手斧を手にすると突撃した。だから、人間どもがこちらの矢の攻撃を受け続け、右往左往している状態を見るのは初めてと言っても良かった。
"土竜の眼"は、この混乱を立て直そうとする指揮官が居れば、狙い撃ってやろうと考え、先祖から受け継ぐ自慢の長弓を谷底に向けた。
その時、遥か前方から大きな鬨の声が響くと、二つの巨岩がぶつかるような凄まじい衝撃音と振動が起きた。
『”熊と踊る”……頼むぞ! おぬしの巨体と闘志……全てを討伐隊やつらにぶつけてやれ……!だが……焦るなよ……”さくせん”通りに行け……忍耐だ……』
オークの正面が討伐隊の先頭部隊と衝突した。その音が合図だった。どこからともなく太鼓の音が聞こえてくる……”戦いの呼び声”が打ち鳴らす、次への行動の合図だ。
細かく刻むような太鼓の連打は、オーク達の戦闘本能を高揚させた。そして弓兵と同じ場所で身を潜めていた伏兵が、一斉に立ち上がると武器を振りかざしながら斜面を駆け下り、混乱している最後尾の部隊に躍りかかった。
短弓隊は、同士撃ちを避けるために矢を射るの止める。"土竜の眼"は、百人隊長から与えられていた次の命令を下した。
『よし、お前ら。今度は最後尾を援護する奴らを妨害せよ。我らの仲間に一歩も近づけさせるな』
部下達は忠実だった。一斉に弓を少し前方に向けると、最後尾を援護しようと動き始めた討伐隊に矢の雨を降らせる。
"土竜の眼"が、部下達の射撃を観測している時、ふと谷底から規則的な笛の音が聞こえてくるのに気が付いた。谷底に目をやる。数少ない岩陰の一つに、皮鎧を身に付けた一人の兵が、こちらの動きを見ながらしきりに笛を吹き、仲間にこちらの動きを伝えている。
(先ほどの”追跡者”か……。勇敢な奴だ。この状況になっても、己の役割を果たそうとしている。残念ながら、状況はお前達にとって手遅れだが……だからと言って……見過ごすわけにはいかん)
"土竜の眼"は弓に矢をつがえると、岩陰に狙いを付けた。岩の端から皮鎧がチラチラ見えるが、ギリギリ射線は通らない。だが、彼は焦らなかった。狩りをする時を思い出した。……利口な狐も隙は見せる。
”追跡者”は、岩陰から対面の谷を駆け下りるオーク達の様子を窺い笛を吹く。そして、こちら側を偵察しようと身体の位置を変える。
(隙を見せたな……狐が。そこから顔を出すのだろう)"土竜の眼"は岩の端にピタリと狙いを付け、自分が”追跡者”自身になったつもりで呼吸を合わせた。奴の身体に力が入る……弓を持つ”土竜の眼”の腕も、その動きに同調した。
(そこだ)
彼は矢を放つ。風切り音を立てて、矢は狙った場所に真っすぐ飛んで行く。次の瞬間、”追跡者”が岩陰から顔を突き出した。
……奴は、驚いた顔も出来なかっただろう。顔面を射抜かれて仰向けに倒れるのがチラリと見えた。
(敵ながら勇気のある者だ……。称賛すべきだ。だが、この度の戦いでは、我らが勝利せねばならないのだ)"土竜の眼"は心の中で呟いた。
感傷は一瞬だった。谷を駆け下り最後尾に斬りかかるオーク達を見て、一人の指揮官が部下を叱咤激励しながら、自らも剣を抜き戦いに参加している。彼を見て、混乱していた最後尾の兵たちも、反撃すべく戦意を掻き集めているように見えた。
(反撃の芽は刈り取っておかねばならぬ)彼の長弓は、今度はその隊長に狙いを付けた。
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