夢浮橋モダン天鵞絨

成瀬川るるせ

プレプロローグ

 わたし、夢野壊色(ゆめのえじき)は、もうもうと煙を吐く陸蒸気に揺られて、帝都を目指していた。

 古い友人、鏑木盛夏(かぶらぎせいか)が、帝都でわたしに職を用意してくれたのだ。

 その職というのも、高等女学校の寄宿舎の用務員、である。

 さすが、帝都でも名のある私塾・鏑木水館の塾長である鏑木盛夏である。

 帝都の名門女学校の寄宿舎で用務員なんて、ありつけない職だ。

 有難い。また、帝都に戻れる。

 まあ、盛夏のことだ。〈本職〉の方で、旅で知見を得たわたしが必要になったのね。

 ふふん。

 わたしだって、無駄に年を重ねているわけじゃないってとこ、盛夏に見せないとね!




 駅弁屋で買ったおにぎりを食べながら蒸気機関で動く鉄の塊に乗っていると、東京駅に到着する。

「ういー。久しぶりの帝都! 浅草でレビュウでも観てから、現地に向かうとしましょうか!」

 プラットホームに降り立ったわたしは、背伸びをしながら、息を大きく吸って、吐く。

「女学校の寄宿舎で働く者が少女歌劇を観てたら、性癖が透けてみえるわ。やめておきなさい」

 聞いたことある声が、わたしの欲を制しようとする。

「わ! いつからそこに立ってたの、盛夏!」

 声の主。乗車口に立っていたのは、聴いているのかいないのかわからないヘッドフォンをつけた、凛とした態度の女性、鏑木盛夏だった。

「ふゆぅ。半刻まえから待っていたわ。……壊色。久しぶりね。あちしも、あなたに会いたかったわ」

 男装まがいの職工風カーキ服にカーキ・ズボン姿のわたしと違い、盛夏は最新の洋装をしている。

「洋装か。この、モダンガールめっ!」

「聴かなかったことにするわ、工場労働者姿の男装女子さん?」

「レビュウに連れていきなさいよ、盛夏」

「頭が百合色に染まっているのは相変わらずね」

「盛夏には言われたくない」

 わたしと盛夏が話をしていると、背の低い、白いワンピース姿の女の子が走ってきて、そのまま盛夏に後ろから抱き着いた。

 盛夏は、ワンピース姿のその女の子の、頭を撫でる。

「盛夏。この〈オトコオンナ〉が、夢野壊色なの?」

 険しい目でわたしを見て、言う。

「そうよ」

「ふーん。盛夏は風花のものだから。夢野は盛夏とえっちなことしちゃダメ」

「風花? えっち? は? 誰よ、この娘。可愛いじゃん」

 盛夏は自慢げに、紹介をする。

「この娘は、雛見風花(ひなみふうか)。あちしの恋人よ」

「こ、恋人……? この、小さい娘が?」

 頭が百合色どころか、盛夏は心身共に百合色だった、この小さな恋人、雛見風花と一緒に。

 冗談抜きで、わたしが百合色に染まっているとか言われたくないわね、これは。

 盛夏が、トーン低めに、わたしに言う。

「壊色。ここじゃなんだから、なにか食べながらお話をしましょう」

 盛夏は雛見風花をじろじろ見るわたしにため息をつく。それからわたしに訊く。

「洋食屋にでも?」

 少し悩んでから、わたしは答える。

「おにぎり、さっき食べたから、いい」

「そう。帝都の案内は、いまさらするほどでもないわね。今日はうちに泊まりなさい、壊色」

「風花は夢野がうちに来るの、反対よ!」

 ぷしゃー、と牙のような八重歯を出して、警戒する雛見風花。

「駄々こねないの、風花。あちしはあなたのものなんだから、大丈夫よ」

「むー」

 雛見風花は不満げだ。


「可愛い彼女ですこと」


 モダンガールである鏑木盛夏は、違う意味でもモダンな生活をしているようだ。

 深くは突っ込まないようにしよう。

 これが世にいう〈おねロリ〉かぁ。


 なにはともあれ、わたしたちは、移動を開始することにした。

 背負っている行李が重い。

 荷物を早く下ろしたくなるわたしは、まっすぐに鏑木盛夏の邸宅を目指すことを提案した。







「下宿、探さないと。用務員に宿直は、たぶんないし」


 帝都を含むこの地方は『和(のどか)の庭』と呼ばれていて、斜陽地区、夜間地区、黎明地区の、三つの区画がある。

 この三つの区画は、それぞれ独自の特色があって、全く違う。


 わたしが用務員になる十王堂高等女学校は、〈黎明地区〉にある。

 鏑木盛夏の邸宅、鏑木水館(かぶらぎすいかん)も、同じ黎明地区にあるのである。

 鏑木水館は、〈夜間地区〉にある長良川江館(ながらがわこうかん)と、〈対〉の関係になっている。

 水館と江館は、どちらもわたしと盛夏の郷里の学問である『水兎学(みとがく)』の精神を教える私塾だ。

『和の庭』が生まれた時の精神的支柱にあったのは水兎学で、その探求は、和の庭の未来を支えるのに、必要不可欠だと、塾長の盛夏は思っている。

 むろん、〈本職〉の方でも、水兎学は必須だ。


 もともと郷里で水兎学を学ぶ、その学び舎で出会ったのが、わたしと盛夏の馴れ初めなのである。


 郷里の学び舎。

 そこでは文武の両道が説かれた。

 簡単に言えば、理論と実践。

 文武の道には大小があり、剣や書を学ぶ小と、実践をする大がある。

 私塾を開いている鏑木盛夏は、まさしく今、文武の大であるところの実践をしている、ということになるのだろう。

 諸国の漫遊をしていたわたしも、自分では実践をしていたつもりではあったんだけれども、失職によって帝都から離れたのが旅の始まりだったことを考えると、実践をしているわけじゃないのかもしれない。

