0距離恋愛

3℃のお金

affections of 0 distance


思えばその"ドア"は誰もにとっても馴染み深いものだった。

そのおかげなのだろう、世の中にその"ドア"が出現したとき大きな混乱がおこることはなかった。人々はすぐ"ドア"の存在に順応した。


俺が一番最初にその"ドア"を知ったのは小学生のときだった。

国民的アニメキャラクターである不思議なロボットが、道具の一つとして使っていた。

そのドアは、隣の家に回覧板を届けにいく手間も、隣町へ買い物に行く手間も、地球の裏へオーロラを見に行く手間さえも同じものとした。

ドアの敷居を一度跨げば、その先は自らが望んだままの場所へ繋がっている、そんなとんでもない道具だ。


地球上のどこへでも瞬時に移動できるドア。それはまさにお話の中だけで許される夢の道具だった。


しかし技術の発展は・・・すごい。すごかった。

俺がちょうど大学へあがったころ、その道具はテレビの画面を突き破って現実世界の地面を踏みしめたのだった。


当然世界は震撼した。

距離という概念を崩壊させたその道具は、世界中のカネ、モノ、ヒト、そして人間のココロさえも塗り替えた。


人々の生活は劇的に向上し、人間の実活動時間は1.5倍以上に増加した。時間が増えたことにより生産性は飛躍。伴って経済は加速し続けた。

しかしその一方で、数え切れないほどの職が1つまたひとつと消えていった。


そのほかにも、世界中で起こった激変の数々を語りだせば紙面が真っ黒になってしまうほど膨大だ。

が、そんな世界規模の革命なんかよりももっと重要で、語らなければならない変化が俺に訪れた。

その最大の変化とは。


何を隠そう初めての彼女ができたことだった。

ドアが社会に普及した1ヶ月後のことだった。



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渋谷の雑居ビルからふらつく足で外に出た。

時刻はもう午前2時を過ぎているのに通りは人で溢れかえっていた。


その必要はなかったが、体に回ったアルコールを覚ますため駅の方へとよろよろ歩く。

鉄道の全面廃止により、ただの巨大なシンボルへと成り果ててた渋谷駅は、過去の栄光を誇示するように華々しく光を放っていた。

それがかえって哀愁を感じさせる。


昔はよくここで待ち合わせたよなぁ。

犬の像を横目に、広場のベンチに腰掛ける。


するとポケットのスマホが震えた。

さっきまで一緒に酒を飲んでいた大学の友人たちだ。


「おーいタクミ。全然帰ってこないけどどこいってんだよ」


「もう帰るんだよ。さっきも言ったろ」


「あれ、そうだっけ?」


別の友人の声が後ろで聞こえた。


「タクミさんは俺らと違って、待ってる人がいるからな。これから愛しのアイちゃんのとこ行くんだってよ」


「なに?そうすると俺たちの友情はどうなる?どっちが大事なんだ?」


俺はスマホを耳から離して答えた。


「恋人に決まってるだろ。もう切るぞ」


