記憶の中のリムレス

藍墨兄

記憶の中のリムレス

 さっきから目覚まし時計がうるさい。

 かれこれ30分近くになるだろうか、一向に鳴り止む気配がない。

 これを設定した私の主・・・は、この騒音をものともせず、よだれなんか垂らして寝こけている。


《さつき、起きろ》

「……」

《さーつーき、ほらもう遅刻だぞ》

「…………」


 ……こいつ、死んでるんじゃないか?

 アホ面で。よだれ垂らしながら。


――はぁ。しょうがない。

 これで最後だ。それでも起きないなら諦めよう。めんどくさい。

 私にはこうして、彼女に声を掛けることしか出来ないのだ。それで駄目ならば仕方ない。


《単位、どーなっても知らんぞ……》

「……! 単位!?」


 あ、起きた。

 それからさつきは目覚ましを殴るように止め、そのまま私を掛け・・・・、凄い勢いで支度を始めた。

 パジャマ代わりのTシャツをたくし上げて下着を着け、ローテーブルに積んだ洗濯物からソックスとジーンズ、ニットのセーターを無造作に抜き出し身につける。背中に届く髪をまとめ上げ、傍らに置いてあった髪留めゴムでくくり上げると、彼女は私を・・ひと拭きした。


《あんっ》

「変な声出すなリムレスっ!」

《くすぐったいんだ、仕方ないだろう》

「いいから! 時間は!?」

《ギリギリだな。食事の時間はない》

「なんで起こしてくれないの!?」

《むしろなんでアレで起きてくれないんだ》

「もー! お化粧もできないじゃん!」

《それはいつもしてる人間の言うことだ》


 私は頑張った。それについては天に誓ってもいい。

 彼女はそれからもぶちぶちと文句を垂れつつ、リュックとデニムジャケットを手にとって部屋を出た。

 居間に置かれた朝食のサラダからミニトマトを口に放り込み、玄関で靴を履きながら居間の母親に向かって叫ぶ。せわしいな。


「行ってきます!」

「あら、ごはんはー?」

「ごめんむり!」


 さつきは最後のセリフと同時にドアを開けると、目の前に置いてある自転車に跨り、立ちこぎで加速し始めた。


《あと20分だ。信号2つ余計に引っかかったらアウトだぞ》

「ぬおおおお〜〜っ!!」

《花の女子大生の出す声じゃないな……》


――しかし、よくもまぁここまで回復したものだ。

 去年、大学の入学式からの帰り、彼女は交通事故に遭った。

 信号待ちをしているところに、居眠り運転の車が突っ込んできたのだ。

 幸いなことに目立った傷は残らず、元々運動神経が良かったこともあって、身体的にはほとんど事故前と変わらない。


 だが、彼女には重大な後遺症があった。

 脳への衝撃による極端な視力の低下、そして記憶喪失である。

 視力については私の強化で補えたが、問題は記憶の方だ。

 当初、彼女は事故の状況どころか、自分の名前すら分からない状態だったのだ。

 だが日を経るにつれ、彼女は自分の周囲のことや生活習慣などを少しずつ思い出していった。分厚くなった私にも慣れ、今では折り合いをつけられる程度のものになっている。


 それから一年。

 今では彼女は、ほとんどの記憶を取り戻し、こうして大学にも一年遅れで通えるようになった。

 趣味や性格は変わり、真面目で引っ込み思案だった事故前に比べ、少しぐうたらだが明るく社交的になった。以前の趣味は読書やパズルゲームだったが、今はもっぱら特撮とアクションゲームにはまっている。


