第一章 物陰に光る
save1 二人会議とお買い物
「ふーむ……」
町の中心近くにある、大きな広場の真ん中で。
エリスは周囲を見回している。
美少女である。美しい金の髪はさらりと長く、形の良い小顔に輝く桃色の瞳は愛らしく。白い旅装を身に着けている。
ちらりちらりと、彼女に視線が注がれている。
コルミの町。
時計の短針が、まだ昼を指さぬほどの時間帯。人の流れは微妙に
この場所で、ユーゴーらしき人物が、見かけられたというのだ。
ロイドはいま、警察署を訪れている。
エリスは一人、現場を見ている。
ローブをまとい、壊れた仮面を身に着けた若い男がここに現れた。
特になにをするでもなく、ぼんやりと、露天のものを眺めていた――というが。
りりっ、腕輪が鳴り、びくっとするエリス。
どうにも、慣れない。
ロイドもそれを考慮して、あまり頻繁に使ってくることはないが。
左手首の腕輪を見やり、通話のために手のひらを顔に当てる。
『姫?』
声の主はロイド。警察で、情報をもらってきたという。
エリスはそうかと答え、
「では、〈大時計の針〉という宿に来てくれ。部屋はとっておいた。そこで一度、話をまとめよう」
『わかった。ぼくも現場を見たいから、すこし遅れるけど』
「うむ。承知した。ではな」
通話を切り、その場に一瞥を残し、エリスは宿に向かって歩き出した。
ロイドは宿屋にやってきた。
受付に立っていた店主の男性に自分の名前を告げる。話は通っており、宿帳への記入を求められる。
ロイド。
記された名前を見て、そういえばと、宿の店主は思い出したような顔をした。
「話題の勇者様と、同じお名前ですな」
「おや、来たのか、勇者」
上階から、エリスが降りてきた。
笑顔だった宿の店主が、ふと真顔になる。
宿帳に記されたエリスの名前にも、じっと目を通す。
エリスは普段を気兼ねなく過ごすため、惑わしの魔法石というもので自身の印象を隠している。大陸中に名前の通った暴れ姫様と、同一人物と思われないように。
ただし、勘の鋭い人には、時に見抜かれることもある。
伺うような視線を、こちらにも向けてくる店主。
目があったタイミングで、ロイドは肩をすくめて言った。
「あだ名です」
…………。
はっはっは。
店主は、ほがらかに笑った。
「なるほど。……どうやら、ずいぶんと光栄なお二方を、お迎えすることができたようです」
苦笑を浮かべて、ロイドは答える。
「どうぞ、ごゆるりとおくつろぎください。ご用向などあれば、いつでもお気軽に。……それから、お連れ様にはお話したのですが……」
「うむ。店主殿、それはわらわから伝えておこう」
はい。目礼する店主。
ロイドはエリスにいざなわれて、宿の上階へと向かった。
部屋で、二人は話をした。
警察でロイドが得た情報。現場で写真を見せながらエリスが行なった聞き込みに対する、たしかにこの人だったという反応。
「そなたは……どう見る?」
「うん……。意味があるとすれば、人の呼び寄せ。……そして、あるいはそれは、ぼくたちを、」
おびき寄せるもの、だろうかと。
ロイドが警察から聞いた話は、『ユーゴーと目される人物がただそこに現れ、そして路地裏で姿を消した』というだけのものだった。
魂の残り香を探るために、ロイドも現場を見回っていた。しかし、目立つにおいは残っていなかった。
一度目撃したユーゴー。彼の魂のにおいは、薄かった。
ゆえになんとも言えないところではあるが――この町に現れたユーゴーが、〈人形〉であった可能性は、高いと思われた。
邪神官ユーゴーと、異端魔王パロン。
この二人に対しては、様々な分析が進められている。
ユーゴーについては、未知の存在であることが。パロンについては、過去に存在した同名の魔族との照らし合わせが。理解され、解析され、または動機や行動パターンが推理され、背後関係も探られた。
特に注目されたのは、「楽しみのために事を起こした」というパロンの発言だった。ただし、「自分たちのためではない」と。
その発言が事実ならば、匂わされているのは、彼らよりも立場を上にするだろう何者かの存在だ。
ユーゴーとパロン。この二人の目的については、世界会議の場において様々な論争が行われた。
その中で特に注目を浴びたのが、一人の劇作家が出した意見だった。
〈王都事変〉。この事件は、ひどく
主人公は、勇者ロイドとエリス姫。この二人が
不敬を承知で言えば、ルミランシティで起こったことも、話を盛り上げるための大掛かりな
邪神官なる青年――ユーゴーのために邪神を復活させたというのは、件の魔王、パロン自身の
それは、そう、言ってしまえば。
〈何者かに向けて、娯楽を提供するため〉なのではないか。
この意見を、〈勇者の名のもとに〉支持したのがロイドだった。
現在は彼に紐付いた有識者委員会が立ち上げられ、その視点のもとで分析された様々な情報を、一部の機関――並びにロイドに対して発信している。
