第14話 もしかして―美玖莉


恋をすると嫌な自分が出てくるってことにすら初めて気が付いた私は、その後もしばらく寝られなかった。でもいやっていう感情を持つってことはやっぱり私はアレックスのことが好きなんだっていう証拠でもあって、抱えてしまっていた複雑な気持ちにはようやく整理がつきそうだった。



こんな風になっちゃったから、篠田君とはもう友達でいられないのかな。



好きとか嫌いとかは別として、私は篠田君から本の感想を聞くことが楽しみだった。初めて本の感想が言いあえる友達が出来たって思っていたから、もしここで関係が終わってしまうのであれば、それってすごく悲しいことだと思ったけど、振った私が偉そうに友達でいたいって宣言するのはすごく失礼な気がした。



「しょうがない、か。」



アレックスが好きだってちゃんと自分の中で整理したんだから、それは仕方がない。欲張ってはダメだって自分に言い聞かせながら、私はいつも通り学校へ向かった。



「美玖~今日数学返ってくんね。」

「あ、そっか。」



杏奈ちゃんはすごく嫌そうな顔をしてそう言った。

そろそろ徐々にテストが返ってくるころだ。これも毎回の恒例行事だなって少しほっこりして思わず笑ってしまうと、杏奈ちゃんはムッとした顔をした。


「もうっ、余裕な人はいいよね!」

「違うよ、杏奈ちゃん可愛いなって。」


また私が笑いながら言うと、杏奈ちゃんは「もうしらない」って言いながらちょっと笑っていた。最近心を乱されることが多くて色々と悩んだけど、こうやってなごめる時間がとれて私は心からほっこりしていた。


心の中で杏奈ちゃんに「ありがとう」と言いつつ、次の授業の準備をはじめた。



3時間目、いよいよ杏奈ちゃんが気にしていた数学のテスト返しの時間が来た。杏奈ちゃんは休み時間から見るからにソワソワし始めて、それを見ていたら自分もなんだか気持ちが落ち着かなくなり始めた。



杏奈ちゃんには余裕なんて言われたけど、数学は私の一番苦手な教科だ。

チャイムが鳴ってさらにドキドキが加速し始めた私は、先生から自分の名前が呼ばれるのを待った。



「岩里さん。」

「はいっ。」



返事をする必要はないのに、思わず歯切れのいい返事をして私はテストを受け取った。するといつもは75点くらいなのに、今回は85点を取れていて自分でも驚いた。



「げっ!美玖すごっ!」



杏奈ちゃんも私の点数を見てそう言ってくれた。

多分こんな点数を取れたのは、篠田君のおかげだ。

自分で何回といても分からなかったあの問題がばっちりテストに出たし、その問題の応用でもっと難しいのも解くことが出来た。



本当はありがとうって言いたい。

でも自分から連絡する勇気なんてどう考えても私にはなくて、私は小さくため息をついた。



「また明日ねっ!」

「うん。」



結局杏奈ちゃんの数学のテストも、いつもより点数が良かったらしい。

点数を見てから安心したのかテンションがいつもより高くて、そのテンションを放課後までキープしたまま颯爽と部活へ行ってしまった。



今日だけじゃなくて、部活が始まってから杏奈ちゃんはとても元気そうだ。



私はそんな元気な姿を見ていると自分も元気をもらえる気がして、杏奈ちゃんの背中を毎日ワクワクした気持ちで見送っている。



その背中を見送った後、私はいつも通り図書館に向かった。

テスト期間はこの習慣も途切れてしまっていたけど、いつも通りの日常にかえってきたら抱えていた動揺とか複雑な気持ちも少しは落ち着く気がした。



図書館に入ったらもっと気持ちが落ち着いた私は、司書の先生に今日も「こんにちは」って小さく挨拶をして、いつもの席についた。



本を開いて広がっている世界は、私が生きている世界よりも、プレイしているゲームの世界よりも、もっともっと広い気がする。想像はどこまでもはるか遠くまで行くことが出来るし、誰に対しても平等で自由だ。


とても狭い世界で生きている私にとって、それは本当に素晴らしくて楽しくて、いつまでも浸ってたいなって気持ちになることもある。


今までは一人でこの気持ちを感じているだけで十分だったのに、今はこんなにも誰かと共有したいって思えるようになった。



でももうそれも出来ないのかな。

気持ちを整理したはずなのにやっぱりどこか整理できてないはぎれの悪い自分が嫌になって、一度読むのをやめて頭の中をクリアにすることにした。


背伸びでもしようかと思って顔を上げてみると、私の目には、向こうから少し気まずそうな顔をして歩いてくる、篠田君の姿が映った。



え?嘘…。



まさかここに来てくれるって思ってなかったから少し驚いたけど、私は反射的に頭を下げてあいさつをした。すると気まずそうな様子の篠田君はいつも通り片手を上げてそれにこたえてくれて、そのまま私の前まで近づいてきた。



「ごめん、邪魔して。」



今ちょうど休憩しようって思っていた私は、「大丈夫」って答えた。篠田君はいつもよりちょっと固い表情をしていて、そりゃそうだよなって私も後ろめたい気持ちになった。


「国語のテスト、

20点も上がったんだ。」


20点も?!