 ただ、一つだけ。

 彼女、宮本さつきが、何故彼女の眼鏡・・である私と会話が出来るのか。

 それだけが、彼女が未だに取り戻せない記憶だった。


「あー……疲れた……」

《どうやら間に合ったようだな》


 私が昔を思い出している間、彼女の健脚は大活躍だったようだ。とりあえず最悪は免れた、というところか。


「おかげさまでね……。あとは教室までダッシュすればなんとかなるかな。……もうひとっ走り付き合えよ、リムレス!」

《スタート・ユア・エンジン、だったか》

「あんた、あんな美声じゃないけど……ねっ!」


 そう言い捨ててさつきは走り出した。失礼な。

 何人かの知り合いと挨拶を交わしながら、さつきは教室を目指してひた走る。と、彼女を呼び止める声が聞こえてきた。


「――さん、宮本さん! ちょとストップストップ!」

「そうはいくかってんだい! あたしゃ急いで……ん、佐々木くん?」


 声の主は、さつきが復学して以来の友人、愛らしいオーバル眼鏡を掛けた佐々木氏だ。

 彼は派手でもなく地味でもなく、背が高い以外これといった特徴はないが、どうやらさつきと気が合うようだ。

 あと使う眼鏡が愛らしい。ここは大事だ。

 彼の眼鏡に対する私のこの気持ちを、仮に言葉にするならば。

 恋、なのだろう。

 眼鏡ちゃん彼女を見るたびに声を掛けたくなるが、それは決してしない。例え声を掛けたところで聞こえる・・・・わけもない・・・・・


 彼女が誰かと一緒にいるとき、私は決して声を出さない。

 さつきにしか聞こえないので気にすることもないと言えばないが、私の声にさつきが反応すると、それは外からは唯の独り言にしか見えず、おかしな人扱いされかねないので自重しているのだ。


「佐々木くんも次の取ってなかった!? なにのんびりしてんの!」

「いやだからほら、あれ見なよ」

「ん?」


 佐々木氏が指差す方向を見ると、そこには掲示板があった。

 大学からの連絡事項が貼り出されるものである。

 果たしてそこには、さつきの目指す授業の休講が知らされていた。


「なん……だと……」

「ていうかメールも来てたけど。見てないの?」

「そんな暇なかったよ……」


 がっくりと肩を落とすさつきに、佐々木が苦笑する。


「夜ふかしでもしてた?」

「3時……」

「またゲームですか」


――正解だ、佐々木氏。


「追加配信された敵が硬くて硬くて」

「手伝おうか? オンライン出来るよね、あれ」

「大丈夫。まだやれることはある!」


 さつきはそう言って拳を握る。昨夜も同じこと言ってたな。結局倒せなかったが。


「で、佐々木くんは何してるの? 休講知ってたんでしょ?」

「あー、うん。目が覚めちゃったし、やることないから早めに来て、学食でコーヒーでも飲もうかと。良かったら行かない?」

「んー、そうね。じゃあ行きましょっか」


 嘘をつけ。

 私は知っている。

 佐々木氏が、さつきを気にしていることを。

 なんなら以前、彼に告白までされているのだ。


 告白された時、彼女はいわゆる“オトモダチで”的な答えをした。

 やんわりしたお断りではなく、本当に彼女は友人として付き合いたいということだったらしい。

 そもそも彼女は、独りでいる時間を大切にしている。寂しくはないのかと聞いたことがあるが、その時彼女は

「全然。むしろ楽でいいわね」

と答えたものだ。


 そんなすげない対応だったにも関わらず、佐々木氏はさつきを気にかけ、心配している。

 今日だって慌て者のさつきがうっかり来てしまうことを予想して、それに合わせて来たに違いない。

 佐々木氏は少し気が弱いところもあるが、優しい男だと思う。見た目も悪くはないし、もちろんさつきも嫌っているわけではない。彼の思いが恋だとすれば、私も応援するにやぶさかではない。

