懐古疑録

意舞 由那

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 小学生の時の話だ。

 俺はひたすらに本が好きだった。いや、好きなのは今も変わらないのだが、まるで違う自分になれるあの世界が好きだった。例え現実の自分が椅子に座ってお菓子でもつまみながらページをめくっていたとしても、頭の中は確かに主人公なのだから。ちょっと臆病な冒険者の少年にも、何かを守るために戦い続ける少女にも。なれないものなんてなかった。そんな世界が好きだった。

 しかし、友達が少なかったわけでもなかった。読書家の宿命とも言えそうな孤立感はどうしてか俺には無く、外遊びも悪ふざけもよくやる子供だったのだ。それに本を読んでいるから先生からの印象もいい、というおまけつきで。物語の登場人物たちの特徴に当てはまらない自分はやっぱり現実の存在なのだと落胆したこともあったが、まあ当たり前の話である。

 ただ、下手に友達が多かった+下手に知識を仕入れていた俺は、子供の性と言われればそうなのだろうが、物語の内容を現実で引き起こそうとした。簡単に言えば、まあ、主人公になろうとしたのである。

 サッカーがうまくなりたいんだと、確かそんなことを言っていた気がする。薄情な話ではあるものの、内容自体は正直ほとんど覚えていない。ただ、自分の及ばない領域───彼の努力でしかどうにもならないことを相談された気がする。ただ、彼は地元のスポーツクラブだかどこかに入っていて、給食後の休み時間にボールを蹴って遊ぶ段階の話ではなかったはず。そして俺も外遊びはしていた方だとはいえ、そんなガッツリやっていたわけでもない。心底困った俺の頭に、ふと当時ではこれ以上ないくらいのいい案が降ってきた。

 先程まで読んでいた物語。そこにあるセリフをそっくりそのまま言ってやればいいのでは?

 目の前で思いつめたように俯く彼は、すぐに物語のセリフだと気付くだろう。そうして笑ってくれるはずだ。別に気付かなくてもいいのだ、何言ってんだこいつ、なんて吹き出してくれれば。どちらにせよ笑って、少しでも気持ちを楽にしてもらえたら。

 ただ───やはり現実は、うまくいかない。

「そっか………そうだよな! 焦ってたって始まらないもんな! ありがとう路悠、お前に相談して正解だったよ!!」

 ……………………………は? 拍子抜けた路悠を後目に、それじゃあまた! なんて楽しそうに級友は駆けていく。え……、……まさか、真に受けた? あんな? 途中から言っててちょっと恥ずかしくなってきたような言葉に? 本気で? 嘘だろ?

 現実って、こんなに、単純なのか?

 それからは皆の輪の中に入ることは極力避け、少し外れたところから見てみることにした。もちろん途中で口を挟んだりして、バレないように。今までのスタンスは守りつつ、自分の仮定を否定するように。そんなことない、もっと楽しくて、毎日が輝いていた場所を。

 ……結果は、思った通りだった。誰かが誰かと口論になる。正論を言う誰かは、同じように正論を返せない誰かに突き飛ばされ泣き出してしまう。先程教室を出て行った誰かのせいで教師が飛んできて、未だ泣き止まない誰かが保健室へ行く。………単純だ、予定調和だ。存外簡単なこの世界を、俺はほとんど全て知っていた。読んでいた。

 ああ、なんて───なんて、つまらない。


 これは俺が小学生の時の話。

 無鉄砲にも、現実を冷めた目で見つめるようになったきっかけである。

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