俺のことを嫌いなはずの許嫁がやけに積極的なんだが。

秋月月日

第1部 許嫁始めました。

第1話 日野大地は好かれたい


「あっ」

「…………」


 学校の廊下、その曲がり角。

 夕日に染まったその場所で、俺は学園一の美少女とばったり遭遇した。


「…………」


 表情一つ変えずに俺の顔をじーっと見つめてくる彼女の名は、雨宮雫あまみやしずく

 容姿端麗、才色兼備、文武両道……えとせとらえとせとら。

 どんな言葉で言い表しても足りない程の完璧美少女さんである。無口で愛想がないのが玉に瑕だが、その欠点を差し引いたとしても圧倒的に高スペック。十六年生きてきたのに未だそこら辺にいくらでもいる平凡な男子高校生にしかなれていない俺とは一線を画す存在。

 それこそが、この雨宮雫さんである。


「…………」

「うっ……」


 氷のような視線が俺を容赦なく撃ち貫く。長い前髪で片目が隠れているからいいものの、これが両目だったら俺は恐怖のあまり塵と化してしまっていたかもしれない。


「……何? 私の顔に、何かついてる?」

「い、いや、何でもないですハイ! ごめんなさい!」

「それなら、どうしてずっと私の顔を見てくるの?」

「本当に何でもないんですごめんなさい!」

「何で謝るの?」

「え、ぅ……お、思わず、って感じ……?」

「……そう」


 感情の欠片もない、無機質で無感情な声を零す雨宮さん。

 いかん。せっかく話しかけてくれたのに、このままでは会話が終わってしまう。


「そ、そういえば、今日の数学の授業難しかったよな! 俺、全然わからなかったわ!」

「予習復習が足りていないんじゃないの?」

「ぐっ……ま、まあ、そういう見方もあるよな、うん! 予習復習、大切だよね! 俺もそう思う!」

「……そう」

「お、おう」

「…………」

「…………」


 泣きそうだった。

 取り付く島もないとはこういうことを言うんだろうか。必死に絞り出した話題がことごとく粉砕されていく。

 ああ、くそ。

 やっぱり俺は、雨宮さんに嫌われているようだ。


「……要件はそれだけ?」

「え? あ、えーっとえーっと…………はい、それだけです……」

「そう……」


 無関心であることを主張するかのように呟くと、雨宮さんは俺を避けながら去っていった。


「……やべえ、涙出てきた」


 緊張が解け、その場に崩れ落ちてしまいそうになるのをぐっと我慢したところで、雨宮さんと入れ替わるように後ろから声を掛けられた。


「相変わらず雨宮さんからは嫌われているみたいだね」


 振り返った先にいたのは、巡坂伊織めぐりざかいおり

 凡人である俺と何故か仲良くしてくれている、笑顔が眩しい爽やかイケメンである。


「雨宮さんは誰に対しても冷たいけど、大地に対してだけはそれ以上に冷たい気がするんだよね。君、雨宮さんに何かしたの?」


 壁に背中を預けながら、かなり失礼なことを言ってくる伊織。ちなみに、大地というのは俺の名前である。


「何もしてねえよ。そもそも恐れ多くてまともに話すことすらできてないっつの」

「恐れ多いって……同じ学年、しかも同じクラスの仲間なんだからもっと気軽に話しかければいいのに」

「それができれば苦労はしねえんだよなあ」


 そもそも雨宮さんは俺のことを嫌っているみたいだしな。嫌いな奴から話しかけられることほど迷惑なことはないだろう。


「ふぅん? 結構お似合いだと思うんだけどな、雨宮さんと大地って」

「どうしてそんな話になるんだ……相手は学園一の美少女だぜ? 俺みたいなモブが釣り合う訳ないだろうが」

「そういう素直じゃないところは君の欠点だね。好きな人に対してぐらいもっと積極的になったらいいのに」

「……待て待て待て。俺が雨宮さんのことが好き? 何でそうなる?」

「え、違うの? 教室にいる時、いつも雨宮さんのこと目で追ってるからてっきり惚れてるものだと思ってたんだけど」

「……お、追ってねえし」

「大地って結構分かりやすいよね」

「だから追ってねえって! 勝手に察してニヤニヤするのやめろ!」

「痛っ」


 ムカついたのでとりあえず脛を蹴っておいた。


「じゃあ、もしもの話をするけどさ」


 蹴られた足をひょこひょこさせながら、伊織は笑顔で聞いてくる。


「何だよ」

「もしも雨宮さんが君に惚れてたらどうするの?」

「……有り得ねえ。絶対に有り得ねえ」

「いや、意外と分からないよ? 実は雨宮さんが超絶不器用ガールで、君に特に厳しく当たってしまうのは好意の裏返し、だって可能性も捨て切れないじゃん?」

