ナゾノ・コール

 男が店から出ていったのを見届けた後、道子みちこはバッグから前時代的なGPS端末を取り出して電源を入れた。簡易な地図がディスプレイに映し出され、点滅する赤丸がゆっくりと移動していくのを目で追う。


 赤丸が駅から新宿方面へ向かう電車に乗ったのを確認すると、道子は左耳にはめたヘッドセットのスイッチを入れ、つづけて携帯電話のリダイヤルを押した。


「もしもし。私です。今ね、電車に乗ったみたい」


 電話の向こうからは雑音に交じった女の声が聞こえてきているようだ。


「どこにいらっしゃるの? 新宿? あら、ちょうどよかったわ。むこうもね、新宿に向かっているみたいなのよ」


 会話を続けながら道子はGPS端末の画面に見入っている。


「まだわからないから、とにかくそこにいてちょうだい。また後で連絡しますわね。ええ、じゃあごめんください」


 通話を終えた道子は、砂糖ではなくガム・シロップを三つも入れた甘いカフェ・ラテを、少し振るように動かしてから一口飲んだ。それから三席ほど離れたほぼ正面に座る、おかしなファッションの若い女性に目をやった。その女性は顔を窓の方に向けて電話をしている。


 ああいうのが流行っているのかしらね、と道子は一人ごちた。道子が若い時にはとても考えられないような奇妙な服装だ。黒を基調にしたドレスのようなもので、スカートにはところどころ白いフリルが入っている。もし瑠璃るりが生きていたら、今頃はおそらくあの女性くらいの年恰好かっこうだろうか。


 自分も歳を取ったものだ、としばし道子は物思いにふけった。いくらファンデーションを厚塗りしようとも、深く刻まれた顔面のしわを隠し切ることはできない。娘を失ってもう十二年も経ってしまっていた。その心労が顔だけでなく、道子の心にまで深い傷を残している。


 GPS端末の赤丸が新宿駅の南口改札を抜けたところで、道子は再び携帯電話のリダイヤルを押した。


「もしもし。私です。ええ、新宿で降りたみたいよ。甲州こうしゅう街道沿いに東へ歩いているわ。今日もスーツよ。写真はあるわよね?」


 うまくいくかどうか道子に確信は持てなかったが、やってみる価値はあるはずだった。


「じゃあお願いしますわね。こちらもやっておきますから。それから、銀行でよかったのよね? 銀行でできるのね? わかったわ。くれぐれも慎重にね。はい、ごめんください」


 道子は電話を切ってラテに手を伸ばした。窓際の若い女性は道子には目もくれず、まだ電話の相手と会話を続けていた。

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