「おいまて、まだ話は---」


酔っぱらいに付き合ってやることはない。

さっさと切るとすぐに別の番号へかける。画面をタップする指は早かった。


コールは2回ほどだった。


「あ、タクミ?もう飲み会終わったの?」


「ああ、今ちょうど。遅くなったけどそっち行ってもいいかアイ」


「うん、おいでおいで。待ってるよ」


電話を素早く切ると街の至るところに設置されているドアの一つへと小走りで向かう。

ドアの横に備え付けられたパネルから目的地を選択する。するとドアの上部についているランプが青く光った。

さっそくドアノブをひねる。


「おっと・・・」


ドアから手を離すと、背筋を伸ばして冷えたドアを2回ノックした。

その時またスマホが震えた。


早すぎ。髪整える10秒だけ待って。


俺は緩む口をマフラーで隠し、隣にあった自動販売機で温かい紅茶を2つ買った。




アイとは付き合いだしてもうすぐ半年になる。

出会いは、講義の隙間時間でランチを食べにいった京都の飲食店だった。

彼女の容姿と愛想に一目惚れし、人生で初めて人に告白した。

3度目の告白で、彼女は少し呆れたように笑いながら首を縦におろしてくれた。


東京と京都での付き合いはドアのおかげで全く順調だ。

昼間はそれぞれ地元の大学へ行き、夜にはどちらかの部屋へでゆっくり過ごす。

休日は世界各地へ日帰りで出かけ、疲れたらすぐに家戻ればいい。


休日と、平日の隙間時間にもアイとは顔を合わせており、一緒にいない時間は授業中ぐらいのものだった。


「もう、来るのが早いなあ」


温かい部屋の空気と、笑顔のアイが俺を出迎えてくれた。


「文句ならそこのドアに言ってくれ。紅茶いるか?」


「いるいる。ありがと」


アイは熱いペットボトルを手の上で転がす。

俺はコートを脱ぎながらアイに訊ねた。


「もう何日連続で会ってるっけ」


「今日でもう60日目だよ」


「おお、ギネスだな」


「記録更新だね」


まだ60日なのか、内心ではそう思った。

夜にはどちらかの部屋でまったりする。それが俺たち二人の日課だ。


きちんと時間を確保しなくても、ほんの空いた隙間時間で恋人に会える。

服を選び、髪を整えて諸々支度をし、時間をかけて相手の元へと会いにいく。そして時間を逆算して早めに自宅まで帰る。

そんな時間効率の悪い旧時代の恋愛はもう忘れ去られてしまっている。

移動時間が無くなったことで、その分二人で過ごす時間がぐんと増える。

それがドアはもたらした新しい恋愛の形だ。

もちろん俺たちも余すこと無く恩恵を受けている。


隣で俺の肩に頭を寄せて紅茶を飲むアイを見てつくづく思う。

本当にいい時代になったなぁ。

俺たちが付き合い出して半年にも関わらずここまで距離を縮めることができたのもこのドアのおかげだった。


「明日のよるは飲み会もないからすぐにこっち来れるぞ。土曜日だしどこかに飯たべに行きたいな。フランスはこの前いったし・・・スウェーデン料理とかどうだ?本場は美味いらしい」


