第11話 複雑な気持ち―美玖莉
あれからしばらくあのバルコニーでたたずんでいたけど、失恋の痛みは全くなくならなかった。でもどこか他人事のようなふわふわした感覚もあって、ログアウトしてからもなんだか気持ちが自分のところにないような不思議な感じがしていた。
「おはよっ、美玖。」
「おはよう。」
いくら私が分からないままでも、日々は進んでいく。
私も傷ついた気持ちをしっかりと抱えつつもいつも通り学校に来て、そしていつも通り元気な杏奈ちゃんにあいさつをした。
振られちゃったらどれだけ傷つくんだろうって、何度か想像してみたことがあった。すごく悲しくて学校にも行けなくなるんじゃないかって思っていたけど、実際私は結構淡々と生活を送れていた。
なんだ、自分。やればできるじゃん。
私は珍しく自分で自分のことを褒めつつ、担任の先生が入って来るのを待つことにした。
「岩里さん。」
するとそのとき、入口から私を呼ぶ声がした。
めったに呼ばれる事なんてないから空耳かなと思いつつ振り返ってみると、そこには少しやる気がなさそうに立っている篠田君がいた。
呼ばれたことに反射的に反応して小走りで入口の方に向かうと、篠田君の手に本が握られているのが見えた。
もう、読んでくれたんだ。
テストも近づいているのに週末だけで読み切ってくれたことが少しうれしくなって、足を弾ませながら篠田君のもとに向かった。
「ありがとう。これもホントよかった。」
本を手渡しながら、篠田君はぶっきらぼうにそう言った。
ぶっきらぼうな様子ではあったけど、その言葉には嘘がないように思えて、すごくすごく嬉しくなって私も「よかった」と答えた。
「うん。」
篠田君はとてもクールにそう言った。
ここでそのまま感想を聞いてしまおうかと思ったけど、そんなに詳しく聞くのも失礼かなって考えた。
でも私には一つ、どうしても聞きたいことがあった。杏奈ちゃんとだったらすんなり聞けるのかもしれない。でもやっぱり杏奈ちゃんみたいに篠田君と接しられる余裕はないみたいで、そんなこと聞いていいものなのかってしばらく悩んでみた。
考えてみた結果、ここで聞かなきゃ後悔するって思った私は、意を決して「あの…」と口に出した。
「どっちが、好きだった?」
はっきりと言ったつもりが、聞こえるか聞こえないか分からないような声しか私の口からは出なかった。聞こえたかなって心配になって篠田君をちらっと見てみると、少し悩んでいるような顔をしていたから、とりあえず聞こえたんだって安心した。
そして篠田君はそのまましばらく悩んだ後、私の目をしっかりと見た。男の人とこんなに目を合わせて話すのってそんなにないから、心臓がドキッと高鳴るのを感じた。
「僕は"無重力ラプソディ"の方が好きかな。」
篠田君の口から出てきたのは、意外な答えだった。
多分彼は私が"君と僕のセンセーション"の方が好きって気が付いてる。だからどこかで私に合わせてそちらが好きって言ってくれるって、思っていたのかもしれない。でも彼はそれを分かった上で、そっちじゃない方が好きといった。
一緒だって言われても嬉しかったんだと思うけど、篠田君の正直な一言で、この人は本当にちゃんと本を読んでくれてるってことが分かった。
そして篠田君は、本当に嘘がない人なんだなって思った。
「そっか。」
ありがとう。
ちゃんと読んでくれて、ありがとう。
私はそんな気持ちを込めてそっかって言ったけど、篠田君にはちゃんと伝わってないかもしれない。本当の気持ちをはっきりと口に出すことは私にはまだできないみたいだけど、こうやって本の感想を言い合える人が出来たってことは奇跡で、篠田君には心から感謝するしかなかった。
「また貸して。」
私がそんなほっこりとした気持ちになっていると、篠田君は冷静なトーンでそう言った。本を読むことは勉強の負担にはならないのだろうか。素直に疑問に思った私は、「いいけど…大丈夫?」と篠田君に聞いた。
「何が?」
篠田君はそんなこと関係ないって様子でそう言った。
もしかしてテストって忘れてるなんてないよね。そう思いつつ「もうすぐテストだから」というと、篠田君は本当に忘れてたって顔をして「あ…っ」と言った。
テストのこと、忘れちゃう人がいるんだ。
