第三章 少年剣士・前

save5 師弟





 ロイドのもとに連絡が届く、数時間前。





    ■1■



 戦国の領土、北東の端に、小さな人里がある。


 アブロックの町。


 三千の人口を収める町の大きさは、20ヘクタールほど。町を囲む壁の端から端まで500メートルもない小さな町。

 アブロック村として始まったこの集落が、町へと昇格してからの日はまだ浅い。町としては最小範囲の人数を持って、林業を営んでいる。

 特別な見どころもなく、町に続く道は、南下する一本だけ。


 そんなこの町で今、事件が起こっていた。



   ◇ ◇ ◇



 町はざわついている。


 先刻、荷運びのために町を出た馬車隊が、大慌てで逃げ戻ってきた。

 モンスターの大群と、遭遇したのだという。

 護衛ともども、積荷を捨てて逃げることを選んだ彼らは、またその際に、姿も目撃。

 町長は近隣の町に救援を要請した。到着予定は、一時間後。



 天気は良い。

 時刻は昼の三時ごろ。

 町のあちこちで、そわついた噂話がなされている。

 大量に群れていたというモンスターも怖い。しかし、その側で見られたという〈謎の存在〉のほうが、あるいはより恐ろしい。

 得体の知れないなにか――それはもしかして、噂の〈ダークネス〉かもしれない。

 どこからか流れ始めた話は、いま、町全体に広がっていた。

 ただしいまだ、現実感はともなっていない。まだまだ浮ついた噂話の域を出ない。

 そんな雰囲気からは、逆にのどかな気分すら感じられる。


 そんなことを考えながら、

 通りを一人、少年が行く。


 ごく一部の人々は、真剣に、怖いねえ、怖いねえ、とささやきあう。

 そんな中を、悠々と行く。


 いつも思うけれど、この町は狭すぎる。


 ドレッドヘアに、目を引くバンダナを巻き、身につけているのは小洒落た装飾。

 目の輝きが若々しい、整った顔立ちの、黒肌の少年だった。

 ただ、まだまだ年若いにせよ、背は低い。

 腰には、身長に比すと長く見える、長剣を下げている。


 少年は、すう、と息を吸って――、


「ダークネスがきたぞー!!」


 思い切り、声を張り上げた。


 ざわあっ、!!