俺はいつもの調子で明日の予定を聞いた。

やや間があってアイが答えた


「・・・あー・・明日はちょっと厳しいかも。学校の課題が多くて」


「ん?・・そっか。じゃあ近場で簡単に済ますか。まあ近いも遠いもないんだけどな」


また間があった。


「・・・課題めっちゃ多くてさ、明日は時間つくれそうにないかな」


「・・・お、おお。そうか。なら仕方ないな」


「ごめんね?」


今までどんなに少しの時間でもタイミングを見計らって会っていた俺たちに、その言葉は想定外だった。

ふと、嫌な想像をしてしまう。


「もう遅いし今日はねよっか」


「あ、ああ」


俺は動揺を悟られないように布団を深くかぶり電気を消した。



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「アイ。今日の昼なんだけどさ」


「あ、ごめん。今日は友だちと食べる約束をしてるんだ」


先日を境に、こんなやり取りが俺とアイの間で増え始めた。

今まで会いたくなったらドアを開ければいいだけだったが、そのドアの先にアイがいない。

まあ、いくら付き合ってるといってもお互いに都合はあるもんだ。

一日二日会えないくらで深刻になることはないだろう。

それが大人の恋愛というものだ。


・・・・と自分に言い聞かせる。

本当はアイの予定にとやかく意見するのが、彼氏としてダサい気がしてできなかっただけだった。


しかしアイと顔を合わす頻度は、一日、また一日と減っていった。

俺は募る不安を口にすることなく、笑顔でアイを送り出す。

そしてとうとう一週間以上もアイと会っていない、そんな日が続いていた。



たった1枚のドアを隔てた先にアイがいるのに、そのドアがとてつもなく厚く感じる。

会いたいと思ったときに会えないこと。

そんな当たり前のことが許されない残酷さに、俺の心はいつしか折れてしまった。



それから1ヶ月ほど経ったある日、俺は一つの決心をした。


一人暮らしの自室には、テレビのニュースキャスターの声だけが聞こえている。普段はニュースなんて見ないが、賑やかしのために最近はずっとテレビをつけていた。

有名人の誰かが結婚したやら、ひどい事件がおこったやら、電波障害が多発しているやら。

ニュースの話題は次々に変わっていくが、内容は何一つ頭に入ってこない。


そんなことよりも頭の中に渦巻いているのはアイのことだった。

俺の誘いにアイが応じなくなった。そのことが何を意味しているのかぐらい、さすがの俺でもわかる。

俺はアイのことを誰よりも大切に思ってきたが、そこにはたしかな温度差が生まれてしまっている。もはやそれは疑いようがない。


俺に飽きてしまったのか、他に好きな奴ができたのかは分からない。

ただそこにあるのはアイが俺に会いたがらない、そんな事実だけだ。


現実を受け止めなくちゃ駄目だなところまで来ている。

赤くなった鼻を拭うと、ぴしゃりと頬を叩く。


『話があるんだけど、今からそっち行ってもいい?』


意を決してスマホでメッセージを送ると、すぐに返事がきた。


『いいよ。おいでおいで』


目尻が赤いままじゃないか鏡で確認し、ドアを開けた。


「なんだかひさしぶりに感じるね、タクミ。ほら入って」


何故かご機嫌なアイは俺を部屋へと招く。


けど俺は、自室と繋がったままのドアを閉めずに扉の前で止まった。


「話があるんだ」


「うん。どうしたの?」


色々言いたいことは考えていたが、結局最初に出たのは無味乾燥な結論だった。


「俺たちもう別れるか」


「・・・・・なんで?」


アイは俺を大きな目で見つめていた。


「それはアイが一番わかってるだろ。もう無理しなくていいぞ」


彼女の目を直視することができず、俺はずっと足元のフローリングを見つめていた。


「わかんないよ。どうしたのいきなり」


「いきなりっておまえ・・・」


とぼけるアイを前に、俺は怒りでもなく。ただ悲しさがこみ上げてきた。もはや本音すらも語り合える関係ですらなくなっているということだ。


「ほんきなの?」


「ああ」


たっぷり数分ほど間があいて、その末にアイはぽつりと答えた。


「・・・うん、わかった」


俺はその言葉だけ聞き届けると、はるか遠くへ繋がっているドアを開けた。


「タクミ」


背後で俺の名前を呼ぶ声に、振り返ることはなかった。



自室に逃げ帰った俺は、ベッドに伏した。

まるで肩の憑き物が落ちたように体が軽い。

何日ぶりだろう、深い眠りへと落ちていけた。



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外がうるさい。

外の喧騒で目が覚めた。

騒音の正体は地域のスピーカー放送のようで、さっきから引っ切り無しに鳴り続いていた。

「なんだよ、うるさいな・・・」

布団を頭から被り直すともう一度目を閉じる。

今は寝たい。


ベッドの外から聞こえてくる騒音の中に、スマホが鳴る音が聞こえた気がした。



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何度かけても、何度かけても電話がつながらない。

もしかして彼に何かあったの・・・?


