誘拐って言うかい?

「いやぁ、大変なことになりましたよ~」

と言って、窓口に現れた男性は、汚れたバックパックから携帯電話を取り出しました。見た感じ、年齢は30代ぐらいか。

 男性は、私の目をじっと見ながら、言葉を続けました。

「フィリピンにいる僕の彼女がね、昨日、誘拐されたんですよ。このケータイにね、犯人から留守電が入っていてさ。彼女を探しに僕がフィリピンへ来たら、彼女を殺すって、いうんですよ。犯人は、わかってるんですよ。彼女の元カレで、彼女の子どもの父親なんですよ。最近、僕と彼女が婚約したことを知って、彼女を誘拐したんですよ」

 男性は、私に怪談話を聞かせるかのように、押し殺したような声で話しました。

 犯人までわかっているなら、なぜ、フィリピンの警察に連絡しない?

「このケータイに、犯人からのメッセージが入っているんですよ。フィリピンってさ、英語がなまってんじゃん?だから、何言ってるか、わかんないんだよね。聞いてくれる?」

 男性は、携帯電話を私の前に出しました。

 正直に「英語が聞き取れない」と言えば良いのに。フィリピンの英語がなまっているって、フィリピン人に失礼です!

「そのご相談は、フィリピンの警察に…」

 私がやんわりと断ると

「フィリピンの人、いるでしょ?犯人が何言ってるか聞いてほしいんだよね」

 男性は、私の隣で書類を確認しているフィリピン人職員をチラチラと見ながら言いました。

「申し訳ありませんが、只今、対応できるスタッフは、おりません」

「何時間でも待つよ。だからさ」

「それよりも、一刻も早く、現地の警察に連絡した方がよろしいのではありませんか?」

「そりゃそうだけど、犯人が何言ってるかわかんないから、警察に連絡出来ないでしょ?」

「犯人はわかっていると、おっしゃったじゃありませんか。メッセージの内容もわかっているんですから、婚約者のご家族の方と連絡を取って、地元の警察に電話された方が…」

 男性が、私の隣にいるフィリピン人職員に聞こえるような声で、大げさにため息をつきました。

「あーあーあーあーあー!彼女の家族に連絡しましたー!彼女と連絡が取れないから、今どこにいるかわからないって言われましたー!」

「フィリピンの警察には、相談されたんですか?」

「じゃ、番号教えろ。これが彼女の住所だから」

 男性が出したメモには、殴り書きのような字で、婚約者の住所らしき地名だけが書いてありました。

「確認しますので、お待ちください」

「ちゃんと対応してくださいよ!僕はこういう者なんだから!」

 男性は怒鳴って、一枚の紙を私の前に突き出しました。

 それは、英語で書かれた手紙でした。

 男性は私をにらみつけると、ニヤリと笑いました。

「それ読んだら、僕が、どんだけすごい人間か、わかるから」

 

 読みました。手紙。


 ---先日は、お忙しいところ、私のために時間を作ってくれてありがとうございます。東京の観光名所を案内していただき、感謝しております。---


 アメリカのとある会社の社長さんが、男性に送ったお礼状でした…(-_-;)

 男性は、文章の内容を理解した上で、私に高圧的な態度をとっているのか?


 男性に婚約者の居住地だとおもわれる警察の電話番号を紙に書いて渡すと、男性は、室内に響き渡る声で怒りました。

「これだけですか?」

 その場にいた人は、誰もが、顔を引きつらせて男性を見ていました。

「これだけしか、やってくれないんですか?僕がどういう人間かわかってて、こういうことをするんですか?」

 男性は、私を指差して、さらに声をあげて言いました。

「あなたは、誰の指示で、僕にこの番号を渡したんですかっ?」


 あなたですけど?

 あなたが警察の電話番号を教えろと言うから、教えましたが。何か?(-_-)


 私は、これ以上対応出来ないことを男性に告げました。

「僕は、言うべきことは伝えましたからね!彼女の身に何かあったら、あなたの責任ですよっ!」

 男性はそう叫び、外へ出ました。


「大変だったね」

 私の話を聞いたフィリピン人職員が、そう言って肩をポンポンと叩いてくれました。

「犯人がお金(身代金)を要求しないなんて、おかしいよね?誘拐なのに?彼がフィリピンへ来たら、彼女を殺すって。彼にフィリピンへ来るなって言っているように聞こえるよ」

 男性が探している女性は、昔の彼氏に誘拐されたんじゃなくて、男性から逃げたのではないかと思うんです。

 彼女から「助けて」というメッセージがない、彼女の家族は「どこにいるかわからない」と答えたことから、ひょっとすると、男性はストーカーだったかもしれません。。。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る