2・公園で野球する

「……でなぜ、俺たちが公園に来ないと行けねえんだよ」


「いいやんか。たまには汗かこうぜ。レポートばっかりじゃあ、息詰まるやないか」


 朝矢たちは店の近くにある公園にいた。


 弦音が困惑していると、突然ナツキが公園にいこうと言い出したのだ。


 意味がわからないまま、朝矢と成都にグローブが渡された。


 ナツキがバットを持ち、弦音は野球ボールを持っている。


 桜花はいない。


 店番しないといけないと断ったのだ。


 最初は朝矢も断るつもりだったのだが、半ば強引に公園へと連れられてきたわけだ。


 もう日が傾いている時間だというのに、公園にはさまざまな人の姿があった。学生に親子づれ、ベンチに横たわるホームレス風に⁉️の男。


 さまざまな人たちが思い思いの時間を過ごしている中、朝矢たちは今まさに野球をしようとしている。


「トモ兄はあっちで、シゲ兄はこっち。僕が打つからツンツンは投げてね」


「つ……ツンツン?」


 突然、そう呼ばれた弦音は目を何度もパチパチとさせる。


「弦音だからツンツンなの」


「呼ばれたこともない」


 弦音の記憶では呼ばれたことない呼び名だ。たとえ、親友でもそんな呼び方はしない。


 新鮮すぎて、戸惑いを覚えてしまうのはいうまでもない。


「まったくツンツンしてへんけどなあ。まあええか。よろしくたのんますう。ツンツン」


 どうやら成都はその名が気に入ったようだが、朝矢は苦虫をかんだような顔をしている。


「お前も呼んでやりいや。なあ、トントン」


「トントンってなんだよ。トントンて」


「だって、朝矢やからや」


「呼んだこともない名前で呼ぶな。ボケ」


「そうやったなあ。俺もなれへんわあ。やっぱりトモはトモやあ」


 意味がわからねえよと朝矢は舌打ちする。


 弦音のほうはひたすら対応に困っている様子で、視線をあちらこちらへと動かしていた。


 結局、この仕事を受けるとも受けないとも回答していない。 


 悩んでいるうちにいつのまにか公園でグローブとボールを持たされていた。


 どうてこうなってしまったのか。


 弦音は野球ボールを見る。


 久しぶりだなあ。


 ボールの手触りになつかしさが込み合ってくる。


『もうやめちゃったんですよね』


 ふいに先ほど逢った中学時代の後輩の言葉を思い出す。


 やめた。


 それなのに妙にしっくりくる。


 この手触りと感覚がいまでもなじんでいる。


 やめたのに、まだやめられない。


 もう握ることはないはずだったのに、気づいたら握っている。


「ツンツーン。早く投げてよお。早く打ちたいんだよお」


 ナツキはバッドを何度も振り回している。


「投げろよ」


「はい?」


「あいつ、あまり待たせないほうがいいぞ。あまり待たせると暴走するからな」


「ひどいなあ。トモ兄。暴走なんてしないもーんだ」


 ナツキはバッドを一度肩に乗せたのちに打つ構えを見せる。


「投げてえ。僕、おもいっきり打つよ。トモ兄。シゲ兄。しっかりとってね」


「とったらアウトやでえ」


「だって、そうしないと危ないじゃん。人にぶつけたらとうさんに怒られるもん」


「なんや、店長にびびってんのか?」


「とうさん。怒らせたら、僕、遊ばせてくれなくなる。遊びたいのに遊ばせてくれないのはつらいもん」


「なんや。そんなことあったんかい」


「前にあったよ。おいたしすぎて、遊び禁止になったことあるよ」


「おいおい。早くしろよ。日も暮れるぞ。俺、七時から仕事だぞ」


 さっきからだまっていた朝矢が口を開く。


「なんや。今日は仕事やったんかい。どこの仕事や」


「警察」


「はっ?」


 警察のバイトとはどんなものだろうかと弦音は考える。


「正確にはあいつの手伝いだ」


「芦屋はんのか? まさか、あのお嬢ちゃんの件か?」


「別のだよ。別の……。店長が今夜いってこいってさ」


「なんやねん。俺には何もいわんかったでえ」


