9・「徳川家康」が茶を啜る
どうして、こんなことが起こったのか。あれは夢ではないのかと思った。
しかし、夢にしては長い。
あれ以来、自分は変なものが見えるようになっている。しかも、毎日のように時間も場所も関係なく、忽然と彼らが自分の視界に入ってくるのだ。
いまも見えている。この骨董店のいたるところに得体のしれない生き物たちがうごめいている。
そちらに気を取られていたこともある。
シゲと呼ばれた男の話が入ってこなかったにのは……。
彼らは見えているのだろうか。
たくさんのうごめくものたちが……。
「気にするな。こいつらはただいるだけだ」
それに気づいたのだろう。朝矢が言った。
確かになにもしない。
もう三十分以上もここにいるというのに、彼らが弦音たちになにか悪さするふうでもない。
自由に過ごしているようだ。
『ほほほほ。これはよい』
その中、店の片隅に飾ってあった古い湯飲みの前にチョンマゲ姿の男が胡坐を掻いて、プカプカと浮いている。
ふっくらした身体つきの年配の和服に身を包んだ男だ。
その男から茶をすする音が聞こえてくる。
それはずっと聞こえていた。
成都の長い話とともにズズズっと啜る音が、弦音の耳にはいってきていた。話を聞いている間はまったく気にしていなかったのだが、話が終わると同時に啜る音が大きくなり、声さえも響き渡るようになった。
『ああ。この茶器で啜るお茶は格別じゃのぉ。あとは羊羹でもあればよいのにのぉ』
男の声が大きくなる。
『ああ、口惜しい。口惜しい』
どうしようか。
なにか言うべきなのか。
弦音がそんなことを考えていると、朝矢がすっと立ち上がった。
「うるせえ」
すると、朝矢がその男の後頭部を蹴りつけると、 男はそのまま目の前の古い家具に激突した。
いや、激突はしていない。
家具の中に頭がのめり込んだというのが正しい。けれど、家具にはヒビ一つ入っていない。
男はスポンという音をたてながら、タンスから顔を出す。タンスにはまったく穴らしきものは空いていなかった。
『痛いではないか。年よりを雑に扱うでない』
「うるせえ。って、てめえはいつまでここにいるつもりだ?さっさとあの世に行きやがれ」
『そんな無碍にするでないぞ。若造。このワシをなんと心得えよ。天下の将軍ぞ』
「そんなもん。この時代におらん。さっさと成仏せんか」
『ほほほほ。なんといっておるか。わからんぞ。田舎小僧』
家康と呼ばれた男はどこからともなく現れたセンスで口元を隠しながら、愉快に笑っている。
「だれだよ。この狸爺。置いたのは……」
朝矢が顔をゆがめていると、成都がポンと肩をたたいた。
「召喚した本人やないか?」
朝矢は成都が指で指した方向を見る。
「ぼくだよ~ん♡」
すると、ランドセルを背中に背負っている少年が入り口のところでニコニコ笑いながらたっていた。
いつ入ってきたのだろうか。
扉の開く音はなっていない。
聞こえていなかっただけだろうか。
「ナツキ……」
「あのねえ。僕、気に入っちゃったんだ。このおじいさん」
『おお、ナツキか』
家康はナツキのほうへと近づくと、その頭をなでる。
ナツキはニコニコと笑う。
「ほほほほ。小さいナツキも愛らしいのぉ。ほほほほ」
「ふふふ」
ナツキが無邪気な笑みを浮かべている。
弦音が呆然とする一方で、朝矢も成都も顔をゆがめていた。
「小さいナツキねえ」
背後で桜花がつぶやく。
どこか意味深に聞こえたのは、弦音の勘違いだろうか。
弦音は桜花を振り返る。
桜花は計算も続きを始めていた。
「それよりも……」
ナツキは弦音のほうへと近づくと見上げた。
「お兄ちゃんは仲間になりにきたんだよね」
「はい?」
「おい。こら」
「だってえ。そのために与えたんだよ。絶対に仲間にするんだって……」
「仲間?」
「うん。いっしょに戦ってくれる仲間」
「はっ?」
「おいおい。ナツキ、てめえ。こいつは仲間になるとはいってねえぞ」
「ええ、そうなのお。ここに来たってことはやる気になったってことかと思った。だよね」
「えっと、おれは……。その……」
「無理するな。おれたちの仕事は、この前の渋谷の事件のようなことに対処することだ。警察以上に危険だ。断れ」
「おれは……」
そのつもりでいた。
訳の分からない仕事をしろと突然言われて、意味もわからずに巻き込まれるのはごめんだ。
それなのにいまは迷っている。
どうしたらいいのか。
「ねえ。お兄さん。本当に断っていいのかなあ~? 」
ナツキは弦音を上目遣いでナツキを見る。
「ナツキ。てめえ」
「きっと、また巻き込まれるかもよ」
「トモ~。無駄やでえ。ナツキの誘惑には勝てん」
成都は朝矢の肩に膝を乗せ、楽しそうに弦音とナツキの会話を見る。
「おいおい。冗談じゃねえ」
朝矢は眉間に皺を寄せる。
「巻き込まれる?」
「あの子だよ。あの子。お花になった子。一回取りつかれているから、また狙われるかもよ」
「江川?」
弦音の声が荒くなる。
「そうだよ。あの子、媒体になったから、また器にされるかもよお」
「ナツキ」
「嘘じゃないよ。だって、お兄さん。あの女の子。好きでしょ。守ってやらないとね」
そういって、ナツキは無邪気に笑う。
「おいおいおいおい」
朝矢はさらに顔をゆがめ、成都が愉快に笑った。
その後ろで桜花があきれたようにため息を漏らしている。
その片隅で家康が「ほほほほ」と愉快に笑いながら、ズズズっと茶を啜っていた。
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