第28話 完全無欠少女、演習終了!
「グハッ……」
蹴り飛ばされた俺は手枷のせいで受け身をとることができず、無様に洞窟の中を転がった。
痛みで上手く呼吸ができない。
口の中に不快な血と砂の味が広がる。
「おいおいどうした、お貴族様よ~?
もうへばっちまったのか?
立ち上がらないのなら、あっちの嬢ちゃんに相手してもらうぜ」
「ま、て……。
ミエリィに、近づく、な……!」
鉛のように重い体に鞭を打ち、気力だけで立ち上がる。
身体中が痛い。
あちこちに傷ができて血がにじんでいる。
それだけではない。
何ヵ所か骨も折れている気がする。
だがそれでも俺は立ち上がらなければならない。
本当はこんなことする必要は無いのかもしれない。
男たちの話だと俺もミエリィもすぐに殺される様子はない。
ミエリィは慰み者にされてしまうかもしれないが、死ぬよりはましなはずだ。
それに一国の王子である俺の体は国のものだ。
国の発展のために磨り減らすのが正しい使い方である。
小国の子爵令嬢にすぎないミエリィの為に、勝手に傷つけて良いものではない。
そもそもミエリィは俺より遥かに強い。
ひょっとしたら魔封じの手枷をしていても魔法くらい使えてしまうのかもしれない。
いや、魔法なんてなくてもこの程度の相手なら圧倒できるだろう。
本当は俺が守る必要なんて無いのかもしれない。
だからといってそんなこと、俺がミエリィを守らない理由にはならない!
彼女はいつも笑顔だった。
どんなことでも楽しんでいた。
俺はそんな姿に元気を貰い、そして惹かれた。
その彼女の笑顔が曇るかもしれない可能性が僅かにでもあるのならば、俺はそれを取り除きたい。
これは俺のエゴだ。
ミエリィの為などではなく、俺が彼女の笑顔を見たいのだ。
その為ならば何だってしてやる。
こんなところでミエリィの笑顔を絶やしてなるものか!
「うおおおおおっ!」
俺はがむしゃらに鍵を持つ男へと突進した。
賊が約束を守るとは正直思えない。
たとえ鍵を奪うことができても、素直に逃がしてくれるはずがない。
それでも俺が立ち向かう間はミエリィが襲われることもない。
助けが来るまで何度だって立ち上がってやる。
「おうおう、元気があって結構なことだ、な!」
先程の光景を再現するように、蹴飛ばされた俺は無様に転がる。
「おい、そろそろ終わりにしろよ。
俺はそのガキが転がるのを見るよりも、その女を使いたいんだが」
「確かにいい加減飽きてきたな。
ならメインディッシュを頂くとするか」
「ふざ、けるな。
……俺はまだ立ってる、ぞ!」
「しつこいガキだな。
もうお前で遊ぶ時間は終わりなんだよ。
大人しく寝てろ」
そう言って放たれた蹴りは先程までとは比べ物にならないほど重い一撃だった。
洞窟の壁に体を打ち付けられた俺は、そのまま力なく地面に崩れ落ちた。
「おいおい、殺してないだろうな」
「平気だって。
それより早くやろうぜ」
男がミエリィのいる牢の扉へと手をかけた。
「……やめ、ろっ!」
面倒くさそうに男がこちらに顔を向ける。
「まだ意識があんのか。
でもまあ、流石にもう立てないみたいだな。
だが俺も鬼じゃあない。
女を守るために何度も立ち上がったお前の頑張りに免じて、特等席で女が犯されるところを観させてやるよ」
ギャハハと品のない男の笑い声が響く。
牢の扉が開かれた。
早く立ち上がれ!
あの汚い手がミエリィに触れても良いのか!
しかし、どれだけ鼓舞しても俺の体はいうことを聞いてくれない。
男の手がミエリィへと伸ばされる。
くそっ!
それなら魔法だ。
俺は魔術師だろう!
俺は必死に魔力を放出しようとするが、魔封じの手枷によって塞き止められてしまい、魔法として具現化させることができない。
こんな手枷ごときのせいで、ミエリィを守れないのか。
いや、そんなことない。
そんなことあってはならない。
魔力が塞き止められているのなら、それごと押し出してやる!