 周囲が弾けるように反応した。

 ある者は目を剥き、ある人は桶を落とし、ある女性は引きつった悲鳴を口から漏らした。

 ばんっ! 戸口を開けて、ふとっちょのおじさんが飛び出してくる。丸顔で白肌の、名前はデイヴ。

 黒肌の少年にとって顔見知りである彼は――――戸口のそばに置いてあった水バケツに片足を突っ込んで、それはもう盛大に転倒した。


「あっははは!!」


 かろうじて指だけは指さず、けれど腹を抱えて笑う少年。


「ジャマルゥウウッ!!」


 激怒の声が響き渡った。

 こちらも顔なじみの、ナス爺と呼ばれるおじいさんが、湯気を吹くほどに激高している。褐色肌の顔面を鬼のようにして、


「こんの馬鹿者バカモンがぁああああああああああああっ!!!」


 ジャマルと呼ばれた少年は、笑いながら逃げていく。


「まったくあの坊主は、! ったく……!!」


 ナス爺さんの吐き捨てるような声が、彼の背中を追いかけた。



 黒肌の少年――ジャマルは、走りながら思う。

 この町は、小さい。


 冒険者には、見向きもされない。

 そもそも、人が来るでもなし。

 はやく、出ていきたい。


 今回の事件には、わくわくしている。

 戦場に出られるかもしれない。そう考えれば胸も騒ぐ。もちろん、いい意味でだ。

 ただ、いまはとにかく暇なので。

 有意義な時間に変えるために、くのだ。



 ――この町は小さい。


 ほんとうに、つまらない町だ。



   ◇ ◇ ◇



 駐衛所。

 兵士が駐屯する、建物、及び敷地の名称である。

 勤務隊舎、兵士が寝泊まりする営内舎、訓練用のグラウンド、物資備蓄用の倉庫などがある。

 アブロック駐衛所。その付近にある、一軒の家。



 青年が椅子に腰掛けて、読書をしている。

 短めのブロンドに、白肌。人当たりの良さそうな顔立ち。

 ハンサムというほどでもないかもしれない。けれど、とても清潔な印象に整えられた身なりは、彼を二割増しほどよく見せていた。


 ヨハン

 剣士/兵士

 レベル 78


 年齢は27歳。

 もともと借りていたこの家を、購入したのが二年前。

 この町に籍を移して、いまは民間人。

 第二の職にしようとしていたわけではないが、現在は剣士の指南役をやっている。

 一人の弟子が、今はいる。


 テーブルの横にある椅子に座り、本を読んでいた彼。

 ふと、顔を上げ、手癖のようにこめかみに手を当てる。

 そのまましばし、無言の時間を置き。

 手を下ろし、ふたたび読書に戻る。

 と。


「ごきげんよう」

 若い、おどけた声が、玄関から入ってきた。


「ジャマル」


 青年――ヨハンは、彼の名を呼ぶ。


 少年、ジャマルは13歳。

 今日はなかなか派手なアクセサリーを身に着けている。

 ――彼のこの伊達、平均よりはいささか低い身長をごまかすためのはったりとして用いていることを、ヨハンは実は知っている。


「どうかしたのかい」

 本を閉じて、ヨハンは尋ねた。

「理由なんて決まってるだろ、先生マスター。今日が指導いつもの日だからだよ」

 自分の腰に佩いた剣を、叩きながら彼は言う。


 ヨハンにとって、二人目の弟子。

 それがこの少年、ジャマルであった。


 けれど今は――。言いかけたヨハンは、考える。

 先ほど受け取った情報によれば、モンスターの数はだいぶ多い。

 いざという時の協力は、当然申し出ている。

 おそらく、戦場には立つことになるだろう。


 ――少し、身体を動かしておくべきか。


 ヨハンは承諾することにした。

「わかった。やろう。 ……ただし、アクセサリーは外すように」

 戦う際に身を飾るなとは言わないが、いま身につけているのは過多に過ぎる。

 ジャマルは素直に外しながら、笑って言った。


「そうこなくっちゃ。今日もよろしく、マスター・ヨハン」



   ◇ ◇ ◇



 母屋に隣接する大きな倉庫――いまは訓練部屋として扱われているその大部屋で、師弟たちが剣を合わせている。


 ヨハンは、左手に小盾、右手に長剣。

 ジャマルは、長剣を両手持ちで。


 盾は格好が悪い、というのが、彼の美学。言われたときは苦笑したものだが、確かに彼には、攻めのスタイルのほうが合っている。

 緊迫しつつも、仲の良さげに見える二人の身長差は、頭一つ分はある。

 ヨハンの身長は、175の辺り。

 ジャマルは、ぎりぎりで150に届くほど。


 ジャマルはすでに、剣士の戦闘職についている。

 一般に、子供が戦闘職に就くことはない。

 というのは、通常、〈転職〉によって得られる才能は、その人が本来持っているなんらかの才覚とのトレードになるからだ。

 そのため大人になってからでも、仕事に必要、あるいは有利ということでもない限り、大概の人間は戦闘職には就かない。

 13歳以上の国民のほぼ全員が戦闘職に就いている、ジャポネアという例外はあるが、レガリア大陸においては、十五歳未満の転職は、基本的には禁止されている。


 ただし、

 二年前に旅行した都市で、本人の希望により訪れた職業の神殿。

 その際に、ジャマルは剣士への適性を、〈天職〉と判断されている。

 そこに本人の強い要望があったこと。そして良い指導者を見つけられた両親の同意もあって、これは特例として認められた形だった。


 天が才能を示すだけあり、ジャマルの飲み込みは早い。

 あるスキルをひと目見ただけで習得してみせたときには、さすがに舌を巻いたものだ。


 剣気を飛ばして戦うのが、剣士。

 基本的には、中~遠距離戦を主体とする戦闘職である。

 とはいえ、〈飛び道具〉の訓練は、室内ではできない。そちらの方は、時折、町の外で行なっている。

 今は、前衛としての身のこなし。その鍛錬をしている。

 すなわち剣士は、前衛職でもあるからだ。


 ヨハンの回し蹴りが、ずどんとジャマルの横合いに入った。しかし手応えは軽い。自ら横に跳んで衝撃を流している。身を翻したジャマルは壁に着地。たたたんっと軽やかに壁面を駆け上がり、天井から、どんっ、と一刺しを構えて来る。


