カケテイル・ピース

 亜紗美のもとへ岸本からの馬鹿丁寧な電話が掛かってきたのは、同窓会が開かれた翌日の夜のことだった。


「もしもし、夜分遅くに失礼致します。わたくし、宇和ヶ亀うわがめ家は当代当主であられます、宇和ヶ亀英断えいだん様に執事として奉仕させて頂いております、岸本という者でございます。こちらは九条くじょう亜紗美様のお電話で間違いございませんでしょうか?」


 岸本からの電話を受けるのは初めてのことだったが、この男はどこかへ電話を掛ける度にこんな長口上ながこうじょうをぶつのだろうか、と亜紗美はいぶかしく思った。


「長いよ、岸本さん。どうかしたの?」


 ケメ子が花嫁修業と称して一人暮らしを始める前、亜紗美はケメ子を訪ねてよく宇和ヶ亀家の豪邸に通っており、岸本とはお互い顔を見知った間柄なのだ。それでも執事という立場のせいなのか、それとも亜紗美を莉沙りさお嬢様の大切なお友だちと捉えているせいなのかはわからないが、岸本が親しげな口調で亜紗美と喋ることはなかった。


「申し訳ございません。はい。それが、他でもない莉沙お嬢様のことなのでございます」


「ケメ子のこと?」


 亜紗美が莉沙のことを親しみを持ってケメ子と呼んでいるのを岸本は知っていた。何より岸本には莉沙本人から、亜紗美に対する態度に関して厳しい命令が下されていた。九条亜紗美が莉沙にとって唯一無二の大親友であり、不愉快な思いをさせたり礼を欠いた言動などは、彼女に対して絶対にしてはならないことだ、と。


「左様でございます」


 昨日の同窓会でふと感じた嫌な寒気が亜紗美の身体に走る。結局ケメ子は同窓会に姿を現さなかった。それから、と亜紗美はハヤシがケメ子の名前を口にしたことを思い返す。ハヤシは「あの事を知っているのは」と言っていた。それはやはり瑠璃という子の事件に関係があるのだろうか?


「それでですね、亜紗美様」


「あ、はいはい」


 岸本の声で亜紗美は現実に引き戻された。それにしても「様」付けで呼ばれることに、どうも亜紗美は慣れない。


「莉沙お嬢様と連絡がつかないのでございます」


「そんなのいつものことでしょ?」


 ケメ子が実家をうとましく思い、あまり連絡を取っていないのを亜紗美は知っていた。だから別段それほど変わったこととも思えない。


おっしゃる通りでございます。ただ今回は英断様が心配しておられまして」


 父親である英断は、特にケメ子をかわいがっているらしい。ケメ子は三女であるから正統な跡取りというわけではないが、後々彼女にもいくつかの会社を英断が任せるつもりでいるらしいことを、かつて亜紗美はケメ子から愚痴まじりに聞いたことがあった。


「英断様はこの度の同窓会のご感想を、莉沙お嬢様からお聞きしようとなさったらしいのですが、いくら携帯電話にご連絡を入れても繋がらなかったそうなのでございます」


「でも、ほら、あの子はああいう性格だから」


「存じ上げております。ですからわたくしめも執事という立場でありながら、英断様におそれ多くも提言を差し上げた次第でございます。おそらく莉沙お嬢様は、ご朋友ほうゆうのどなたかとご一緒であらせられるのではありますまいか、と」


「それで私に電話したってわけね」


「お察しの通りでございます。しかしながら亜紗美様のそのご様子でございますと、莉沙お嬢様とご一緒ではないのでございますね?」


 亜紗美の中で嫌な予感がふくれつつあった。それは昨日の同窓会で感じたものよりも大きい。


「うん。わかった。私からも電話してみる」


「恐れ入ります。わたくしどもの方でも莉沙お嬢様のマンションへおうかがいする所存でございます」


 それでは失礼致しますと言って、岸本からの電話は切れた。続けて亜紗美は早速ケメ子の番号を押した。呼び出し音が無情に繰り返されるだけで一向に相手が出る様子はない。時刻は午後十時を回ろうとしている。こんな時間まで神宮橋じんぐうばしにケメ子はいないだろうと亜紗美は思った。


 亜紗美は思いつきでハヤシに電話してみることにした。ケメ子の居場所はわからなくとも、『あの事』が何なのかハヤシから聞き出すつもりだ。胸騒ぎにも似た直感のようなものが、ケメ子の失踪と『あの事』が強く結びついていると亜紗美に告げていた。


 着信履歴に残っているハヤシの番号を亜紗美は押した。


「お掛けになった電話は、現在電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるた──」


 通話終了のボタンを押して亜紗美はため息をついた。ハヤシの言葉を思い出す。ケメ子の他にもう一人、チエという名前を言っていた。それにハヤシは「お前」とトオノという男のことも指していた。


 しばらく考え込んでから亜紗美が出した結論は、実家に戻って中学校の卒業アルバムを探るというものだった。明日の朝一で会社に電話して休暇を取ろう、と亜紗美は考えた。

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