攻略対象者な彼と近所のお姉さんな私

増田みりん

第1話



 私の家の真向かいにある上池かみいけさんちには、私と同い年の男の子がいる。

 暢介ようすけという名の彼と私は昔から気が合って、よく一緒に遊んでいた。


 小学校に上がる前に、暢介に弟ができた。

 春樹はるき、と名付けられた彼の弟は、それはもう、すっごく可愛くて、まるで天使のようだった。

 私は暢介そっちのけで彼の弟の世話を焼いた。私には一つ年上の姉がいるけど、下には弟も妹もいなく、ずっと弟か妹が欲しいと思っていたのだ。

 それはもう、おしめを変えることからミルクをあげることまで。春樹のお世話はなんでも買ってでた。うちのお母さんが呆れるくらいに、それはもう、なんでもやった。

 暢介のお母さんはそんな私を嫌がることなく、むしろ将来のためになると言って色々やらせてくれたから、私は更に調子に乗って春樹に構った。


 自慢じゃないけど、春樹がハイハイをした瞬間も立った瞬間も歩いた瞬間もこの目に納め、春樹が一番最初に言った言葉は「なな」だった。あ、ななって私の名前ね。正確には那奈と書く。

 そんな春樹は私にすごく懐いた。私が春樹に近づくと、春樹はふわっと笑うんだ。それがすごくかわいくて、天使みたいで、私はもう、春樹にメロメロだった。春樹以外が目に入らなくて、暢介によく呆れられていた。


 すくすくと大きくなっていく春樹の成長を見るのがすごく楽しかった。思春期になると私から離れていっちゃうかな、と思ったけどそんなことはなくて、相変わらず春樹は私を見かけると、幼い頃からまったく変わらないふわっとした笑みを浮かべる。

 あ、だけど変わったことがひとつだけ。昔は「那奈ねえね」と呼んでくれたけど、最近は「那奈さん」呼びになっちゃって、それがちょっと寂しい。まあ、しょうがないけどね。


「でさぁ……おい、聞いてんのか、那奈」

「聞いてる聞いてる。お姉ちゃんと楽しくデートが出来て幸せだったんでしょ?」

「…要約すればそうだけど」


 不満そうな暢介に私は素知らぬふりをして目の前にあるおつまみを頬張る。

 現在、私は社会人一年目。まだまだ仕事に慣れなくて、同じく社会人一年目の暢介と飲みに行って憂さを晴らしている。

 まあ、暢介はただ惚気が言いたいだけなんだけどね。暢介は昔から私の姉である千佳ちかちゃんにぞっこんだった。その想いは未だに報われていないけど、妹の私が思うに、千佳ちゃんもまんざらではないみたい。うん、ただ千佳ちゃんは鈍いから暢介の気持ちに気付いてないけど。どんまい、暢介。


 口の中にあるものを飲み込み、私はくいっとお酒を飲む。

 最近私が好んで飲んでいるのは日本酒。日本酒って最初は強すぎて苦手だったけど、ある時上司に良い日本酒を飲ませて貰って、良い日本酒は本当にお水みたいに飲めて美味しくて、それからもう日本酒が大好きになった。いろんな都道府県の日本酒を飲んで味比べをするのが密かな楽しみだ。


