タイミングが合わない二人

朝霧

ソファで

「たまには甘やかしてくださいよ」

 無駄なほど大きく無駄なほどふかふかなソファに寝っ転がって、つまらなそうな顔でいかにも小難しそうな学術書を読み続ける彼に彼女はそう言ってみた。

「はぁ? 何言ってんだてめぇ」

 学術書から全く視線を逸らさずに彼は呆れたような声をあげた。

 視線くらいこちらに向ければいいのに、と思いながら彼女は淡々とした声で要望を告げた。

「たまには甘やかしてください。私はあなたの可愛い恋人ですよ? 現状私を甘やかせるのはあなただけなのですよ?」

「可愛い、なあ……」

「おや、この私が可愛くないと? カケラも可愛くないと? では何故カケラも可愛くないと思っているような女とあなたは付き合っているのですか?」

「あーもう面倒くせぇ……はいはい、可愛いよ、お前は可愛い。世界一可愛い」

「全然心がこもってませんがまあ良いでしょう。少しは顔を赤らめるとかそういうツンデレな反応でもしてくれれば80点だったのですが」

「くだらねぇ……つーかなんで80点なんだよ。100点はなんなんだ」

「あなたが百点満点のリアクションをしたらその時は世界が滅ぶ時だと思っているので、端から期待していないのです」

 けっ、と彼女は吐き捨てるような声で少しだけ不満そうに言った。

 ではお前こそ何故そんな男の恋人であることに甘んじているのかと彼は問いただしそうになったが、面倒なことになりそうだったので黙っておくことにした。

 その代わりに先程から気になっていた事を彼は聞くことにする。

「……ところで自分で自分のこと可愛いっていうのってどういう気分だ? お前いっつも平凡顔を自称するくせに」

「思ってもいない事を言うのは心苦しいですね」

 きっぱりと断言した彼女に彼はようやく本から視線を外して彼女を半眼で見た。

「おや、やっとこちらを見てくれましたね。よい傾向です」

「……お前、暇なのか?」

「ええ。だから甘やかすといいのです」

 と、彼女は軽く両腕を広げて何かを受け入れるようなポーズをとる。

 彼はそんな彼女を見て深々と溜息を吐いた。

「お前の暇つぶしに俺を巻き込むな。だいたい昨日散々可愛がってやっただろうが」

「…………」

 何かしら反論してくると彼は思ったが、予想に反して彼女は何も言わなかった。

 それからいつも通りの無表情のくせに全体的にしょんぼりしていた。

 暗雲でも背負っているような雰囲気だった。

 多少演技臭そうだったが、どうも冗談でなく落ち込んでいるらしい。

 彼はふと数日前に説教くさい知人から『お前本当にあの子のこと大事にしろよ。お前顔はいいけどとにかく無愛想だから態度改めないといつか本気で愛想つかされて逃げられるぞ』と真顔で言われた事を思い出す。

 心の底から嫌われたとしても逃がすつもりは全くないが、そういう状況に陥るのは面倒臭いと彼は小さく舌打ちして、ちょいちょいと手招きした。

 しゅば、と彼女は無言で迅速に彼の前に移動し、正座してソファに寝そべっている彼の目線に合わせた。

 彼は彼女の頭に手を伸ばして、髪がぐちゃぐちゃにならない程度に撫でた。

「ん……」

 彼女が心なしか嬉しそうな表情になったところで彼は撫でるのをやめた。

「終わりですか」

「終わりだ」

「これだけですか」

「これだけだ」

 そう言って彼は学術書に視線を戻した。

 これ以上は本当に構うつもりがないらしい彼の様子に彼女は少しだけ不満そうな表情になったが、ふと何かを思いついたような様子でのそりと腰をあげる。

 そして彼の隣に寝そべって彼に抱きついた。

 無駄に大きいソファだったから、少々手狭にはなったものの二人が並んでもまだ少しだけ余裕がある。

「……おい」

「あなたを私の抱き枕係に任命します」

 そう言ったきり彼女は黙り込んで、梃子でも動いてやらないとでも言いたげな雰囲気を醸し出す。

 彼は面倒臭そうに溜息を一つついたが、引き剥がす労力を惜しんだのか彼女の好きにさせることにしたらしい。

 それからしばらくして小さな寝息に彼が視線を本から逸らすと、彼女はすっかり眠り込んでいた。

 少しの間彼は彼女の顔を見つめてから本を閉じ、彼女が目を覚まさないようにそっと床の上に置く。

 そして自分に抱きつく彼女の背中に腕を回して目を閉じた。


 そんなことがあった翌日、彼女は無駄に大きく無駄にふかふかなソファに寝そべって古めかしい雰囲気の本を読んでいた。

「おい」

 本に夢中になっている彼女に彼が不機嫌そうに声をかける。

「なんですか? 今良いところなんで後にしてくださいよ」

 本から顔を上げずに素っ気なく返した彼女に、彼は更に機嫌を悪くしてこう言った。

「……少しは、構え」

「…………」

 彼女は思わず一度顔をあげかけたが、すぐに本に視線を戻す。

 そしてきっぱりとこう言った。

「後にしてくださいな。というかなんであなたってこう毎回変なタイミングでデレるのですか?」

 呆れたような口調の彼女に、彼はお前が言うなと思った。

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タイミングが合わない二人 朝霧 @asagiri

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