私はいつもビックイベントって感じでカレンダーに書いているけど、そんな風にのんきにしていられる人もいるんだな。
それがちょっとおかしくなって、私は思わず笑ってしまった。そのまま篠田君を見上げてみると、少し恥ずかしそうな顔をしていたから、そんな風に笑ってしまった私も恥ずかしくなって思わず顔を伏せた。
「じゃあ、テスト終わったらまたよろしく。」
「うん、わかった。」
テストが終わったら、また感想聞きたいな。
本当はそこまで言いたかったけど、今の私の能力では到底言えそうになかった。でも心の中はどこかほっこりしていて、そんな気持ちのまま席に戻ると、杏奈ちゃんがなんだかニヤニヤとしてこちらを見ていた。
「やっぱ仲良しだよね、二人。」
「仲良しだなんて…。」
仲良しだなんて言っていいんだろうか。
それになんだか仲良しって言われることが少し照れくさくて、私は次の言葉が出せずにもじもじとしていた。そんな私の様子を見て杏奈ちゃんはもっとニヤっと笑って、「ふぅん」と言ったけど、それが何を意味しているのか私にはよくわからなかった。
もうすぐテストとはいえ、まだ2週間くらい時間はあった。
最初の1週間は気分転換がてらゲームにログインしてみたりしたけど、アレックスに会う事はなかった。
会いたいけど、どんな顔をして会えばいいんだろう。
そう悩んでいた私にとってはかえって都合がよかったけど、でも時間が空けばあくほど何を話していいか分からなくなりそうで、そろそろ会いたいなって気もしていた。
もういっそ、このまま会うことなく終わってしまえばこの痛みも和らぐんだろうか。
失恋の痛みは心の奥底に確かにあって、でも日々を過ごしているうちにオブラートに包まれていくような、そんな感覚もした。
恋って本当に難しい。
何もないと色々と考えてしまいそうだったから、テストに向けて勉強しなくてはならないってのが唯一の救いのようにも思えた。ゲームをしているとき以外は本も読まずに勉強に没頭して、これならいつもよりいい成績が取れそうだなと、自分でも思った。
「美玖~時間ある?
勉強してこ。」
いよいよテストが1週間前に迫ってきて、部活が全部休みになった。
そう言われて「いいよ」と返事した私がのろのろと準備をしている間に、杏奈ちゃんは机を反転させて勉強道具を全部出した。とりあえず自分で勉強するという意味なのか、黙々と古典の教科書を見始めたから、教えやすくするために私も杏奈ちゃんと同じ古典を勉強することにした。
「美玖、ここってさ…。」
しばらく勉強していると、杏奈ちゃんは唐突に聞いた。
いつも部活をしているから帰ったら疲れて寝てしまうせいであまり勉強はしていないらしいけど、杏奈ちゃんは勉強ができないわけではない。
私にたまにこうやって質問をしてくれるけど、少し説明したらすぐわかったって納得してくれるから、自分がうまく教えられている気持ちになって気持ちがいい。
今日も文法の法則みたいなものを説明したら「なるほどね」ってすぐに理解して、また自分で勉強を始めた。
「杏奈~。」
それからしばらく、私たちは集中してお互いの勉強をしていた。
一緒にやる意味があるんだろうかって思わなくもないけど、たまには家じゃないところで気分を変えて勉強すると、なんだか理解度が高まる気がする。そう思って杏奈ちゃんの集中を切らさないためにも私も静かに勉強をしていると、入口から聞きなれた声が聞こえてきた。
「天音、どした?」
「一人じゃできない、助けて。」
どこかで一人で勉強していたらしい天音ちゃんが、ためらいもなくあっさりと教室に入ってきた。そんな天音ちゃんをみて、杏奈ちゃんは「私に助け求められても無駄」といいつつ、近くにあった席を私たちの机にくっつけた。
「っていうか
美玖といるんだろな~と思って。」
「やっぱり。」
天音ちゃんはまたあっさりと「よろしく」といって、サラッと教科書を広げて勉強を始めた。友達ってこういうことなのかって私はまたなんだか嬉しくなって、うきうきした気持ちで勉強を再開した。
「んあぁああーーーっ!」
しばらくして集中が途切れたのか、急に天音ちゃんが背伸びをしながら叫んだ。それに私がびっくりしていると、その顔を見た杏奈ちゃんがクスクスと笑った。
「美玖、驚きすぎ。」
「ご、ごめん。」