 以前自宅で、さつきに聞いたことがある。


《さつき》

「なにー?」

《佐々木氏のことだが。……君は彼をどう思う?》

「いい人だと思うよー」

《……うむ。他には?》

「他に? ……うーん」


 あの時さつきはだいぶ考え込んでいる様子だったが、そのうち考えるのに飽きたのか、そのままゲームをし始めてしまった。

 事故後のさつきはかなり感情表現のはっきりした性格になったが、色恋に関しては以前にも増して鈍い。いや、その感情そのものを理解出来ていないような節すらある。


 佐々木氏よ。

 君の恋を成就させたいとするならば、まずは彼女に恋心を教えるのが先、かもしれない。

 なんなら私が教えるのもアリか。彼のパートナーであるオーバル眼鏡ちゃんは最高に素敵な子だ。

 現在進行系の恋ならば、私に任せたまえ。


――――


 学食はまだ空いていた。恐らくさつき達と同じ理由で、次の授業を待っている者なのだろう。

 さつき達は各々コーヒーを注文し、窓際の席に座る。

 佐々木氏はブラック。さつきはカフェオレだ。

 さつきがカップを顔に近づけると、湯気がもわっと私に貼り付いてくる。あまり心地の良いものではないので、家では私を外してもらっているが、今は我慢だ。

 ええい、ベタつく。


「宮本さん、この後の予定は?」

「二限目を受けたら今日はおしまい。午後はちょっと病院行かないといけないんだ」

「病院?」

「うん、前に言ったでしょ、事故の後遺症」

「あ……ごめん」

「んーん、気にしないで。とりあえず経過観察ってことで、脳波と視力測るだけだからさ。いつも異常なしで終わるから、今回も同じだと思うし」


 そう言ってさつきはまた、カフェオレに口を付ける。

 佐々木氏はそんなさつきを穏やかな顔で眺めている。

 割とあからさまなアピールだと思うんだが、さつきは本気で気付いていない……というか、気にしていない、んだろうか。

 カップを置いたさつきが佐々木氏に尋ねた。


「佐々木くんは? この後どうするの?」

「俺は午後から2コマあるけど、それまではゲーセンでも行こうかな。レポートもないし」

「午後から授業2つはキツいなぁ……」

「もう慣れちゃったけどね。……あ、そろそろ移動した方がいいかも」


 佐々木氏は腕の時計を見ながら言った。

 さつきも時計を見て立ち上がる。


「ん、じゃあまた今度ね。付き合ってくれてありがとー」

「どういたしまして。じゃあまたね」


 挨拶をして佐々木氏と別れたさつきは、学食を出て教室へと歩きはじめた。


「ああもぅ、折角急いだのに休講とか、損した気分だよ……」

《そうか? 佐々木氏と楽しげに話していたじゃないか》

「それはそうだけど。佐々木くんとはなんか波長が合う気がするんだよねー」

《恐らくだが、彼は君のためだけに早く来たんだと思うぞ》

「……何言ってんだか」


 おや? まんざらでもない感じか?

 どんな心境の変化かは分からないが、いつもの全く気にしていない感じとは違う。


 二限目をそつなくこなしたさつきは、病院へと自転車を走らせている。私はもちろん、彼女の鼻骨の上に乗っている。

 朝とは違い、時間には余裕がある。彼女は鼻歌交じりでゆっくりとペダルを漕いでいた。


《さつき》

「んー?」

《もしかして、気付いているんじゃないか?》

「なにをー?」

《……君自身の佐々木氏への気持ちだ》

「……なにそれ」


 声が低くなったな。

 これは怒り、ではなく、警戒の声だ。

 つまり、私が投げかけた疑問の先に、彼女の本音があるということになる。

 私は以前から推測していたことがある。

 さつきが未だ取り戻せない記憶と、彼女に欠けている恋愛感情。そこには、何かの因果関係があるのではないか。

 そしてそれは、記憶を取り戻しさえすればすぐにでも芽生える程、成長を遂げているのではないか。


 さつきは、私の疑問から逃げるように、自転車のペダルを強く踏んだ。そのまま一気に病院前の交差点に辿り着く。


「あーもう、最後で赤信号とか……」

《ここまで全部青信号で来られたのは初めてだな》

「いつもは結構ひっかかるもんね」

《予定の時間より早く着いたな》


 この時間、往来する自動車は少なく、皆一様に飛ばしている。

 事故の経験から、さつきはしっかりと信号と通行区分を守るようになっていた。

 一台の軽自動車が、対向車線からさつきのいる角の方に右折しようと、ウインカーを出しながら交差点を曲がり始めていた。


――が、そのスピードは。


《さつき! 逃げろ!!》

「え? きゃあああっ!!」


 最後に私のレンズに映ったのは、信号待ちをしているさつきに突っ込んでくる、軽自動車の姿だった。


――――


 ふと気がつくと、私は暗闇の中に立っていた・・・・・


――立っていた?

