2・ビルの妖怪たち

 目的のビルは、変な形をしたビルのすぐ隣のビルだった。


 周囲と同じような四角柱で窓ガラスばかりの高層ビル。


 もうすでに電気が消えており、月明りのみがビルの窓ガラスに反射している。その下ではいまだに人々が行きかっている。


 そのすでに人気がないビルの前に立っている三人に奇妙な視線をぶつけるものはいない。通行人は三人の存在など知らないまま通り過ぎていく。


 もちろん、足元に普段はみることのない生き物たちがうごめいていることなどしらない。


弦音は足元でなぜか楽し気に踊っている『妖怪』と呼ばれる生き物たちが気になって仕方がない。


 彼らは弦音の周囲をグルグル回りながら踊っているかと思えば、いつのまにか耳元で手に持っていたラッパを奏で始める。弦音は慌てて手で追い払うときゃきゃと笑っている。


「なんですか? これ? さっきから俺にばかり、ちょっかいを出すんですけど……」


 そう訴えてみるが、朝矢は気にするなとだけいう。


「君は最近見えるようになったみたいだね。あの人の仕業?」


 あの人とはだれのことだろうか。


 弦音はほんの少し前まで、妖怪といった類をまったく見えなかった。霊感もあるほうではいから、零の気配もまったく感じたことさえもない。それなのに、突然見えるようになった。


 話によるとナツキという子供が与えたらしい。


 あの人と呼ぶのはナツキのことだろうか。


 そう思うとどうも違和感がある。


 子供のことを果たしてあの人呼びをするのだろうか。そうなれば、店長のことだろうか。


 いまだにあったことのない店長。


「ここがそうか?」


「うん。ここに入っている会社の関係者が今回の依頼人。僕の友人でもある」


 弦音がそんなことを考えている間に話がどんどん進んでいく。


「依頼人は?」


「帰ったよ。会社に留まりたくないそうだ」


「だから、このビルだけがもう真っ暗なのか」


 朝矢がいうように周囲のビルは今だに明かりが灯っている場所もある。それなのにもうここのビルはまったく明かりが灯っていない。社員はまったくいない様子だ。


「警備員もいない。噂が流れているから、警備員もこないんだよ」


「噂というのは、怪異の噂だな」


 弦音が尋ねる前に朝矢がいった。


「うん。だから、残業もできない。仕事は家へ持ち帰りのうえに仕事が遅れているそうだ」


 よくわからない。


 一体どんな怪異が起こっているのだろうか。


「開いているのか?」


「ああ。閉めないでいてもらっているよ」


 朝矢がビルのほうへと歩み寄る。


 自動ドアのはずだが、自然に開かない。電源が切ってあるのだろう。


 朝矢は開閉扉に手を当てて右へとずらす。扉が開いた。


 そのまま、中へと入っていく。


 だれもいないビルの中。


 入ってすぐは広いエントランス。中央にはエスカレーターがあり、入って右方向には受付のカウンター。左手にはテーブルがいくつか並び、その奥にエレベーターが見える。


「動くよ。電源は全部切っていないからね」


 柿原がぃった。


「そうか。階は?」


「十三階」


 朝矢たちはエレベーターに乗る。


 十三の数字のボタンを押して、エレベーターが動き出す。


 同時にエレベーターの壁の中から何かが出てきた。長い腕と一本の角。吊り上がった目は真っ赤で体中が緑色。大きな鼻と大きな口から出てきたのは二本の牙。


 のっそりと出てきたそれに弦音が息を飲んだ。


「なんだよ。これ?なにか出てきた」


 弦音が喚いた。


「うるせえ。それぐらいでビビんなよ」


 緑のモノはゆっくりと朝矢に近づく。そのまま朝矢の足元にしがみつこうとした。その瞬間。朝矢はそれの頭を思いっきり殴りつけた。


 それは後方に倒れこみ、頭を長い両手で押さえながら、涙目で朝矢を見る。朝矢は、それをギッと睨みつける。すると、それはそそくさと壁に消えていった。


「なんだ? あれ?」


「ただのいたずら好きな下等妖怪ってところだね」


 柿原がいった。柿原も見えているようだ。


 しかも特に驚いている様子もないところから、昔から見えていたのだろうか。


「僕は子供のころから見えるたちだったけど、こんなにはっきり見えるようになったのは、数年前からだよ。あの人に強化してもらったんだよ」


 だからあの人ってだれのことなんだ?


「あの人っていうのは……」


 それに気づいた柿原が答えようとしたとき、エレベーターの扉が開いた。


 扉が開いた先は真っ暗だ。まっすぐに廊下が続いているようだが、電灯もまったくついていないために、数歩先でもなにがあるのかさっぱりわからない。


「あっ、懐中電灯を……」


 柿原は慌てて懐中電灯を出すと、正面を照らした。


 廊下だ。長い廊下の左右にはいくつもの扉がある。その壁からなにかが動いている。


 真っ黒で姿がはっきりしないが、どうやら妖怪と呼ばれる類だろう。


 弦音はふいに思う。


 妖怪

 モノノケ

 アヤカシ


 なんとなくだが、彼らは使い分けをしているように思う。一般的には同じものを指しているようにも思える言葉なのだか、どうも違っている。


 どう違うのは弦音には全くわからなかった。


 弦音は前を歩く朝矢を見た。


 朝矢は先ほどから朝矢のほうを見ている小さな妖怪たちに目もくれずに歩いていく。


 どこへ向かうのか。


 朝矢には向かう方向がはっきりと見えているようだ。


 朝矢の足に絡みつく妖怪もいる。


 朝矢が軽く足を上げると、妖怪たちが慌てて逃げていく。


 そんな光景を弦音は後方からみる。


「なんか妖怪たちって、有川さんにばかり近づきますね」


 弦音がつぶやく。


「そうだね。彼は霊力が強いから、妖怪たちも引き寄せられるんだろうね」


「霊力が強いと寄ってくるものなんですか?」


「そうだよ。だから、妖怪たちも姿をみせるんだよ」


 柿原が説明してくれているのだが、どうもピンとこない。


 それもそうだろう。


 ただの平凡な高校生だった弦音が突然妖怪といったものが見えるようになったばかり。そう簡単に説明されても理解できない。かといって、無駄に長く説明されたら混乱して、余計に理解不可能だ。


 成都の長話が思い出される。


 えっと、どんな話をしていたんだっけ? 


 長すぎて思い出せない。


「ここだろう?」


 朝矢が足を止める。


 そこは観音扉でそのうえに社長室という言葉が書かれていた。


「ご名答。いまは使われていないらしい」


「そうか。気配がする。まあ、さほど強くはないけどな」


 強い?


 気配?


 何のことだがさっぱりわからない



 朝矢がその観音扉を開いた。


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