デリリウム・デリュージョン
木船田ヒロマル
橘高ヒロト
夜の廃病院。
大都会の真ん中にありながら、普段は忘れ去られたように人の気配のない静寂と闇の空間。
その闇に、眩しい光の直線が一条、音も無く走った。
ガラスの破片やら朽ちかけた何かの書類やらが散らかる暗い廊下を全力で走りながら、僕は背後から放たれたそのフッ化クリプトンエキシマレーザーを左に身体を振ることで躱した。
二条。頭を下げて躱す。
三条目は右に、四条目は少しジャンプして足の下を通す。
僅時間未来予知感覚──「アプリオリ」と定義される僕の「職能」。その恩恵はこの六秒程の間に四回も僕の命を救ってくれた。
だが、多少未来が予知できた所で僕の対処能力を超えた圧倒的な暴力からは身を守れない。
例えば、某国がアニマトロクスとサイバネティクスの技術の粋を集めて生み出した、四体のサイボーグドッグの強襲とか。
ワンワンガウガウとご丁寧に実際の猛犬の音声をサンプリングしただろう咆哮を上げながら高速で僕に追い縋る四体の機械の獣。そちらに注意を向けた瞬間、アプリオリの能力が微妙に異なる分岐した無数の未来を僕の脳裏にフラッシュさせる。
たった一つの「三秒後」を除いて、全ての未来で僕はブリキの狂犬に押し倒されてあっという間にボロ切れのように引き裂かれていた。迷わず僕はたった一つ僕が生き残る未来に繋がる行動を選んだ。
「ロザ!」
「ああ!」
呼び掛けに短く応えた女性型アンドロイドは、廊下の床を踏み割りながら加速して僕とすれ違い、窓からの街灯りをガンメタリックに跳ね返す超合金の四足動物の一匹を無造作に掴み、二匹目に向かって投げ付けた。火花を上げて衝突した二匹が廊下の暗闇の奧にすっ飛んで行く。残る二匹の内、一匹は正面から真っ直ぐ彼女に突っ込み、もう一匹は床を蹴り壁を走って跳ねて天井至近の空中から彼女に飛び掛かる。
彼女の長い黒髪が綺麗な円を描いた。
彼女は空中の猟犬型無人戦闘ビークルを回転蹴りの踵で捉え、そのままもう一匹と纏めて床に叩き付けた。床は砕けて大きく凹み、大規模集積回路と高張力ジェラルミンで象られたキリングマシンは、元の回路とジェラルミンの部品とに還った。
「大丈夫か? ヒロト」
「助かったよロザ。ありがとう」
「礼には及ばない。我々は」
「まだだ! 後ろ! レーザーの後に跳躍!」
僕自身も伏せながら、相棒の少女ドロイドに予知の内容を叫ぶ。彼女は鋭く反応し、敵のレーザーを回避しながら左手首から何かを引き出すような仕草をしつつ汎用四足獣型モジュール「バスカビル・システム」の最後の一体とすれ違った。
ハサミで切った写真のように、そのシルエットが二つに分かれた。
銀=炭素ポリイン単分子ワイヤー。
科学が生み出した冥府の蜘蛛糸は、同じ科学を母に持つ自律捜索追跡攻撃デバイスを無慈悲に冥府の底へと誘った。
「我々は、チームだ。なんの問題もない。そうだろ、パートナー」
彼女は何事もなかったように途切れた話の続きの言葉を継いで、僕を振り返って微笑んだ。
僕も彼女に微笑み返し、ふう、と一つ息を吐いた。
そう。任務は成功。彼女との関係は良好。なんの問題もない。
【僕の本名が「青木ヒロシ」で、この世界──このライトノベル、「デリリウム・デリュージョン」の作者である、という一点を除けば。】
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