そんなに一気に上がるなんてすごいって心の中ではびっくりしたけど、私は出来るだけ冷静に「すごいね」と言った。


「おめでとう。」

「ありがとう。

岩里さんのおかげだよ。」



正直杏奈ちゃんや天音ちゃんに教えるばっかりで篠田君になにか説明した覚えはなくて、「私は何も…」と答えた。でも篠田君は私の言葉をゆっくり頭を振って否定して、いつも通りの柔らかい顔で笑った。



「それでも、ありがとう。」



よかった。

私たちの間に流れる空気が少しずつ柔らかくなるのを自分でも感じて、ちょっとホッとした。篠田君がお礼を言ってくれたんだから私も言わなくては。空気が柔らかくなったのを感じた私は、すかさずそこで「私もね」と話し始めた。



「ん?」


よっぽど私の言葉に勢いがあったのか、篠田君はちょっとびっくりした顔をして言った。どうして自然に言い出せないんだって自分で自分が嫌になりながら、私は今度は慎重に言葉を出そうって意識した。


「篠田君に教えてもらった問題が

テストで出たの。

ちゃんと正解できたよ。」


今度は変な勢いをつけることなく、自然とそう言えた。

すると篠田君もとても穏やかな顔で「そっか」って言ってくれて、伝えられて良かったなって思った。



「ありがとう、私も。」



心からそう言うと、篠田君はにっこり笑って「うん」と言った。その笑顔に少し心が動きそうになる自分がいたことは分かっていたけど、私は何とかそんな自分を気持ちの奥底に閉じ込めた。



「あの、さ。」


私がそんな嫌な気持ちと葛藤しているなんて篠田君には知られるはずもなく、今度は彼が勢いよく言葉を発した。

なんだろうと思って篠田君の顔を見てみると、さっきの柔らかい表情とは打って変わって少し緊張した顔をしていた。



「こないだは突然、ごめん。」



その固い顔のまま、篠田君は頭をペコリって下げた。

告白してくれることなんて悪いことじゃないのに、謝ることなんてないのに。

本当は謝らないでって言いたかったし、失礼なことしてごめんって私も言いたかったけど、篠田君はまだ何かを言いたそうだったから一旦言葉を飲み込んだ。


すると篠田君は少し大きめに息をすった。



「こんな風になっちゃったけど…。

前みたいに、本は貸してほしいんだ。」



私にとっては思ってもみなかった言葉だった。

もう私たちの関係はここで終わりだって思ったし、これ以上感想を聞くことも出来ないって思ったから、本当にうれしかった。


贅沢は言えないって思ってたから友達が減ってもしょうがないって決めつけていた私は、すごくすごく嬉しくなって「うん」と言った。



「こちらこそ、お願い、します。」


私の方こそ、お願いしたい。

そう思って言うと、篠田君はホッとした顔になって「ありがとう」と言った。


すごく勇気を出して言ってくれたんだろうなって思うと私も感謝を伝えなくてはって気持ちになって、私も笑って「うん」ってうなずいた。



「それじゃあ、行くね。」



篠田君はすぐにそう言って、あっさりと入口の方に向かっていった。

そのあっさり感はとても篠田君らしいなって思いつつ、去っていく彼の背中にもう一回「ありがとう」と伝えた。



すると篠田君が歩き始めてすぐ、入口の方からとても騒がしい声が聞こえ始めた。私は毎日図書館に通っているけど、私がいる間に毎日平均して3人~4人くらいしか人が来ない。


だからいつもこの図書館はウソみたいに静かな空間だから、少しでも声が聞こえたことに私はとてもびっくりしていた。



「ここならいいだろ。」

「そうだな。」



もしかして外の声かな?って思ったけど、その声の主たちは私たちの方に近づいてきて、そして私の目の前の席に座った。

その人たちは図書館にいては違和感がある(と言っては失礼だけど)感じの男の子4人組で、とてもじゃないけど本を選びに来たわけではなさそうに見えた。



「お前はやく見せろよ、その女!」

「ちょっとお前!早くしろって!」

「はははは、なんだよこのブス!」



私の予想通り、男の子たちは本を選ぶこともなく大声で騒ぎ始めた。

私が注意する事でもないし出ていけばいいのかもしれないけど、図書館の中には私と篠田君以外に人がいることは分かっていて、その人たちのためにも何とかしなきゃって思った。


