弱肉強食

五味葛粉

お化けです

たった五文字が言えなかった。


 カツ、カツ、カツ、カツ、

 硬い床を踏む音が通路に木霊する。


 時刻は丑三つ時。

 懐中電灯の灯りを頼りに、若い看護師が欠伸をしながら通路を進む。


(クックック、

 ついに来たな新人の美人看護師さんめ)


 その美しい見た目と優しい性格のせいで、意地悪な先輩達にイジメられている新人看護師は知らなかった。


 今自分が見回りをしている旧館には、かつて自分と同じ年頃の新人看護師が、投薬のミスで命を奪ってしまった患者がいた事。


 そして、その患者が自分を殺した看護師を怨み、幽霊となって、この旧館を見回りする新人看護師を呪い殺してしまう事を。


(さてさて、今回はどうやって脅かしてやろうかな)

(……まずは無難に窓でも開けて見るか)


 幽霊・田中久司は体を透明にしたまま、ゆっくりと、看護師が歩くその横の窓を開けた。


 カラ……カラ……カラカラ……、

(ゆっくり、ゆっくり、からの~)


 新人看護師が音に気付いて窓を見る。

 直後、

 バン!!!

「うひゃあ!?」


 いきなり力強く叩きつけるように開け放たれた窓が大きな音を立てる。

 それに驚いた看護師は尻餅をつく。


(ウッヒャッヒャッヒャ、

 可愛らしい悲鳴だぜお嬢さ、ん?)

「も、もう!いきなり驚かせるなんてヒドイですよ!」


 透明化したままの幽霊・田中久司の前で、新人看護師・松山恵は尻餅をついた格好のまま、頬を膨らませて言った。


(え?え?嘘?見えてる?いや、いやいや、透明化は解除してねぇぞ!?)

「むぅ~、無視なんてヒドイです。大体、今は消灯時間過ぎてるんですよ!」

(いや、見えてるわコレ)


 久司は暫く迷った末、透明化を解いて、一先ず話をしてみる事にした。


「えっと……ご、ごめんなさい。何か、よく眠れなくて」

「そうだったんですね。ちゃんと謝れて偉いですよ」


 ニコやかな微笑みを浮かべて恵は久司の頭を撫でる。

 享年十才の久司は、二十歳の恵から見ればまだ幼い子供だ。

 まあ、実際はその十倍以上生きて(幽霊として)いる訳だが。


 しかし、長い間怨み辛みだけで動いてきた久司にこれは結構効いた。

「お姉さんがよく眠れるように一緒にいてあげますから、病室に戻りましょう?」

「う、うん。ありがとう優しいお姉さん」


 何年も何年も、新人看護師を呪い殺してきた彼だが、本当はもう自分を殺した看護師を怨んでなどいなかった。

 そもそも気付いていたのだ、自分を殺した看護師も、自分を殺したくて殺した訳ではない。

 本の些細な、と言うには重すぎるが、しかし、ただの不幸なミスだった。


 今隣で、自分の小さな手を握って歩く新人看護師が、以前の、自分を殺した看護師の姿と重なって見える。

 その横顔を見ていると、看護師が不意にこちらを向いた。


「どうしました?」

「ううん、なんでもないよ」

「? ところで君の病室はどこかな?」

「……それ、は、」


 どうしよう、と、下を向いて迷っていると看護師が先に口を開いた。

「やっぱり、君もなんだよね」


「え?」

 顔を上げて見ると、看護師の


「私は轆轤首ろくろくびなんだけど、君は何の


「よう……かい……?」

 あ、そうか。とその言葉で理解した。

 なんで透明化中に俺を見られたのか、それは彼女が俺なんかより高位の存在だからで、

 俺が低級の幽霊だとバレたら、確実に消される。


「いや、えと、その……」

 言えない。、なんて絶対に言えない!


「まあ、何でもいっか。そんな事より、ここら辺の地域って人間しかいなくて色々と溜まってたんだよね。君もでしょ?今日は使命とか立場とか、全部忘れてお姉さんとイイコトしましょうね♥️」

「え?ちょっ、待っ!?」

 俺が答えに窮していると、轆轤首はその長い首で俺の体を縛り――――――、

「にゃ――――――――――――!!!!???」


 その日以来、旧館で新人看護師が呪い殺される事は無くなり、その代わりに幽霊・田中久司は、毎夜のように轆轤首・松山恵に色々なモノを絞り取られていった。


 貞操とか、怨みとか、自由とか、その他含めて色々と、


 大切なものをなくしました。

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