「おまえさ、あんま飲み過ぎんなよ?」

「んん? だいじょーぶ、だいじょーぶ。まだ一合しか飲んでないし」

「いや、その前に色々飲んでるだろ…ちゃんぽんはよくない」

「大丈夫だって! まだ全然酔ってないもーん」

「本当かよ…」


 胡乱な目で私を見る暢介に私はにこっと笑って見せる。そして日本酒のお代わりを頼んだ。


「勘弁しろよ…おまえを介抱するのは俺なんだぞ…」

「らいりょーふらって」

「ちゃんと言えてねえから!!」


 鋭い暢介のツッコミに、私はわけもなく笑い出す。

 私って笑い上戸っぽいんだよね。お酒飲むとすごく楽しくて、ちょっとしたことですぐに笑ってしまう。


「ほら、そろそろ帰るぞ」

「えぇ…もう一杯だけ!」

「帰る」

「あと一杯…いや、一口でいいからぁ!」

「だめだっつってんだろ!」

「うえーん、ようくんのいじわるぅ」


 泣き真似をする私を暢介はギロリと睨んで私を引っ張り、お会計を済ませた。

 お金を払おうとお財布を取り出すけど、あれ? お金が上手く数えられない。

 どうやら私はすごく酔っぱらっているようだ。今の今まで自覚無かったけど。

 そんな私に暢介は言わんこっちゃない、という顔をしている。むう…不本意だけど、今回ばかりは暢介の言う通りにして正解だったようだ。


 千鳥足な私を引っ張り、暢介は歩く。それに私はへろへろと続いて、ようやくたどり着いた我が家。いや、我が家って言っても、今は一人暮らしのマンションなんだけど。

 ちなみに暢介も実家を出ていて、なんとお隣に住んでいます。なぜに、と思ったけど、うちの両親が暢介くんが一緒なら安心だと言っていたから、もしかしたら心配した両親が暢介に頼んだのかもしれない。暢介と私は家族みたいなものだしね。暢介ったら私よりも両親に信頼されちゃってる。


「ほら、鍵だせ」

「えーっと…かぎかぎ…」


 ごそごそとバックの中を探すけど鍵が見つからない。

 なんだかふわふわしていて頭が回らないし、眠いし、私が困って暢介を見ると、暢介は渋い顔をしていた。

 そんな顔しなくてもいいじゃん、とむっとした時、がちゃりとお隣の部屋が開いた。


「…兄さんと那奈さん、なにしてんの」


 お隣の部屋から顔を出したのは、私の天使である春樹だった。春樹は私と暢介を見比べて、ちょっと呆れた顔をしている。

 春樹はこの近くの高校に通っていて、暢介と気楽な男二人暮らしをしている。

 春樹はハイスペックで、料理もお掃除も出来る。私よりも料理が上手なんだけど、春樹は私の料理の方が美味しいって言ってくれる。本当に春樹ってば天使。あ、暢介はそういうのあまりこだわらないんで、どっちでもいいらしいです。本当に作り甲斐のないやつ。

 だから私たちはよく三人で夕飯を食べている。今日は春樹が学校の友達と夕飯を食べてくるっていうから、じゃあ私たちは飲みに行こうかって話になって、飲んでいたわけだけど。


「春樹、こいつ運ぶの手伝ってくれ」

「…また飲み過ぎたの、那奈さん」

「またってなによぅ」


 そんなしょっちゅう飲み過ぎてるみたいに言わないでよ!

 …まあ、日本酒に嵌りだしてからは飲み過ぎることが多くなったことは認めるけど。

 部屋の鍵を見つけることが出来ず、なんだか気持ち悪くなってきた私を察したのか、春樹が私を支えて部屋に入れてくれた。


 ちょっと文句を言いつつも暢介の部屋に連れて行ってくれる春樹はまじ天使!

 さすが私の天使ちゃん! 私のためにお水まで持ってきてくれたよ。本当にいい子!


 春樹が持ってきてくれたお水を飲んで、リビングにあるソファを占領してごろんと寝転がる。暢介の家は私の家のようなもの。暢介に対しては遠慮という言葉が存在しないのが私である。

 暢介は一人でさっさとシャワーを浴びている。きっと私の心配なんて一ミリもせずにそのまま寝るに違いない。私の扱いが雑過ぎませんか? まあ、別に気にしてないけどね。


「那奈さん。そんなところで寝たら風邪ひくよ」

「んー…だいじょぶ、だいじょぶ」


 ひらひらと手を振って大丈夫と主張する私に春樹は呆れ顔をした。

 いや、本格的に酔いが回って来たせいで動けないんだよ。

 そう言い訳するのも億劫で、私は目をつむるとそっと毛布を掛けてくれた。

 暢介はそんなこと絶対しないから、きっと春樹だ。うっすらと目を開けると、そこには呆れた顔をしつつも、優しい目をしている春樹の顔があった。


 …うん。やっぱり、違う。

 誰に言ったところで信じて貰えないから今まで誰にも言わなかったけど、私には前世の記憶らしきものがある。らしきものって言うのは、その記憶がすごく偏った一部のものしか覚えていないからだ。

