6・マロ

 家に帰り、食事を済ませてお風呂に入る。

 風呂からあがり廊下を歩いていると、先ほど弦音が食べたあとの食器を洗う母の姿と、リビングでテレビを観ながらくつろいでいる父の姿があった。それを横目に通り過ぎていき、階段を登る。


 二階に上がるとすぐには妹の部屋。扉には『勝手に入るな』という手作りのプレートが書かれている。


 その隣が弦音の部屋。


 扉を開いて中へ入る。


 電気をつけるとベッドと勉強机。


 本棚には漫画本と教科書。ハンガーにかけられているのは袴といった部活道具。どうやら、母が洗濯してくれているようで、洗剤の匂いがかすかに漂う。その隣にある本棚にある本からひょっこりと姿を現したのはちいさな妖怪。朝矢たち祓い屋の間では“モノノケ”とよばれる存在だった。そのモノノケは、平安貴族が着てそうな着物で身を包み、その手には扇子をもっている。


 そのモノノケを弦音は“マロ”と呼んでいるが本当の名前は知らない。


 マロは本の中に半身隠れるようにしてじっと弦音を見ている。


 もうすっかり慣れてしまっている。


 マロの存在に気づいたのは、渋谷での事件があった翌日の朝のことだった。


 制服に手を伸ばそうとするとそのすぐとなりにあった本棚から気配を感じた。

 

視線を向けると、弦音が気に入っているライトノベルの本のなかから「面白かった」といいながら出てきたのだ。



 弦音は悲鳴をあげて腰を抜かしてしまった。


 悲鳴に驚いた母と妹がどうしたのかと駆け付けてくる。


 弦音がマロを指さしてみるが、母も妹も何わけのわからないこと言っているのだとあきれられた。


 マロはすぐに本の中へと隠れてしまった。


 それから、なぜか本の中からまたに出てきては、弦音のほうを見る。なにかをいうわけでもなく、視線が合えば本のなかに隠れてしまうのだ。


 最初は怖くて本を手にすることもなかったのだが、このまえ勇気を出して本を手に取り開いてみるとそこには文字の上に座るマロの姿があった。しかし、弦音の存在に気づくとどこかへと消えてしまうのだ。


「お前はなんでそこにいるんだ?」

 

ときおり、顔を出したマロに尋ねてみたこともあるが、答えが返ってくることはなかった。


 

「気二ナル?」


しかし、いつもすぐ隠れてしまうマロが当然口を開いたのだ。



「はっ?」


  弦音が目をぱちくりさせながら、マロをみた。すると、本のなかへと一瞬隠れたマロだったのだが、すぐにひょっこりと顔を出す。



「気二ナル。行ッテ見ル」


どこか気恥ずかしそうにいうマロ。


 なにを言っているのか。


 気になるとはなんのことか。


 弦音は一瞬わからなかった。


「キニナル。弦音。アノモノノケ気二ナル」


その言葉でようやく理解した。


 あれだ。


 一つ目の猿のこと。一つ目の猿が何者かに追われていて、それを朝矢が持って逃げていること。あと洋子のこと。洋子の姉のこと。


 モノノケ


 アヤカシ


 オニ


 祓い屋


 弦音にとってはすべてにおいて聞き覚えのある単語でありながら、初めて聞く言葉の羅列が並んでいる。


 このままでいいのか。


 自分がのんびりしている間に朝矢たちは得体のしれない何かと戦っているのではないのか。


 知らないとき良い。


 けれど、知っている。


 知ってしまっている。


 すべてではないにしろ。


 知ってしまっているのだから、そのまま知らないふりをするわけにもいかない。


「確カメル」


 マロは本の中へと隠れてしまった。


 確かめる。


 なにが起こっていてどうなっているのか確かめてみたい。


 そんな衝動にかられた。


「よしっ」


 弦音は自室の扉をこっそり開く。


 一階から聞こえていたはずのテレビの音が消えている。


 部屋を出て、階段をゆっくりと降りる。


 よし、電気が消えている。


 二人とも床に入ったはずだ。


 弦音はそっと自室に戻ろうとする。


「お兄ちゃん。なにやってんの?」


 振り向くと、寝間着姿の妹が立っていた。


「ゆ……弓奈ゆみな


 妹の弓奈が眠そうにあくびをしている。


「もうなに独りでこそこそしているのよ」


「えっと……。そうだ。弓奈」


 弦音がポンと妹の肩を掴む。


「兄ちゃん。いまから大事な用事がある」


「はい?」


「いまから出かけなければならない」


「お兄ちゃん。どうしちゃったの?真剣な顔して……。あーまさかデート?」


 弦音はずり落ちそうになった。


 弓奈の眼がキラキラと輝いている。


「もしかして。両想いになれたの? いつ? いつ告白したの?たしか、江川さんだっけ?」


「違う。なにいってんだよ。それにこんな遅くデートにいくか」


「違うの。ちぇっ。……ってまだ告白してないの?意気地なしよね。お兄ちゃんは……」


「妹に言われたくない」


「それでどこにいくの?」


「えっと……」


 妹にどう伝えればいいのか迷った。


「まあ、どうでもいいけど……。わかったわ。お父さんにはバレないようにしといてあげるよ。でも、お父さんが目を覚ます前に帰んなきゃだめだよ」


 そういいながら、弓奈が階段を下りていき、玄関の鍵を開ける。


「あっああ」


 弦音がそのまま玄関から出ると、いってらっしゃいと満面の笑みで手を振りながら、玄関の鍵を閉めた。


 これって追い出されたんじゃないのか。


 ぜったぃに……。


 おれ、別に悪いことしていないんだけどなあ。


 まだ中学生なのに、確実に自分よりもしっかりしている。


 そう思うと自分が情けなくなる。


「こうしてられない」


 弦音は駆け出した。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る