狭い現実世界を生きている私だけど、ゲームを始めてからミーシャの持っている正義感が乗り移ったのかな。


こんな時ミーシャならバシッと説教なんかして追い払えるのかもしれないけど、注意しようって思ってもなんて言えばいいか分からなくて、私は少しためらってた。



やっぱり"私"って情けない。



なんとなくあの男たちが年下だってのもわかってるのに、すぐに立ち上がって注意出来ない自分に嫌気がさした。



でも言わなくちゃ。私の大好きな場所を、守らなくちゃ。



いよいよ決意を固めて立ち上がろうとしたその時、少し前に立っていた篠田君が歩き出すのが分かった。



歩き出した篠田君はそのままためらうことなくすたすたと歩いて、その男の子たちのところに近づいて行った。やっぱり情けない私は、その光景を呆然と見つめていた。



「何?」



篠田君が目の前にくると、男の子の一人がそう言った。



こわい…。



私は自分が言われたわけでもないのにちょっと後ろに身を引いてしまったけど、篠田君の背中はまっすぐその場に立ったままだった。



「ここ、図書館だよ。」



多くを語ることなく、篠田君は言った。

きっとそれを言えば伝わるんだろうって思ったのかもしれないけど、男の子たちにはまったく効果がないみたいで、「うん」と言った後怖い顔をして篠田君の方を見た。


「他の人もいるんだから、

図書館では静かにしようよ。

お菓子もここは禁止。」


そんな男の子たちに対して、篠田君は改めて丁寧に言った。それでも「え~?」と言って男の子たちははぐらかそうとしたけど、篠田君は続けて「他にも空き教室あるでしょ?」と言った。



それからしばらく、篠田君と男の子たちは見つめ合っていた。

というよりにらみ合っていた。


喧嘩になんかなっちゃったらどうしよう。

すごく冷静な篠田君だから大丈夫なんだろうけど、見ているだけなのに私は一人でソワソワしていた。


それなのになぜか司書の先生もいなくて、もう神頼みするくらいしか私に出来ることはなかった。



「いいじゃ~ん。」


するとその沈黙を破って、一人が言った。



いいわけないじゃん!



私がそう思うとほぼ同時くらいに、篠田君も「ダメ」と言った。



そうだそうだ。ダメだ!



心の中では同調していたけど、相変わらず自分に出来ることは何もなかった。このまま引き下がらなかったらどうしようって思い始めていると、次の瞬間、篠田君はスッと息を吸って、その息を吐くみたいにしてを言った。



「ルールは守ろうよ。

その方が絶対楽しいよ。」



聞き覚えのある言葉が、私の脳天に突き刺さった。

それと同時にあの時の風景が目の前によみがえって、篠田君の背中がアレックスと重なって見えた。



どうして、その言葉を…。



一言聞いただけでさっきよりももっと私が動揺している間に、男の子たちは「行こうぜ」と言って去っていたようだった。でもそんなことはもうどうでもよくなってしまっていて、私はただこちらに戻ってくる篠田君の姿を呆然と見続けた。



「大丈夫?」



篠田君にそう声をかけられて、私は我に返った。



もしかして、篠田君は…。



そんなはずないって気持ちと、そうかもしれないっていう期待が、私の心の中で戦っていた。ここで聞いてしまおうか、でも違ったらどうするんだって葛藤しているうちに、篠田君は「じゃあまた連絡する」と言ってまた私に背中を向けた。



「うん…。」


何とか反応はしたけど、さっきあのセリフを聞いたせいか篠田君の背中はやっぱりアレックスみたいに見えた。私はアレックスのアイコンしかしらないから姿が同じなわけはないんだけど、それでも二人の姿は重なって見えて、私は見えなくなりそうなその背中に思わず「あの…」と声をかけた。



「ん?」



どうしたの?って顔をして篠田君は振り返った。



―――もしかして、アレックスなの?



勢いで聞いてしまいたかったけど、違った時の反応も分からなかった私の口からは、なかなかたった一つの質問が出てこなかった。



しばらく黙っていると、篠田君がもっと不思議そうな顔をしてこちらを見た。私はそれを見てまた我に返って、「い、いや…」とようやく声を発した。



「あ、ありがとう。」

「ううん、全然。」



篠田君はにっこり笑ってそう言って、その場を去って行った。

私はしばらくそこに立ったまま、動けなくなった。



まさか、まさかな…。



現実世界のこんな近くにアレックスがいるはずがない。

でも絶対にそうじゃないって確証も、私にはない。



確かめたいけどはっきり聞けない。

そんなもどかしい気持ちが私の中で戦い続けて、ずっとモヤモヤと心の中で渦巻いていた。

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