剥皮のザクロ

韮崎旭

剥皮のザクロ

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 反魂のほうは確かに手順という点で誤りが多く不正確でずさんだった、であるがゆえに道々銅版画にしるされた順当な夜勤も代わりがなければ誰でもないカップラーメンになれたように思う。このことを書簡で知ったのはもう3か月も経過してからの話で、誰も見ていないなら端正な受肉を見損ねなくとも、磨き上げなくとも、何もかまわないとあきらめるのは、どうしてかんたんなことであろうか?ヘーゼルで偽装した瞳を明るく望む際にも、今月号の電光掲示板は水槽に沈めた憂愁と幾らも違わないのだと、よく思い詰めることが必要。で、それが牛乳ではなかったとしても、朝日に照らされた町は朝日を受け入れる余地があるというだけで十分に残忍で残酷だったわけだ。


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