 かわしつつ、上手く使う、と思う。


 剣士のアビリティ〈軽身〉。

 身を軽くする、というのが即ちの極意。

 スライディングや、ジャマルがやってみせた壁走り。熟達者は、二段ジャンプなどもしてみせる。

 あるいは、先代の剣の勇者は、薄氷の上で凄まじい踏み込みをしてみせた、という話もある。


 軽く――しかし素早く、斬りかかるヨハン。ジャマルは荒っぽくだが、見事な身のこなしで回避してみせる。

 腕前だけならば。彼は今すぐにでも、Cクラスパーティーに入れるくらいであるのだが――、


 ――リリリリリリ、タイマーが鳴った。


 動きを止め、互いに距離を取り、軽く息をついて、ヨハンは言った。

「よし、一旦休憩にしよう」

 ふう……、と、ジャマルも長めの息をはく。


 スポーツドリンクで喉を潤しながら、師弟は会話をする。


「――例の宿題は、ちゃんと進んでいるかな。ジャマル?」

 うっ。明らかに濁った弟子の表情を見て、多少……あてつけるように、ヨハンは言う。

「……どれだけ調べたか、説明してみなさい」

 ジャマルは、ぼそぼそと答えた。

「昔、出てきて……。

 人を、襲ったら……魂を、奪って……。

 あと、ダークネス、って、名前……」

 少し間を開けてみるも、続く言葉はない。

「……それだけかい?

 兵士級、戦士級、そこに収まらぬ特殊個体。過去に――現在に確認された、諸々の種類。データ。

 最近発行された本――資料はちゃんと、君に貸したはずだよ」

 ジャマルは顔を背けて、小さくだけ舌を出す。


 ヨハンは苦笑を表情にのせて、思う。

 この弟子の欠点。

 自分の興味が向かないものを、些事と見ること。

 また、自尊心が高いこと。

 それらは長所との表裏一体ではあるのだが。


「そんなことよりさ。先生。

 俺は早く、戦ってみたいよ」


 ジャマルは戦闘経験値無しで、ここまでレベルを上げて強くなっている。

 ヨハンも、そろそろ「戦闘」を経験させる時期であるとは考えている。

 ただし、そうなると、絶対に彼は増長する。

 なのでヨハンは、ここしばらく機会を探していた。それは例えば、明らかにレベルの違う高レベル冒険者たちの戦闘を近くで見て、また話も聞かせてもらえる、といった状況。

 あるいは、ちゃんとジャマルが、最低限の〈自分を見る力〉を身に着けてから。

 彼を弟子にとって、二年目。ただ、ジャマルはよく我慢してくれていると思う。いたずら小僧としての悪名は時折耳にするが、町の外に一人で出ていくような姿などは確認されていない。

 人目を盗んで行なっている――などとは考えない。

 ヨハンは、自らを慕ってくれるこの弟子の、その点だけは信頼していた。


「俺も、もっと、戦ってさ。戦闘経験値を得て。先生みたいに、強くなりたい」


 こちらを見つめる瞳に、確かな尊敬の光を宿しつつ。けれど自らの要望は、隠さずに伝えてくる。

 そんなジャマルに、ヨハンは問いかけた。


「――強いとは、どういうことだい? ジャマル」


 ……少し考えて、ジャマルは答えた。


「……偉い。ってこと。

 強いのは、偉い。

 強いやつが、しゅぎ? とか主張とか、自分が正しいって思うことを、ちゃんと通せるんだ。

 強くなければ、意味がない。

 強いやつが、一番偉い」


「――その強い人のなかに、弱さはあるかい」


「ないよ。

 ……ないから、強いんだろ?」


「さて……どうだろうか」


 ヨハンは、ジャマルをまっすぐ見つめた。


「どれだけ強い人のなかにも、弱さはある。

 自分のなかに見つけた弱さを正しく見つめて、その上で正道を行く。

 それが、人間の、もっとも美しい生き方だと、僕は思っている。

 一言で表すならば――――、

 謙虚であること。

 強くなるため、強くあるためには、謙虚さこそが必要だと、僕は思うんだ」

「……それって、九枚でいい、ってやつだろ?」

 はっはっは。ヨハン、笑う。「それもまた、別の謙虚だね」


 ――ともあれ、


「僕はね、ジャマル。弱さを持つことも、大事だと思っているんだ。

 正しくは、それを知り、向き合うことで、」

「それよりもさ、先生マスター

 マリーヤさんとのことは、上手くいってるの?」


 んっ、と言葉を詰まらせるヨハン。


 僅かないらだちと、またばつの悪さ。まじめに聞きなさいと説教するにも、指摘されたのは確かに自分の〈弱い所〉で、まずは釈明――いや表明をせねばならぬという気分がわく。

「まあ、その、今度……」

 微妙に上ずる声を感じつつ、言いかけたところに、

 床を蹴る音。

 一気に間合いを詰めたジャマルが攻めかかってきた。


(まったく……!)