――そして。
この二人に〈従わされていると目される〉、もうひとりの存在。
ルネ。
その名は確かに、大魔王の末の娘のものとして存在している。
大魔王――ルキフェル。
いま、千歳を超えて存命している伝説上の人物。
彼には、何人もの子供たちがいる。
ただし、ルネが表に顔を出した記録はなく、また大魔王自身が
そのため、ルミランスに現れた〈ルネ〉が、大魔王の娘と同一人物であるかどうかすらも、未だ確証は得られていないという状況であった。
エリスが、ロイドに話を振る。
「……そなたは――ルネ、殿と、浅からぬ関係があるのだったな」
「うん」
ネネという名前のダークエルクの少女として、とある食堂で働いていたルネ――ネネと、ロイドは強く関係している。
「――そちらの方の、進捗はどうか」
ロイドは今、大魔王に繋がるためのコネクションを、どうにか模索している最中だった。大外の大外から、迂遠であろうとも一歩ずつ詰め寄るために。
ルネの現在の境遇は、本人の意思によるものではない。それがロイドにはわかっている。
ロイドが見取ったのは、彼女に対して〈脅迫〉が行われていること。また、彼女をその立場に追い込むための〈協力者〉の存在があること。
――大魔王には、9人の子供たちがいる。
第一子たる長兄と、末子である
〈大罪魔王〉と呼ばれる、彼ら彼女ら。
ロイドはそこにも接触したいのだ。
それはルネのためばかりではなく――ロイド個人の、人探しにも関わっている。
この働きかけについては、ルミランス王が特に強力に後押ししてくれている。
そしてその進捗が、どれくらいになっているかについてだが――――、
「――――――いまは、待つよ」
ロイドは、答えた。
レンズの向こうの彼の眼差しには、静かに落ち着いた、けれど決意が芯にあった。
うむ……。
エリスは頷きを返して、口を開いた。
「では……ひとつ、話をまとめてみよう」
まず。
ユーゴーとパロン――あえて二人組と表現する、彼らは。
この二ヶ月、目に付く形で動きを見せることはなかった。
あちこちで――それこそ大陸中から――〈怪しい事件〉の報告は上がっていたが、調査機関が本気で動くほどの確度ではなく。
しかし、一月ほど前。
信頼できる情報のみをまとめた結果、大陸の各地で見られるようになった〈謎の発光現象〉について、共通性と事件性が認められた。
これを二人組と関連付ける形で、捜査が動き始める。
そして、今回。
この地方で確認された発光現象。付近にいた兵士が現場に急行した結果、人の食事跡が見つかった。そのような痕跡が見つかったのは、初めてのことだった。
そこで数日前、ロイドとエリスはこの地域までやってきた。野外で宿泊しながら現場周辺を調べていたのだが、そちらの方でも、ロイドが得られた情報はほとんどなかった。
だとしても、あるいは。
そのような気持ちで捜索していた二人のもとに、今朝の情報が飛び込んでくる。
そうして、今に至るのだ。
――仮に、食事跡までが意図して残されたものであり、ここに現れたユーゴーが人形であったとするならば。
それは、九割九分、
「――まだ、断定はできないけれど。たぶん、この辺りで……、また何かをやるつもりだろうと、ぼくは思う」
「うむ……」
エリスも同意する。彼女自身のそれは、正直なところ勘働きでしかない。ただしエリスは、ロイドの意見を信用している。
「先手を取ることはできようか」
「たぶん、無理だと思う。
向こうが、起こそうとする本筋に対して、先手を取らせるような
「…………そうか」
頷いたエリスの顔には、しかし同意を示したくない表情があった。ただし問うた結果についての不承ではない。それは返答の中の表現に対しての――隠さずに言えば、嫌悪感であった。
「――だが、勇者。その表現は――やめよ。わらわは……好かぬ」
「うん。 わかった」
――楽しみのために事件を起こす。それは何者かの、喜びのため。
だとすれば、エリスには到底納得のできる話でも、また理解できる話でもない。
自分の腕を、無意識にさすっていることに気づく。
かつて、ここに大きく開いた――〈傷〉。流れた、〈血〉。
あの痛み――恐怖を、あるいは世の全てのものに与えようと。
もしもそんな事を誰かの楽しみのために行うというのであれば、うなじの毛が逆立つほどに、決して許せることではない。
そしてそのような未知を秘めた何者かへの――恐れ。
我が胸中を正しく覗けば、まさしく恐怖も、そこにある。
だが。
エリスは、すーと大きく長く息を吸い。
「よし。」
と、気分を切り替えた。
メンタルスイッチ。重い気持ちを抱えるよりも、いくらか楽にしたほうがいい。彼女が身につけた、技術の一つであった。
「そなたの情報網。何かが起きれば、即座に感知できるのだな」