 どうでもいい話ではあるけれど。

 和の庭の、〈のどか〉を謳歌するのが、今様の潮流。

 仕事しながら、楽しもうと思うわたしなのであった。







 黎明地区の、石畳の上をわたしたちは歩く。

 雛見風花は、鏑木盛夏に腕を絡ませ、満面の笑顔で歩いている。

「風花、はしゃがないで。あと一寸で水館へ着くわ。ところで壊色」

 盛夏が尋ねる。

「なにかしら?」

「あなた、落し物は?」

「落し物? 行李なら背負っているけど」

 わたしが首をかしげると、

「鈍いわね」

 と、盛夏が返す。

 そして、曲がり角を指さす盛夏。

「ほら、〈アレ〉を忘れてるんじゃなくて?」

「アレ、とは?」

 指さされた方向を見ると、建物の陰から飛び出してくる人影。

 猪突猛進と言わんばかりに、わたしに突っ込んでくる。

 その〈人物〉の頭突きが、わたしのみぞおちに決まった。

「ほげふぅ!」

 吹き飛んで後ろ向きに倒れるわたし。

 石畳に、後頭部をぶつけそうになる。

 咄嗟に柔道の〈受け身〉で、ダメージを分散させて、転がる。

 転がって飛び上がると、そこには、夏目漱石の『坊ちゃん』の敵キャラのような赤いジャージを着崩した女性が、瞳を潤ませ、わたしを見ていた。

 見ていたっていうか、見てるんだか見てないんだか。

 みぞおちに一発喰らわせたの、こいつだからねっ!

 目を潤ませていても、だまされないわ!


「先輩! 酷いじゃないですか! ここから九州まで、どれだけ離れていると思っているんです!」

「えー」

 突っ込んできたこいつは知り合いだった。

 その女性、長良川鵜飼(ながらがわうかい)という生娘から、眼をそらすわたし。

 生娘じゃないかもしれないが。

 鵜飼は、語気を強めて、わたしに言う。

「旅の途中で置き去りにすることないじゃないですか! 九州の造船所の見学中に、先輩がいなくなったと思ったら、なんで〈和の庭〉にいるんですか!」

「えーっと。盛夏に呼ばれたから?」

「九州から帝都まで、どれだけ離れていると思っているんですか、壊色先輩!」

 五月蠅いのがやってきてしまった。

 だから造船所に〈置き去り〉にして、和の庭まで戻ってきたっていうのに。

「しかも! ボクの〈江館〉じゃなくて〈水館〉へ呼ばれてのこのこついていくって、どういう了見ですか!」

「夜間地区には、借金取りが多いから?」

「それは先輩が飲み屋を『ツケ』にしてばかりなのがいけないのでしょう! だいたい、長良川家と鏑木家は、敵対関係なのですよ! それを、この鏑木盛夏に教えてもらって先輩を見つけることになるなんて……」

「わたしを呼んだの、盛夏だし」

「ああああああああああああ! 腹が立つ!」

 雛見風花が盛夏の洋服の袖を引っ張る。

「ねぇ、盛夏。今、夢野は痴話喧嘩をしているの?」

「そうよ」

「ちがーう!」

 盛夏の返しに、ツッコミを入れるわたし。

 吹き飛んで転んだりツッコミを入れたりと、わたしはチャップリンやバスター・キートンみたいなお笑い芸人ではないのよ?

 どういうこと、これは。


「まあまあ、落ち着いて、二人とも」

 なんて、盛夏は調停に入る。

「壊色の諸国漫遊の理由や、あちしたちの家の私塾がなんで存在するのかを、忘れてはいないでしょうね、長良川鵜飼?」

「は? なによ、鏑木! 先輩はボクのものよ!」

「〈和の庭〉の〈箱庭世界〉が、崩れようとするのを防ぐために、先の革命はあり、そして〈水兎学〉はあった」

 諭すように、それは穏やかな口調で。

「そしてまた、〈箱庭世界〉は、崩れようとしている。崩れるのを防ぐため、あちしたちは水兎学の〈実践〉をしていた」

 盛夏は鵜飼の目を見据えて、逸らさない。

「闇夜の心に巣食う〈まつろわぬもの〉、言い換えれば〈土蜘蛛〉が、帝都を覆いはじめている。その調伏をするのが、あちしたち水兎学派〈退魔士〉の役割なのよ。忘れていたのかしら。帝都の危機を救うため、あちしたちは動いていたのではなくて?」


 退魔士。

 それは〈神域〉と〈人域〉の境を守護するもの。

 すなわち『護国』。

 水兎学の〈実践〉そのものだ。


「さて。長良川鵜飼。退魔士として動くための壊色の漫遊に同行して、あなたはなにを見たのかしら?」

「…………」

 言葉を返せない鵜飼。


 そう。

 水兎学派の本質は、護国のための退魔士であり。

 そして、学派の徒であるわたしたちはその退魔士なのだ。

 盛夏の〈本職〉とは、退魔士のことである。


「どっちにしろ、壊色先輩はボクのものだから! 水館に、江館は負けませんよーっと!」

 あっかんべー、と舌を出してから、長良川鵜飼は走り去っていく。

 忙しい奴だ、我が後輩ながら。


 そう。旅で得たものを、和の庭の箱庭世界を守るために、盛夏と一緒に研究しないとならないのだ。

 職も得られそうだし、帝都に戻れて、ひとまずよかった。

 人間関係は相変わらずややこしいけどね。


 そういうわけで、わたしの、再びの〈和の庭〉生活が、ここ、黎明地区から始まる。




〈プレプロローグ:了〉

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