「そうだ♡」


 突然ナツキが声を張り上げた。


「ねえねえ。トモ兄。ツンツンも連れて行ってよお」


「はい?」


 弦音は突然言われて、一瞬目が点になる。

 朝矢も面食らったような顔をした。


「決まりい」


「おいおい勝手に決めるな。だれがつれていくかよ」


「いいじゃん。いいじゃん。ツンツンもこれから仲間だよお。仲間……」


「俺は何も……」


「それよりも早くう。早く投げてよお」


 ナツキが催促してくる。


 日が沈み始める。


「投げてやれよ」


 朝矢がいった。


「そうやでえ。とにかく投げてやりいや。俺もはよう戻りたいねん」


「どこにだ」


「決まっとるやろう。愛するハニーのもとや。まっとれえ。ハニー」


「さっき会ったばかりだろうが……。あいつは別にまってないと思うが……」


「ひどいなあ。待っとるにきまっとる。なんせ、俺たちはつきあっとるんや。ずっといっしょにいたいはずだ」


 朝矢は顔を歪める。


 その間に成都が『愛するハニー』の話をし始めたのだ。


 今頃、彼女はくしゃみをしているころに違いない。いや応なく、成都が彼女を好きすぎることが伝わってきてならない。彼女のほうはどうだろうか。あまり表情を変えない彼女の感情はわかりづらい。


 本当はどう思っているのかなど朝矢がわかるはずはなかったのだが、成都のほうはというとまったく疑問を感じている様子はなかった。


 なんとなく、わかりあっているのだろうことは理解できる。


「シゲ兄。うるさーい。ながーい。日がくれるよ。黙ってて」


 やがてナツキが檄を飛ばす。


 成都はハイハイと黙りこむと、さーこいとボールをとる構えを見せた。


 朝矢はため息を漏らすとそれに習って構える。


「投げてえ。思いっきりねえ」


 弦音は戸惑いながらもボールを投げた。


「そーれ」


 ボールは一直線にナツキへと向かう。


 おもいっきり振られたバッドにボールがぶつかり、カキーンという音が響くと同時にボールが高々と上がる。


 ボールはそのまま朝矢のほうへと延びていく。朝矢はグローブを上げると、ボールが落ちていく。


 ボールは朝矢のグローブではじけ、後方へと落ちていく。


「よっしゃぁ」


 すると、いつのまにか成都が身体をスライディングさせてボールをグローブに納めると、身体を一回転させ身体を立たせた。シコを踏んだ態勢となる。


「すごい。すごい。シゲ兄。トモ兄。ださっ」


「うるせえ」


 朝矢はそっぽを向く。


 その中で弦音は呆然としている。背後をみたのちに無邪気に笑うナツキをみた。


「ツンツン。僕、君の玉うったから、トモ兄といっしょにいってねえ」


「はい?」


「そういう約束だもん」


「そんな約束してない」


「僕いったもん。もしも、ツンツンの玉を僕が打てたら、ツンツンはトモ兄のお仕事についていくって」


「聞いてないけど」


「いったよ。心の中で」


「はい?」


「いってねえと同じだろうが」


 朝矢がナツキの頭を軽く叩いた。


「痛い。トモ兄痛いよ」


 朝矢はため息を漏らす。


「わかったよ。連れていけばいいんだろ」


 ナツキは目を輝かせた。


「おい。お前」


「はい?」


「いまから時間はあるだろう?」


「はい」


 確かにこれといって予定はない。断ったら家に帰るつもりでいたからだ。けれど、このまま帰させてくれそうにないことは感じた。ナツキという少年の無邪気に笑みがどうしても圧迫感を感じさせる。


「まあ。経験あるのみや。トモについていってみて、嫌だったらことわりな。それでええやろう?ナツキ」


「いいよ。たぶん、断らないと思うけど……」


「なぜそう言い切れる?脅したからか」


「そうじゃないよ。きっと、経験したらわかるよ」


 なにがわかるというのか、弦音にはまったく理解できなかった。


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