「捨て切れるわ。どう考えても俺のことが嫌いな態度だし。あんなんで実は俺に惚れてましたー、とか三流ラノベじゃあるまいし、絶対に有り得ねえ」

「大地は夢がないねえ。高校生なんだからもっと自意識過剰になれば良いのに」

「お前本当に何なの? 何がお前をそこまで突き動かすの?」

「だって大地って全然浮ついた話がないからさ。もし本当に雨宮さんが君に惚れているなら、親友として応援してあげないとなーって」

「そうか。で、本音は?」

「雨宮さんが君に惚れてたらそれはそれで面白いなーって」

「そうかそうか惨たらしく死ね」


 本当は罵倒だけじゃなく顔面パンチぐらいはお見舞いしてやりたいが、そんなことをしたらこいつのファンにボコボコにされてしまいかねないので、ここはぐっと我慢しておくことにした。


「ま、自分の想いを認める気になったらいつでも言ってよ。僕にできることがあれば協力してあげるからさ」

「……気持ちだけ受け取っとく」

「あははっ。本当に素直じゃないなあ、大地は」


 見当外れな言葉を残し、伊織は去っていった。おそらくは部活に向かったのだろう。サッカー部の次期エースだからな、伊織は。


「……もしも雨宮さんが俺に惚れていたら、ね」


 挨拶をしても無視され、顔を見てたら睨みつけられ、挙句の果てにはわざと避けるように通り過ぎられ。

 そんな露骨な態度をとってくる雨宮さんが俺に惚れているかも、だなんて期待は抱くだけ無駄でしかない。そりゃまあ俺だってもしかしたらと思う時はあったけど、現実はそう甘くはない訳で。

 雨宮雫は俺のことを嫌っている。

 理由なんて知らないが、とにかくそれが確固たる現実な訳で。


「……負け確定の恋なんて、挑戦するだけ無駄だよなあ」


 緋色に染まる夕焼け空を窓から見上げながら、俺は盛大に溜息を零すのだった。



    ★★★



「ただいまー……ん?」


 学校から徒歩一〇分。

 住宅街の一角にある平凡な一軒家の玄関を開けると、土間に見覚えのない靴が置かれていた。


「ひい、ふう……二人、か。親父のお客さんかな?」


 うちの親父は俗に言う小説家であり、その職業柄、打ち合わせやら何やらでこの家を訪れる人が結構多かったりする。おそらく今回もその類であろう。


「挨拶だけでもしておくか……」


 親父は礼儀に厳しいから、俺が客に挨拶もせず無視して自室に戻ったと知られれば何時間も説教してくることだろう。しかも決まって正座を強要してくるしな。昔の人間だからしょうがないのかもしれないが、考え方がちょっと古いんだよなあの人……。

 廊下を進み、居間へと続く扉を開く。


「ただいまー」

「おう、大地か。おかえり」


 紫陽花模様の着物に身を包んだ無骨な大男――というか、俺の親父である――が畳の上で胡坐をかいたまま、笑顔で俺を出迎えた。ここに親父がいるということは、やっぱりさっきの靴は彼の客人の私物なのだろう。客が来るならせめて連絡ぐらい入れておいてほしいものである。

 そんなことを考えながら、親父のテーブル向かいにいるお客様の方へと視線をやる。

 一人は、スーツに身を包んだ中年男性。イメージとしては高学歴のエリートサラリーマン。筋骨隆々の職人みたいな風貌の親父とは正反対の大人しそうな男性だ。

 そしてもう一人は、片目を長い前髪で隠した絶世の美少女。青を基調としたブレザータイプの制服を身にまとっており、どこか冷たい雰囲気を感じさせる――


「——あれ、雨宮さん……?」

「…………」


 返事はない。でも、その沈黙は肯定と同義であった。

 俺のクラスメイトであり、学園一の美少女であり、そして俺のことを嫌っている雨宮雫が、何故か俺の家の居間にいた。


「なんだ大地。お前雫ちゃんと知り合いなのか」

「知り合いというかクラスメイトというか……え、ちょっと待ってちょっと待って。これどういう状況なの? どうして雨宮さんが俺の家にいるの???」

「ああ、そういえばお前にはまだ言ってなかったな」


 嫌な予感がした。

 それと同時に俺の平凡な人生に劇的な変化が訪れることになるのだろう、という確信があった。

 ごくり、と干上がった喉を潤すかのように唾を呑み込む俺に親父は屈託のない笑顔で言う。



「この雨宮雫ちゃんはな、大地。お前の――許嫁なんだ」



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