 何故、私に手足がある?

 私の身体は眼鏡そのもののはずだ。

 その私が、なぜ?

 何故私が・・・・眼鏡を・・・掛けている・・・・・


「……リムレス」

「さつき?」


 私の後ろから聞こえるさつきの声に、私は振り向いた。

 そこにはニットのセーターにジーンズ姿のさつきが立っていた。


「やっぱり、リムレスだった」

「なぜ私だと?」

「だってほら、眼鏡」


 さつきは私の顔を指差す。


「それ、リムレスだもの」


 なにがなんだか分からない。

 私はさつきの眼鏡で、名前はリムレス。文字通りリムのないタイプの眼鏡だ。


 では、この人間の姿でリムレスを掛けているリムレスは誰だ?


「どういうことだ。そもそも、ここはどこなんだ?」

「ここはね」


 さつきが静かに微笑む。

 それは、この半年に見たことのある顔ではなかった。


「ここはわたし・・・が、かつて無くしたモノの跡地よ」

「……跡地?」

「そう。……そして本来はリムレス、あなたが・・・・いた場所・・・・よ」


――なんだって?


「さつき。君は……」

「わたしは、以前の事故に遭う前のさつき。今の事故の影響で目を覚ましたの」

「……今のさつきはどうしてるんだ?」

「麻酔で眠ってるわ。ついでに言えば、肉体は病院に運ばれて治療中よ」

「そうか……」

「そして次にあたし・・・が目を覚ました時、……あなたは、わたしと一緒に消えることになる」

「なに?」

「だって」


 そう言うとさつきは寂しそうに笑った。


「あなたの身体は、壊れてしまったもの」

「……そう、か」


 彼女の言うことが正しいとすれば、それは自明の理だった。

 身体がなければ、私は戻ることが出来ない。

 ……いや、待てよ?


「さつき。君は今、ここ・・が私のいた場所だ、と言ったな」

「そうよ」

「……そうか、そういうことか」

「なにかしら」

「ここがどこで、私が誰か、という話だ」

「……聞きましょう」


 私は一呼吸整えてから、口を開いた。

 そういえば、呼吸というのも初めての体験だな。


「さっきから、真っ暗なくせに自分と君だけがはっきり視える、このおかしな世界は一体何なのかを考えていた」

「……」

「ここは今眠っているさつきの一部分で“抜け落ちている感情があった場所”だろう」

「……」

「そして私はその“さつきが無くした感情そのもの”だ。彼女は記憶喪失ではなく、ある感情・・・・を喪失していたんだ」


 私の言葉に、さつきは少し驚いた顔をし、そして微笑みながら数回拍手をしてみせた。


「正解よ。辿り着いたわね」

「ついでに言えば」


 私はそのまま続けた。


「眠っている方のさつきが目を覚ました時、正しくは私は消え去るわけではない。恐らくこの真っ暗で何もない、空虚な場所を埋める存在として留まることになるのだろう」

「それも正解。さすがさつき・・・の一部ね」

「……だが、きみはどうなる?」

「さっきも言ったでしょう。わたしは消えるの」

「違うな」

「え?」


 目の前のさつき、つまり以前の事故で本体と分かたれた方のさつきが、意外そうな顔をする。


「以前の事故に遭う前、君はさつきそのものだった。そして、今の彼女が目覚める時、これまで欠落していた感情、つまり私はさつきの一部になる。……そして君は、今のさつきと融合する。それではじめて、完全な・・・さつき・・・になるんだ」


 私の言葉に、彼女は目を見開き、独り言のように呟く。


「わたしが完全な・・・さつき・・に……」

「そして、彼女の心に恋愛感情を取り戻させる」

「……どういうこと?」

「彼女が本来持っているはずの“恋愛感情”そのもの、それが私だからだ。以前の事故のショックで君とさつきが分かれた様に、私は彼女から欠けてしまったのだろう。だから私は“自己愛”として彼女の失敗やつまずきに反応し、佐々木氏の眼鏡に想いを寄せた。……本来ならば、佐々木氏に寄せるさつきの想いの身代わりとして」