今朝、大規模な空間障害が発生したと世界各国で声明があった。

空間障害によって、"ドア"の空間経路は制御不能に陥り、世界各地で大混乱が起こっている。

ある会社員はいつもどおりオフィスへつながるドアを開けると、そこは氷の大陸だったったそうだ。


これを受けて世界中の"ドア"は強制停止され、地球上の人間は身動きが取れなくなった。

空間障害により行方不明になっている人もいるらしい。


お願い、でてよ・・・・。


昨夜からタクミとは連絡が取れていない。

昨夜、思いつめた様子のタクミからフラれた。

突然のことで困惑したけれど、正直思い当たる節はあった。

・・・だとしたら一度ゆっくり話がしたい。

だって・・・。


「はい・・・。もしもし?」

「・・・タクミ!」


11度目の発信で、ようやく繋がった。

「アイ?どうしたんだよ」


「・・・どうしたじゃないよ。全然電話でないから心配した!」


「心配?なんの」


「なんのって・・・」


タクミの声は眠気を帯びており、もしかるすと今まで寝ていたのかもしれない。


「ニュース見て。テレビでもネットでもいいから」


「・・・なんで?」


「いいからみろ」


「・・・・・・」

「・・・・・・」


「まじかこれ・・・学校いけないじゃん」


「そんな場合?ご飯とかちゃんと備蓄してる?」


公共交通機関は愚か、いまは車さえめったに使われない。

スーパーはとっくに街型店舗を廃止しているために、ライフラインの問題が今朝から問題としてあがっていた。

幸いアイの住んでいる場所はまだ昔ながらのスーパーが残っていたが、都内住みのタクミの場合食料を手に入れるのはに困難かもしれない。


「備蓄はないけど・・・。ってゆうか何で電話してたんだ?」


「なんでって」


「俺たち別れたろ。もう他人なんだ。電話なんてしてくるものじゃない」


「そ、その話だって私は・・・!」


その時電話口でノイズがはしった。


「もしもし?もしもしタクミ?」


「ア・・・きこえ・・・」

その時また町内スピーカーが鳴り響いた。

空間障害に続いて電波まで不安定になっているらしい。

次第にテレビも画面が崩れ始める。


かすかに遠くで聞こえるタクミの声に、私は叫ぶよに言った。


「行くから!今からそっち行くから!!だからそれまで待ってて、絶対」

「・・・来る・・て・・・ア・・・・」


プツン。糸が切れた。


私はすぐに大きなリュックへ着替えや保存の効く食料、水を詰め込む。

家の本棚から父親が昔使っていた地図を取り出すと、一階でスーツ姿のまま困り果てているお父さんに言った。

「お父さん、昔乗ってたバイク借りるから!」

「はぁ!?こ、こら待ちなさい」

静止する父親と母親を説得し、私は家の外へ飛び出した。


久しぶりにでる玄関から見る町の景色は、驚くほど懐かしく美しいかった。

もうろくに舗装されていない道路へバイクを走らせる。


道も分からない、どれぐらい時間がかかるのかもわからない。

これからそんな長い旅が始まる。


タクミの誘いを断っていた理由。

それはタクミに冷めてしまったからでは決してない。

ただ、毎日毎日毎日毎日、毎日会っていると少し気疲れしてしまう。

1人の時間がほしい。1人で色々考え事をしたい。1人でタクミの知らないデートスポットを見つけてやりたい。

本当にそれだけの理由だった。



冷たい風を顔にあびる。

「すう・・」

肺いっぱいに新鮮な空気を取り入れる。



"ドア"の登場によって愛の定義が少しかわったように思う。

二人の間の距離が無くなったことにより、愛は加速した。

でも加速してるだけで、中身はどこか軽く密度のないまま愛の形だけが先行してしまっている。


まだドアのないころ、あるマンガでこんな台詞があった。

『好きっていうのは、そのヒトと離れているときに一番大きく、愛しくなるものなんだよ』


「距離が愛を育む・・・いい響だなこれ」

私って思っていたほど古風な考えのヒトらしい。


タクミの部屋にって、お腹すいてるだろうからご飯を作ってあげて、それからちゃんと話をするんだ。

昔あいつが私にしたみたいに、今度は私がタクミを口説かなければいけない。


「早く着かないかな・・・」


何年ぶりだろう、そわそわと早る自分の感情に、自然と笑みがこぼれた






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