5・姉

 お姉ちゃん


 お姉ちゃん


 逢いたかった。


 謝りたかった。


 どうして、あの日に限って喧嘩なんてしてしまったのだろう。


 この三か月。


 ずっと後悔ばかりだった。


 逢いたい


 声がする。


 洋子


 物心ついたときから自分を呼ぶ姉の声。


 優しい声。でも、その声はどこか歪んでいる。

 怯えて、必死に洋子へと手を伸ばし続けている。


 助けて


 洋子


 行かなきゃ。


 お姉ちゃんが助けを求めている


 ずっと、叫んでいたのではないか。


 殺された日。


 なにがあったのか洋子にはわからない。けれど、きっと必死に助けを求めていたに違いない。


 切り裂かれながら、追い詰められながら、洋子をずっと見ていた優しい目がえぐり取られながらも必死に叫んでいた。


 助けて


 ひたすら洋子に助けを求めていたのではないだろうか。


 そう思うと激しく動揺する。


 いまなら助けられるかもしれない。


 どうやって?


 だれかが問いかけてくる。


 答えなんてない。


 自分がどうにかできるはずがないにも関わらずに足が止まらない。


 声のするほうへ


 なにかに引っ張られるように洋子は走った。


「洋子。ここよ」


 気づけば、部屋の扉を開いて中へと入っていた。そこには無数の人形が並んでいる。けれど、洋子の視線はそれらにも目もくれず、部屋の中央に佇む少女に注がれていた。


 少女はたたずんだまま、洋子のほうを見ている。


「洋子。洋子」


 少女が口を開く。 


 聞き覚えのある声。


 懐かしくて愛おしい声。


 どれくらいぶりだろう。


 あの日、彼女と喧嘩した日から聞かなかった自分を呼ぶ声。


 そこにいる。


 姉はいま目の前にいる。


「お姉ちゃん」


「そうだよ。私よ」

 

 少女が両手を伸ばす。

 

 お姉ちゃんだ。


 大好きな姉の笑顔がそこにある。


「洋子ありがとう。助けに来てくれて」


「そうよ。助けに来たのよ。お姉ちゃん」


 洋子は姉のほうへと近づく。


「帰ろう」


「うん。帰ろう」


 帰ろう

 

 また一緒に暮らそうよ。


 私たちの家で、笑ったり怒ったりしながら、一緒に暮らそうよ。



 ズキューン


 姉に触れようとした瞬間、銃声とともに姉の額の銃弾がつらぬいた。


 姉は見開いたまま、後方へと倒れる。


 洋子は手を伸ばすが、彼女の手をつかみ取ることができなかった。


 額からは血が流れ、姉の眼は見開いたまま虚空を見つめている。


「お姉ちゃん」


 洋子は咄嗟に振り向く。そこには、銃口を向けている尚孝の姿があった。


「刑事さん? どうして?」


「よく見ろ」


 洋子はそこではっとする。


 振り向くとそこには姉の姿はなく、人形が一体倒れている。


 額から流れていたはずの血は消え、ただ穴だけが開いていた。


「人形?」


「た……す……けて……」


 人形から少女の声。

 

 姉の声だ。


「お姉ちゃん……」


 そうつぶやいた直後。


 人形の口が不気味に開く。


「ケケケケケケケケケ」


 人形がすくっと立ち上がる。


「ケケケケケ」


「お姉ちゃん?」


 声は姉の声だ。


 けれど、その無気味な笑い声は、それとはかなり異なっている。


「ケケケケケ。殺そう」


 その人形がいうと、突然周囲にあった人形たちが一斉に飛び出してきて、洋子と尚孝に向かって襲い抱える。


「ケケケケケ。殺せ。殺せ」


「奪え。奪え」


「きゃぁあああ」


「くそ」


 尚孝は銃弾を放つ。人形を貫くが、まったく聴効いていない。


「ちっ、ただの銃じゃ無理か」


 わかってはいたが、他に武器はない。


 あるとすれば


「くそ」

 

 玉切れになると銃を人形に投げつける。すると、


 一体の人形が地面に叩き落とされた。


「ケケケケケ」


 一体だけ落としたからといって、それらの動きが弱まるわけではない。


 そのまま、尚孝たちに突進してくる。


 尚孝は洋子の手をつかむと、自分の背後に隠す。突進してくる人形を拳で殴り蹴散らしていく。


 人形は地面に落とされるがすぐに這うようにして立ち上がると、尚孝たちに近づいてくる。


「ちっ」


 こういうときに自分の無力さを感じる。


 いくら警察とはいえども、妖怪といった分野においては、霊力のない自分にはどうにもできない。


 こういうときに霊力がほしいと願ってしまう。


「くれ。くれ。その目」


 人形たちが尚孝の足元に張りつき、そのまま登っていく。いつの間にか、腕にも人形が張り付き、身動きがとれなくなってしまった。


 そのまま、膝が折れる。


 地面に俯せにさせれられる。


「きゃあ」

 

 洋子も人形に張り付かされて、同じ態勢をとらされる。


『いい顔しているわね』


 人形から声が漏れる。


 姉の声ではない。


 先ほど出会った月草峰子という女性の声だ。


『もう遊ぶのやめるわ。さっさとその目を奪って、あなたたちを殺すことにしたわ。そう思ったとたんに私の求めた表情が見れたわ。ねえ。刑事さん』


 人形の小さな手が尚孝の顔に触れる。


「悪趣味だな」


『よく言われるわ。さて、もらおうかしら』


「いやいや」


 洋子が怯えている。

 目から涙がこぼれ落ちる。


 人形に動きを止められ、目の前の人形が自分に手を伸ばしている。


「洋子」


 人形から声が漏れる。


 姉の声だ。


 懐かしく愛おしい声なのに、いまの洋子には恐怖しか覚えなかった。


『どちらをさきにしようかしら? うーん。一番きれいなものからいこうかしらね』


 その声とともに尚孝の眼に人形が触れようとした。

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