身体中の魔力を振り絞って魔封じの手枷を吹き飛ばそうとする。
無理な魔力操作のせいで傷口から血が吹き出すが、今はそんなものに構っている暇はない。
「くっ、うおおおおおっ!」
体が熱い。
過剰に生成された魔力によって、体が内側から焼かれているみたいだ。
だがそれでも俺は止めない。
魔力を体外に放出せんと全力で絞り出す。
今ここで魔法が使えるのなら、もう魔法なんて使えなくなっても構わない。
だから――――。
パキン
乾いた音が鳴り響いた。
魔封じの手枷が俺の手から外れ落ちる。
俺の願いが通じたのか、はたまた手枷が劣化していただけなのか。
そんなことどっちでも良い。
大切なのはこれで魔法が使えるということだ。
「俺の女に触れるなあああっ!」
俺から吹き出した紅蓮の業火が男たちを包み込んだ。
◇
温かい。
それに良い香りがする。
何かが頭を優しく撫でている。
こんなに気持ちが安らぐのはいったいいつ以来だろうか。
顔に触れる、すべすべしていて柔らかな肌触り。
思わず頬擦りしてしまうほどだ。
「あはは、くすぐったいわ!」
そして聞くだけで元気を分けて貰えるような声。
この声は……。
はっと目を開くとそこには豊かな双丘越しに日溜まりのような笑顔のミエリィの顔があった。
「ソリス、目が覚めたのね!」
いつもと変わらぬ、ミエリィの日溜まりのような笑顔。
その笑顔を見て心が温かくなるが、それどころではない。
「うおっ!」
俺は弾かれたように飛び起きると、ミエリィから距離をとった。
「貴様、いったい何をしている!?」
「何って、膝枕よ!」
あっけらかんと答えるミエリィ。
膝枕だと!?
つまり俺がさっき頬擦りしていたのはミエリィの……。
思わず下がりそうになる視線を慌ててミエリィの顔に戻す。
「いったいどうして俺が膝枕など……」
「私がみんなを眠らせたからよ!」
「眠らせた、だと?」
いつの間にか俺はミエリィに眠らされていたらしい。
いやそんなことよりも、今聞き捨てならない言葉が聞こえたような。
……みんなだと!
俺は慌てて周囲を見渡す。
すると地面に寝転がる5人の賊の姿が目に入った。
品のない笑みを髭面に浮かべながら気持ち良さそうに横たわる賊たちに傷のようなものは一切みられない。
いったいどういうことだ?
確かに俺の魔法でこいつらは焼かれたはず。
あの火力だ、消し炭になっていてもおかしくないはずだが。
……まさか、あれは夢だったのか?
「……ミエリィ、いったいどこからが夢だったんだ?」
「ソリスがどんな夢を見ていたか知らないからわからないわ。
いったいどんな夢を見ていたのかしら?」
「……いや、いい」
よくよく見ると俺の体にあったはずの、賊によってつけられたはずの傷がきれいさっぱり消えている。
ここは洞窟で賊がいて、ミエリィもいるのだから、ミエリィが来たところまでは少なくとも現実だとは思うが、もしかしたらその後は全て夢だったのかもしれない。
そうなると流石に恥ずかしくてミエリィに夢の内容を言うわけにはいかない。
たとえ夢でいくら必死だったとはいえ、婚約すらしていないミエリィを俺の女呼ばわりしたなど言えるはずもない。
恥ずかしさを誤魔化すように俺は話を変えることにした。
「なぜこの男たちはこんなに気持ち良さそうに寝ているんだ?」
「みんな怖い顔をしていたんだもの。
きっと楽しくない、嫌なことがあったからだわ。
だから寝ているときにいい夢が見られるようにしたの。
昔お母様が言っていたわ。
嫌なことがあったときは寝なさいって。
寝て起きれば大抵のことはどうでもよくなるからって。
どうせ眠るならいい夢を見た方が素敵でしょ?」
「そんな理由でか」
ん?
ちょっと待てよ。
俺は全くいい夢を見ていないんだが。
散々殴られるわ、蹴られるわの痛い夢だったんだが。
まさか、俺は自分の知らない潜在意識では痛みを快楽として認識しているのか?
はははっ、まさかそんなわけ……。
「そろそろ戻りましょうか。
ソリスが迷子になってきっとみんな心配しているわ」
「あ、ああ、そうだな。
別に迷子になったわけではないんだが、まあいい。
こいつらはどうする?」
「この人たちは悪いことをしていたのよね?
なら後で学院都市の兵士の人に渡しておくわ」
「ミエリィが連れていってくれるなら問題ないか」
「さあ、行きましょ!」
そう言うとミエリィが俺の手を取った。
温かくて柔らかくて小さな手が俺の手を握ってくる。
これがミエリィの手か。
その感触を堪能するようにと握り返すと、次の瞬間には洞窟にいたはずの俺たちは森の中に立っていた。
目の前にはエル、エリス、ハイトの3人がいる。
「ミエリィちゃんお帰り~」
「殿下はちゃんと見つかったようですね」
「ん?
ミエリィ、少し顔が赤くないか?
どうかしたのか?」
「い、いいえ、何でもないわ!
私、あの人たちを連れて行かなきゃいけないから、もう一回行ってくるわね」
捲し立てるようにそれだけ言うと、ミエリィは姿を消した。
「珍しいですね、ミエリィちゃんがあんなに慌てているなんて」
「確かにそうですね。
いつも自分の好きなときに自分のしたいことをする方ですし」
「殿下、何か心当たりはありませんか?」
「俺があいつの考えていることなど分かるはずがないだろう」
「……そうですよね。
失礼致しました」
いつもと違うミエリィに疑問を覚える一同だったが、次に帰ってきたときには普段通りのミエリィに戻っていたので特に気に留める者はいなかった。
こうして賊に拐われるというハプニングがあったものの、無事に野外演習は終わりを迎えた。
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