「……」

「そしてこれは仮説だが」


 私は言葉を切り、彼女を見る。

 彼女の憂いをたたえた眼は、私の眼をしっかりと見つめていた。


「君もまた、さつきの感情の一部を担っている」

「……え?」

「以前のさつきにあって、今のさつきにない感情は、恋愛だけじゃない」

「……」

「それは“寂しさ”だ」

「え……」

「事故後のさつきは、独りでいることを苦にしなかった。むしろ独りになれる時間を楽しみにしていた。それは、寂しいという感情が欠落していたからだと私は考えた」

「……以前のわたしは、誰かが近くにいないと不安を感じていたわ」

「そうだろう。寂しいという感情は、他人との時間や場所、想いの共有を欲する元になるものだ。そしてそれを君が預かっているのだとしたら……」

「寂しさを感じないまま、彼女は生きていくことになる……?」

「そして、そんな君が戻らず、私だけがさつきの一部に戻ったとしたら、大きな懸念が残る。……もしかしたら彼女はこのまま、“佐々木氏の眼鏡”に恋をしてしまうかもしれないぞ? 今の彼女は“気持ちを共有しなくても寂しくないから、対象は人じゃなくてもいい”わけだからな」


 もちろん、実際はどうか分からない。私はただ消え去り、目の前の彼女もまた霧散するのかもしれない。

 だが、私がさつきの一部ならば。

 彼女もまた、さつきの一部だ。


「……だいぶメチャクチャな理屈ね?」


 さつきが笑う。

 そして恐らく、私も今、笑っている。


「ついでだが、私も寂しさという同僚がいないと張り合いがない。――だから、一緒に戻ろうじゃないか。宮本さつきという、完全な人間になるために」


 そう言って私は、目の前にいるさつき寂しさに手を差し伸べた。


――――


――夢を見ていた。

 長い、長い夢。

 その夢の中であたし・・・は、しゃべる眼鏡と共に生活していた。

 眼鏡の名は、リムレス。あたしが付けてあげた名前だ。

 紳士な口調で冷静だが、時に辛辣で意外とノリが良かったりする。


 私は、彼が大好きだった。

 彼、と言ったが、リムレスには当然性別はない。でも、あたしに聞こえてくる声は、あんまり渋くないクリス・ペプラーみたいだったから。

 だからあたしは、リムレスを彼、と呼んでいた。


 彼の正体は、あたし。正確にはあたしの“欠けたパーツ”。


 リムレスと共に過ごした日々は、楽しいものだった。

 笑って、泣いて、怒って。不思議と寂しい気持ちはなかった。


 大学に復学してからは、佐々木くんという友人も出来た。他にも知り合いはいたけれど、なぜか彼はあたしにとって特別な存在だった。

 それをリムレスは“恋”なんて言ってたけれど、その時のあたしには全く理解出来なかった。

 だけど、今ならそれは、あたしの恋愛感情――リムレスが、あたしの中にいなかったからだって分かる。


 そして今、あたしの中にはリムレスがいる。さらに、あたしが心の中に眠らせていた“寂しさ”も起きてる。

 ぽっかり空いた暗闇は、彼らがしっかり埋めてくれた。

 だから、今なら分かる。


 あたしは、佐々木くんに恋をしているんだ。


 そう理解した時、あたしの心がふわりと軽くなった気がした。

――そして。


「……何恥ずかしいこと考えてんのあたし」

「……宮本さん?」

「あ、佐々木くんだ」

「み、宮本さん!? 先生! 宮本さんが!!」

「ささき、くん」

「なに、宮本さん!」

「さつき、がいいな。……これからは、さ」

「さ、つき、ちゃん……」

「うん」


 あたしは今、多分最高の笑顔を佐々木くんに向けている。

 きっとリムレスも褒めてくれるよね。

 ありがとう、ずっとあたしといてくれて。

 おかげで気付けたよ。


「……ただいま」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶の中のリムレス 藍墨兄 @Reacto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