「――即座に感知、というのは語弊があると思うけれど。ただこの町に範囲を限れば、事態が起きた際には、きっとそれに近い早さで、ぼくに連絡が来るはずだよ」
あと、
「町の周辺にも、網を張ってもらっている。そちらの方は、流石に範囲が広くなるから、更にもう少し連絡までの時間はかかると思うけれど」
「うむ」
エリスは腕を組んで頷いた。
「では……さしあたり……そうだな。食事でもとろうか」
いいね! をすぐさましてくるロイドに笑いながら、そういえば、とエリスは彼に話を伝えた。
「先ほど、宿の店主が言っていたことなのだが……」
それは今、この町で起きている〈とある事件〉についての話だった。
「なんでも、下着泥棒が出るらしいのだ」
「へえ」
その被害者は、すでに100人以上。
犯人と、目されているのが――、
「奇妙な……二ツ目のスライム、であるらしい。魔物と言われているが、ならば一ツ目であろうからな。おそらくは、魔族だ。と、わらわは思う」
「うん」
「……であるゆえに、窓はきちんと閉め、物の管理もしっかりと、ということだった。……まあ、補足しておけば、被害は女性にのみ出ており、男性には出ていないらしいがな」
「うんうん。」
うなずくロイドに、エリスはじとりと目を向けて、
「――ちなみに、以前に起きた……、例の一件だが」
ロイドは、まっさかぁ、という顔で視線をそらせて、口笛を吹いた。
ぶぅー、びゅびゅー
「下手だ!!」
割と真面目なエリスの怒声が響き渡った。
◇ ◇ ◇
二人は宿で情報をもらい、評判の良い食堂に向かっている。
歩く通りは、綺麗でとても気持ちがいい。
村や町は、たった一人のサンドボクサーが作ることもある。そのため、それぞれに大きな特徴が出たりする。コルミの町には、やわらかく、そして生き生きとした活気があった。
(そういえば)
と、ロイドは、自分の内側――そこにいる自らの同居人にして、頼りになる相棒に声をかけた。
(ねえクロイ。下着といえば、なんだけれど)
(ああ。なんだ)
返ってくる声は、大人の男性のもの。強く、低い声。
(きみにも身につけたい下着の好みはあるのかな。ちなみにぼくは、トランクス派なんだけれど)
(そうだな……俺は、ボクサーパンツ派だ)
(じゃあ間をとってブリーフにしようか)
(トランクスでいい)
「ん……。 どうした勇者」
「ううん。なんでも。ちょっとクロイとね。どういうパンツが好き? って話をしてただけだよ」
「……ふーん」
引いたジト目でロイドを見るエリス。
おい。ロイドの中に浮かぶクロイが、突っ込みを入れた。
食事を終えて、二人は町を軽く散策している。
商店が集まる区画にあった催し用の広場。そこで開かれていた市場を、いまは見て回っている。
特に買い物の予定もなく、腹ごなしのための散歩のつもりで、冷やかしをするエリス。と、隣を歩いていたロイドが、足を止めた。
「んむ? ……なにかあったか」
そばに寄れば、ロイドは露店に並べられている、売り物の一つに目を留めていた。
それは目立つように展示されている、革鎧。
値段を見れば、500万ゴールド。それなりに値の張る品だ。
「おや、お客様。こちらの品にご興味が?」
店主のおじさんが、にこやかな笑顔でロイドに話しかけてきた。
「こちらは名品でございますよ。
製作者については――さだかではないのですが、サインと思われるものはこちらです」
店主が示した鎧の一部には、〈W〉の一文字が刻印されている。
「とはいえそれも神秘性というものでしてね。世の中には無銘の逸品などというものもごろごろしているという次第でハイ、ございまして」
店主はラミネート加工されたパンフレットをロイドに手渡す。
「鎧の機能はそちらに記してございます。よろしければ、お目通しください」
エリスも一緒に覗き込む。この革鎧には、名前通りのメインとなる効果の他にも、破損した部位を再生する機能もあるらしい。
「それからね、歌もあるんですよ」
「うた?」
尋ねたのはエリス。
店主のおじさんはえほん、と咳払いをしてから、
♪ あーまあまあまあまあまあまかめーれーおーん――…
素人アカペラの、突然としたやるせない歌声を辺りに響かせた。
…………。
…………。
「わたしがつくった歌じゃ ないからね!」
おじさんは、ちょっと怒った。
「買います」
「買うのか」
おじさんは即座に表情を改め、ロイドに礼を伝える。
「お取引の方法は?」
「現金払いで」
ロイドは五枚の金貨を袋財布から取り出した。
大アルド金貨。一般的に使用されるものではないが、一枚百万ゴールドの価値を持つ貨幣。
「おやこれは……。はい。確かに」
心から良い取引ができたことを示すように、店主のおじさんはニッコリと笑い、ロイドに感謝を伝えた。
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