 感心と、小憎らしさを同時に感じつつ、剣先をいなす。

 話術によって相手に隙を作り、一本を取りに来た弟子に対し、なんとか体面を保てるくらいには余裕を持って。

 ちらと時計を見れば、休憩時間は終わっていた。


 ――――間違いなく、頭はいい子なのだ。

 あとはそう――それこそ、謙虚さというものを学んでさえくれれば。

 この子はきっと、絶対に、Aの高みまで駆け上がっていくだろう。


 ちぇっ、と口を尖らせるジャマルに、

 ヨハンも、ふっ、と苦笑気味に息を吐く。

 と、


「ジャマル!」


 うえっ、という、明らかに苦り切った表情が、ジャマルの顔に浮かんだ。

 この近所に住んでいる少女の姿が、開け放たれた倉庫の入り口にあった。

 フラン。

 赤毛の、気の強い目をした、ジャマルと同い年の――ただし彼以上に、背の低い女の子。


「やあ、フラン」

「こんにちは! ヨハンさん」

 彼女の、ヨハンに対する声は弾んでいる。

「で、あんたなにやってんのよ。ジャマル」

 続き向けられた声は、キンキンに冷えていた。

「……引っ込んでろよ、チビ」

 視線をそむけて、ジャマルは言う。

「ハァ? あんたに言われたくないわよ、チビ」

 舌鋒鋭く返される。

「ヨハンさんは町の防衛に関わる大切な人なんだから、あんたのわがままの訓練に突き合わせたら駄目でしょう。

 あんたはどうせ、戦場になんて出られないんでしょ?」

 むかっ、としたジャマルは、フランを睨みつける。そして相当に怒鳴りつけてやろうとして、

 ふと、先生の目を意識する。

 ……まあまて、落ち着け。ここは寛大に……そう、寛大に――――謙虚に、自制してやろうではないか。

「……ま、でしゃばりのチビに何を言われても、べつに気にしないぜ?

 俺はだからな」

 クールに決めたジャマルに対して、返ってきたのは小馬鹿にしたような鼻の笑い。むかっ、と顔を歪めるジャマル。


 少し離れて――ヨハン。ジャマルには気づかれていないが、彼はかなり笑いの成分のほうが強い、苦笑を手の平の下で浮かべている。

 とはいえ、事実と異なる部分については、弟子の名誉のためにも伝えてあげなければならないだろう。

「……ああ、フラン」

 少女に声をかけようとしたその時。


「ヨハン」


 倉庫の入り口に、男性が立った。

 壮年の、ヨハンの顔なじみである彼。職業は兵士。


 ぴり、と、空気が変わった。

 男性は、フランとジャマルがいるのに気づき、ヨハンに目を向けると、要件だけを口にした。

「助力を頼む。東門まで、来てくれ」


「はい」


 ヨハンが答えたと同時、警鐘が鳴り始めた。甲高く、しかしけして気忙しくはない、ただしはっきりと町中に通る音色で。

「フラン、行きなさい」

 はい。素直に頷き、彼女は地域の避難所に向かう。

「ジャマル。 ――きみもだ」

 …………。黒肌の少年――ヨハンの弟子は、沈黙する。

「俺も行きたい」

 願うように言う彼に、

「だめだ」

 きっぱりと言う。ジャマルに、伝える意思を込めて。


「……わかった。」


 ――時折、思慮の足りなさを見せることがある彼ではあるが。

 これは、〈通じた〉返事であると、ヨハンは判断する。

 一瞬、くどいと思われようが、もう少し言葉を重ねようか、とも思ったが。

 状況のこともある。ぽん、と彼の肩に手を触れておくだけにとどめて。


 ヨハンは、走り出した。



 通りを駆ける。

 衣服装具含め、いま身につけている装備が、すなわち戦闘用の装備であった。

 剣士は攻撃を受けないことが身上である。とはいえ革鎧程度は身につける者もいるが、ヨハンは昔から、軽装であることを好んでいた。

 と、

 こらー、!! 遠くから誰かの――あれはナスお爺さんの――怒鳴り声。

 ……あの人はいつも怒っている。少し笑いながら、ヨハンは指示された集合地点へ向かっていった。


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