 私が前世の記憶があると気付いたのは、春樹が高校に入学してからだ。真新しい高校の制服に身を包んだ春樹の姿を見て、私は違和感を覚えた。

 なんか、ずっと前に見たことがあるような…そんな気がしてならなかった。

 春樹が通っている高校はこの辺りでも有名な進学校で、某有名大学に進学する生徒がたくさんいるし、あらゆる業界で活躍をしている人がほとんどなのだという。だから競争率がすごく高いんだけど、そんな中で春樹は首席で合格をしたらしい。さすが春樹! 私の鼻が高い。


 …話が逸れたな。

 とにかく高校の制服に身を包んだ春樹に違和感を覚えたのが最初。

 ある日、私はたまたま春樹の高校の近くまで行く用事があって、ついでに春樹が通う高校はどんな感じなのかと外から見ようと思って春樹の高校へ向かった。

 校門の前からちらりと覗くと、ちょうど下校時刻だったのか、生徒たちがまばらに校門から出てきた。もしかしたら春樹に会えるかも、なんて淡い期待を抱いていると、春樹が校舎から出て来た。


 おお、本当に会えた! と私が興奮した時、春樹の隣に可愛らしい女の子がいることに気付いた。

 小柄で可愛らしい女の子。一生懸命に身振り手振りで春樹に話しかけているその子と、春樹のツーショット。春樹の彼女なのかな、と思って少し寂しく感じた時、私はとてもつもない違和感に襲われた。

 春樹の制服姿を見た時の比じゃない。私は、


 そして様々な映像が私の頭の中を駆け巡り、吐き気を覚えた。私を見かけた春樹が私を見ていつも通りに笑おうとして、その目を大きく見開かせた。

 きっと私が酷い顔をしているからだ。私は春樹に背を向けて走り去った。どこか落ち着く場所に行きたい。そう思ってひたすら走って、息を乱して辿り着いたのは我が家だった。玄関でずるずると座り込み、突然頭の中を駆け巡ったものについて考える。


 私の頭の中には四人の男の子と一人の女の子の絵が浮かんでいる。それはいわゆる乙女ゲームのパッケージの絵だ。

 その絵の他にもいくつか似たようなゲームのパッケージが思い浮かび、それを嬉々としてやり、とても興奮していた自分の記憶も蘇る。

 もちろん、私は今まで乙女ゲームなんてやったことがない。今やるのは暢介の影響でもっぱらRPGとか、格ゲーである。


 きっとこれは前世の記憶だ。

 だって私は今までやったことがない乙女ゲームの記憶が確かにあるんだから、俄かには信じがたいけど、これは私じゃない別の誰か──前世の私の記憶だって考えるのが妥当だと思う。

 そう考えた私は一番最初に思い浮かんだゲームの内容を思い出す。


 確か、有名進学校に通う主人公が、四人のイケメンと恋愛をする、という話だったような。確か最初の選択肢によって誰のルートになるか決まるんだったかな。その選択肢っていうのが、どの季節が好き? っていうもので、その答えた季節によって攻略するキャラが決まる。攻略対象者の名前には季節の漢字が組み込まれているからね。それでどの季節が誰のルートかっていうのがわかる。


 皆さん、これでお分かりいただけただろうか。

 そう、私の天使こそ、春樹もその攻略対象者の一人なのだ。しかもメイン。春樹のルートこそ正規ルートなのだ。

 乙女ゲームにありがちだけど、攻略対象者にはそれぞれ辛い過去があって、その過去を主人公と一緒に乗り越えていく、っていうのがこのゲームの話しの内容で、確か春樹は過去に辛い失恋をしたとか、そんな話だった気がする。うん、うろ覚えですが。

 ゲームの春樹はずっと無表情で、あまり喋らないし、すごく淡々としているクールなキャラだった。そうなったのも、過去に痛い失恋をしていたのが原因で、その失恋を主人公ちゃんと乗り越えて、笑えるようになるのだ。


 さっき見かけた春樹と一緒にいた女の子。あの子が主人公ちゃんだ。そしてあのシーンがスチルにあった。だから見た事あるような気がしていたんだ。

 制服を着た春樹に違和感を覚えたのも、ゲームで見たことがあったから。

 なるほど、違和感の原因はこれか、と思いつながらも、私ははて、と首を傾げた。


 …春樹がクール? 無表情の無口? 

 え? あんなに可愛い笑顔を向けるのに?