「もうやってらんな~い。」
私たちの会話なんて気にすることもなく、天音ちゃんは言った。確かにしばらく集中し続けていたから私も少し疲れてしまった。ジュースを飲み始めた二人に習って私も水筒を鞄から出して、いったん休憩にすることにした。
「てかさ松浦って絶対天音のこと好きだよね。」
「え、バスケ部の?」
何の前触れもなく唐突に、杏奈ちゃんは言った。
杏奈ちゃんは確信してるって様子で「うん」って言ったけど、天音ちゃんは「そんなわけないじゃん」ってそれを明確に否定した。
「ずっと見てるよ、天音のこと。」
「嘘だぁ。」
「ほんと鈍いよね。」
私も恋愛のことはよくわからないから人のことは言えないけど、天音ちゃんは分かったようなわかってないような、どうでもよさそうな返事しかしなかった。
「杏奈はどうなのよ。先輩と。」
「ちょっと、それはないって言ったじゃん。」
「うっそだ~。
二人とも話してる時すごい笑顔だよ。」
仕返しと言わんばかりに天音ちゃんが言うと、杏奈ちゃんは珍しく照れた様子で言った。
あ、好きなんだな。
その顔を見たら私でもそれが分かって、思わず「ふふ」と声に出して笑ってしまった。
「ちょっと美玖、笑わないでよ。」
「ごめんごめん。」
からかっているつもりなんてもちろんないけど、杏奈ちゃんも恋をしているってことが知れたのが純粋に嬉しいって気持ちもあって、私の顔はほころんだままだった。
「あのね、男バレのキャプテンの岡田先輩って人が…」
「ちょっと天音!」
「いいじゃん、美玖なんだし。」
一旦は天音ちゃんが話すのを止めた杏奈ちゃんだったけど、それ以降は何を言っても止めることなく話をさせてくれた。
聞くところによると男子バレー部の岡田先輩って人が杏奈ちゃんにぞっこんらしくて、杏奈ちゃんもまんざらではないらしい。
高校生になって初めて友達が出来て、それでこうやって女子高生らしく"恋バナ"が出来ることがなんだかすごく嬉しくて、私は少し前のめりになって話を聞いた。
「いいね。」
「そうでしょ。」
私なんかがアドバイスできるはずもなかったから素直に感想を言うと、天音ちゃんは得意げな顔をして言った。
両想いって、どんな気持ちなんだろう。
恋を始めてしたとはいえ、片思いとか失恋とかしか経験がない私には、とてもとても遠い話のような気がした。
「美玖は?好きな人いないの?」
「え?!」
ほっこりした気持ちで話を聞いていたはずなのに、杏奈ちゃんがごまかすみたいにそう聞くもんだから、思わず大きな声をだしてしまった。すると杏奈ちゃんも天音ちゃんもにやりと同じような顔をしてこちらを見た。
「いるんだ。」
「ね。」
分かりやすすぎる自分が嫌になってうつむくと、それが答えになってしまったみたいで二人は「誰誰」と興味津々に聞いた。
この場でアレックスの話なんてしたら引かれないだろうか。
そう思って黙っていると、天音ちゃんが「無理には聞かないよ」と言った。
ここで言わなくても、二人は私をきっと責めたりしない。
そうは思ってみたけど、ここで話さなかったら一生相談なんて出来ない気がした。
だから私は意を決して、二人の目をまっすぐ見た。
「あのね、引かない?」
「え、なになに。」
私がそんなことを言って話し出すもんだから、何の話なんだって二人は不思議そうな顔をした。でもその次の瞬間には「絶対引かない」って笑顔で言ってくれて、その笑顔を見て安心した私は絞り出すみたいにしてアレックスの話をすることにした。
去年はじめたゲームで知り合った人に、恋をしていること。
その人はおじさんではないってのはしっているけど、どんな人なのかは知らないってこと。
この間、その人に好きな人がいるってわかったこと。
ゆっくり話す私の話を二人はじっくりと聞いてくれて、私はそれをいいことに言葉を選びつつ慎重に話をすすめた。すると話し終わったことを察した杏奈ちゃんが一言目に言ったのは、「意外」という言葉だった。
「美玖、ゲームとかするんだ。」
「ね、私も思った。」
そこ?って思ったけど、確かに普段の私からしたら一番大きなギャップってそこかもしれない。
そう思って私が慎重にうなずくと、天音ちゃんは「まだわかんないよ」と言った。
「好きな人いるって言われただけでしょ?
