シュウマツノ・ギフト

 ケメ子がメッカとする原宿は神宮橋の上で、彼女はいつものように自分のゴス系のファッションを見せつけていた。周囲にもケメ子と似たような格好をした男女が数組タムロしている。中には通りすがりの外国人観光客と、ポーズをきめて誘われるまま一緒に写真を撮ったりしている子もいる。


 二十五歳にもなって仕事もせず、昼間から堂々とケメ子がこんな趣味に没頭できるわけは、彼女の実家が大きく関係してくる。それというのも、ケメ子が世界規模で事業展開する宇和ヶ亀うわがめグループの三女、宇和ヶ亀莉沙りさその人であるからに他ならない。


 ケメ子というあだ名は、中学時代の友人がカメ子と呼んでいたのを亜紗美あさみが聞き間違えてケメ子と発音してしまい、それ以来みんなの間でケメ子が定着してしまったのだ。


「今度はここにスリット入れようかなぁ」


 今日はあまり写真を撮られていないと感じたケメ子は、ひらひらのスカートのすそつまみ上げて小声でこぼした。それとも丈をもっと短くしたほうがいいかな。


「どうぞー。よかったらお試しくださーい。新発売の化粧水でーす」


 ケメ子がうつむいてあれこれセクシー路線の展開を考えていると、綺麗なマリン・ブルーの容器が目の前に突き出された。顔を上げると、女性でもハッとするようなかわいらしい顔をした、足の長い女の子が小瓶を片手に立っていた。


「ん、ありがとぉ」



 ケメ子は原宿でおのれのゴス系ファッションを思う存分見せびらかせた後、山手線目黒駅で東京メトロに乗り換え、実家が所有する白金台しろがねだいのマンションへと帰ってきた。六階建ての瀟洒しょうしゃなマンションにはケメ子一人しか住民はいない。


 部屋に入るとケメ子はもらった試供品の化粧水を鏡台に置いて、自慢のドレスを脱いで部屋着に着替え始めた。お嬢様とは思えないラフなスウェット姿である。メイクを落とすためにバス・ルームへ向かおうとしたところで電話が鳴った。


「はいは~い。あさみち~ん? どうしたのぉ?」


 亜紗美と電話で話したのはもう一週間も前のことだったかな、とケメ子は考えを巡らせた。


「ケメ子? あのさ、中三の時に同じクラスだったハヤシから電話があったんだけど。覚えてる? あの何だか異様にデカかった男」


「ハヤシ君? 三メートルくらいあった人だっけ?」


「それは人間のハヤシじゃないだろうね、きっと」


「冗談だって、じょお~だん。覚えてるよぉ。ハヤシ君がどうかしたのぉ?」


 ハヤシは当時、身長が百八十センチ近くもあって、なかなかのイケメンだったのでケメ子はしっかりと覚えていた。


「同窓会があるんだってさ」


「ドーソーカイ! 楽しそぉ! でも何でハヤシ君、わたしには電話くれなかったのかなぁ?」


「あぁ、それね。ハヤシが言ってたんだけど、ケメ子の実家に電話したら岸本さんが出たんだって」


 岸本は由緒正しき宇和ヶ亀家で、長年執事として先代から仕えている男だ。


「それでケメ子の連絡先を教えてくれって言ったら、『莉沙お嬢様はただいま花嫁修業中でございまして、たとえどなた様であってもおいそれと莉沙お嬢様のご連絡先をお教えすることは致しかねます』って、丁重に断られたんだってさ」


「何それぇ~」


 亜紗美が岸本の口調を真似まねたらしいのがケメ子にはおかしかった。


「それで私からケメ子に伝えるようハヤシに頼まれたわけ」


「なぁんだ。ハヤシ君に嫌われてるのかと思っちゃったぁ」


「アンタ、行く?」


「行きたい、行きたぁ~い! だって楽しそうなんだもん。あさみも行くんでしょ?」


 電話の向こう側でしばしの沈黙があった。


「そうね、行こうかな」


 それじゃあ同窓会で会おうねと言ってケメ子は通話を終えた。ケメ子たちが中学校を卒業して十年になる。今でも頻繁に会ったり話したりしているのは亜紗美ぐらいなものだから、久しぶりに会う同級生たちのことを考えるとケメ子は嬉しくて仕方がなかった。


 鏡を覗き込んでメイクを落とすところだったのを思い出し、ケメ子はもう一度バス・ルームへ向かおうとした。その時、鏡台に置いたもらってきたばかりの、綺麗な化粧水の小瓶がケメ子の視界に入った。


 どんなものかとケメ子はフタを開けてみた。


「あれぇ?」


 瓶の中にはほとんど液体が入っていなかった。試供品の不良品かな、とケメ子が思った次の瞬間、嗅覚が麻痺まひしそうなほどの強烈な刺激臭が鼻腔びこうを貫き、手足の先が勝手にぶるぶると痙攣けいれんし始めた。心臓の鼓動が早くなり、いくら空気を吸い込んでも酸素が肺にまで下りていかず息苦しい。眉間みけんの辺りがジンと熱くなり、涙がボロボロとこぼれて景色がかすむ。


「きぅ……!」


 口元から泡がよだれのように溢れ出し、ケメ子は横様よこざまにその場へ倒れ込んだ。身体の制御が全くかず、床上しょうじょうでビクビクと痙攣を繰り返すケメ子は、まるで壊れた玩具のようだ。


 やがてケメ子の世界は、子供が眠りに落ちていくかのように、緩やかにゆっくりと閉じていった。

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