 春樹は決して無表情じゃない。怒るときは怒るし、悲しい時はしょんぼりするし、おもしろいことがあったら笑う。ゲームの春樹とはぜんぜん違う。

 うーん? でも隣にいた子は絶対主人公ちゃんだ。だってパッケージ通りの姿だもん。


 いったいどういうこと? と私が頭を抱えていると、インターホンが鳴ってドアを開けると、心配そうな顔をしている春樹が立っていた。

 どうやら酷い顔をして突然走り去った私を見て心配してくれたらしい。本当に春樹ったらいい子なんだから!

 嬉しくてにこにこしながら大丈夫だと私が言うと、春樹が安心したようにはにかんだ。もうまじ天使。春樹が無表情とかぜったいありえない。


 うふふ、あの時の春樹は本当に天使だった。あ、いつも天使なんだけどね!

 …えー、また話がそれたけど、そんなことがあって、私はゲームの春樹と現実の春樹の違いに首を傾げながら、さりげなく主人公ちゃんのことを聞く日々を送っております。

 ただそのたびに春樹はすごく不機嫌になるんだよね。お姉ちゃんとしては、春樹に彼女ができたかどうかがすごく気になるんだけどなー。しくしく。


 そんなことを考えている間に私は寝てしまったようで、ふと目を覚ますと日付が変わっている時間帯になっていた。

 やば、もうそんな時間。家に帰って化粧落としてシャワー浴びて寝よ。

 そう思うのになんだかだるくて起きられない。うーん、飲み過ぎ、かなぁ。


「那奈さん、起きた?」

「……はるくん?」


 私が春樹の名を呼ぶと、春樹はいつも通りにふわっと笑う。

 ああ、本当に春樹は天使。私の癒しだ。


「大丈夫? 頭痛くない?」

「ん…頭は、痛くない…」

「じゃあ気持ち悪い?」

「気持ち悪くもないけど…だるい」

「そっか。じゃあ、もうちょっと休んでいけば? 明日休みでしょ?」


 心配そうに私を見つめる春樹に、私はアルコールが回っているせいか、上手く頭が動かず、ただふにゃっと笑った。

 うふふ。なんだかよくわからないけど、いい気持ち。

 あとで振り返れば、この時の私は相当酔っていたのだと思う。


「はるくん、だいすき」


 思ったままのことを口にすると、春樹はなぜか顔を赤くして固まった。

 ん? どうしたんだろう?


「…那奈さん、俺を煽ってるの?」

「あおる?」

「はあ……我慢してるの馬鹿らしくなってきた…」

「んん?」


 ごめん、なに言ってるのかさっぱりわからない。

 酔っ払いに難しいことは言わないでほしい。切実に。


「今まで俺がどれだけ我慢してきたと思ってんの?」

「んー?」

「本当、無自覚ってたちが悪いよね…」

「ごめん…なさい?」

「謝られても困るんだけど」


 じゃあどうしろと?

 抗議するように春樹を見ると、なぜか春樹に睨まれた。

 なんで!?


「もう、いいかな。そろそろ我慢の限界だったし…もういいよね?」

「…なに、が?」

「那奈さんが可愛すぎるってこと」

「??」


 いや、さっぱり意味がわからないんですけど。

 ねえ、春樹さん。なぜ私に覆いかぶさってくるんです?

 そしてなぜ、顔がこんなに近いんです?


「俺、ずっと那奈さんが好きだった」

「……へ?」

「だから、ね」


 突然の春樹の告白に私が呆然としていると、春樹は妖しく笑った。


「もう、貰ってもいいよね?」


 なにが、と聞く前に私の口は春樹によって塞がれて。

 息も絶え絶えな私に春樹は妖しい笑みを浮かべたまま、「いただきます」と言ってまた私の口を塞ぐ。


 なにがどうしてこうなった。

 私の天使はどこにいった!? ここにいる春樹は私の知っている天使じゃない。私を惑わす悪魔だよ!

 そして私の気持ちも聞いてよー!


 

 ゲームでの春樹の失恋相手が私だったなんて、この時の私が知るはずもなく。

 この後、なんとか年下の悪魔の魔の手から逃げ延びたけど、結局掴まってしまうなんてことを、この時の私は想像もしていなかったのだ。


 ただ一言、言わせてください。

 私の天使を返してええええ!!!!

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