別に美玖が振られたわけじゃないし。」
「そうだそうだ。」
誰か分からない人に恋をしているって話したら引かれてしまうんではないか。
そう思っていた私にとって二人が普通の恋愛をしている人と同じような言葉で慰めてくれることにとても驚いて、私は返事も出来ずにいた。
「それに、一緒に行動してくれてるんでしょ?」
「うん。」
「じゃあ美玖のこと少なくとも
嫌いだって思ってるわけじゃないし。
まだあきらめるには早いね。」
「んだ。んだ。」
ふざけて杏奈ちゃんに同調する天音ちゃんが面白くて、私は失恋したってことも忘れてクスクスと笑った。するとそれを見て二人もクスクスと笑ったから、私の気持ちはどこかほっこりした。
「美玖はさ、
アキのこと好きなのかと思った。」
「え?!」
しばらくマジックワールドでのことを色々と聞かれたから答えていたけど、その話がひと段落したと思ったら杏奈ちゃんの口から意外な人の名前が出てきて、私はまた大げさに驚いた。すると天音ちゃんも、「え?!」と私に合わせたみたいに大げさに反応した。
「実際どう思ってるの?」
「どうって…。」
どう思ってるかと聞かれると、とても難しい。
篠田君は私が想像してた男子とは違って、とても物腰が柔らかくて丁寧な人だし、本の感想も、聞いていると面白い。
だからといってどう思ってるかって質問に一言で答えられなくて悩んでいると、杏奈ちゃんは私の方に身を乗り出した。
「どんな人だと思う?」
「う~ん。
そっけないけど、すごく、丁寧な人…。」
私の答えを聞いて、二人は「ふぅん」とニヤニヤして言った。それがどういう意味かは分からなかったけど、とりあえず自分でも篠田君のこと少なくともイヤだって思ってないことだけは分かった。
「あ、あとね。」
「うんうん。」
「嘘がない人だなって思った。」
私が好きな方を知っていたはずなのに、篠田君はそれに合わせる事なくはっきり自分の意見を言った。私にはできないことだなってそれがうらやましくて、篠田君から聞ける感想には嘘がないってわかって、純粋にとても嬉しかった。
二人はまた私の答えを聞いて嬉しそうに笑ったと思ったら、天音ちゃんは突然「わかった」と言った。
「一緒に勉強しよう。」
「え?!」
どういうこと?と思って驚いて見せると、天音ちゃんは冷静な顔をしたままスマホを手に取った。
「そのヒーローさんのことが好きってのは分かったけど、
アキのことも別に悪く思ってなさそうだからさ。」
「おもった。」
「はっきりさせるためにも、
一緒にいる時間増やしたほうがいいと思って。」
私が反論する間もなく、天音ちゃんは篠田君にメッセージを送っていた。そしてしばらくすると「いいってさ」とニヤニヤしながら言った。
私、アレックスのことが大好きなはずなのに、
知らない間に篠田君のことも気になってた…?
この間まで恋もしたことがなかったのに、一気に二人のことが気になるなんて非常識な女だと思った。複雑な顔をした私の気持ちを察したのか、杏奈ちゃんが私の背中をポンと叩いて「別に深い意味はないから」と励ましてくれた。
「そうそう、友達増やすぞ!
くらいの気持ちでいてくれたらいいよ。」
「うん…。」
そうは言われても、私の気持ちは複雑なままだった。
でもそれはなんていうか、二人のせいではなくて、篠田君を少しは意識してしまっている自分の気持ちに気が付いてしまったからで、アレックスのことが純粋に大好きだって思っていたはずの自分に申し訳ない気持ちになった。
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