エピローグ
よく晴れた空。
平原の道を歩きながら、二人。
ロイドが、話しかける。
「――つまりね。
あのときズボンを濡らしていたのは、おしっこじゃなかったんだよ。模造品だったんだよね」
「もういいわ!」
エリスは本格的にキレている。
「何度目だ!」
「大事なことだからね。何回でも言うよ」
「いや、もう、いい! もう、いい!
そなたがわらわに隠していたことは許した。
騙そうとしたこともゆるした。
だがその話は何度目だ!」
キレ散らかすエリスの甲高い怒り声が、どこまでも広がってゆく。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「――なにを読んでるの?」
珍しく難しそうな本に目を通している少年に、少女は声をかけた。
少年はむっつりと、本の表紙を見せてくる。
――ダークエルク その真実――
家の前にあるベンチに腰掛けている彼が読んでいたものは、先日、業務を再開した地区の図書館から借りてきたものだという。
「どんなことが書いてあるの?」
隣に座ると、彼は半身ほど、身体をずらす。
詰めれば、 ずらす。
「なによ」
やめろよ。言う少年に、少女は笑う。
「あ……」
男性の声がした。
二人が顔を向ければ、なにかの仕事中なのだろう、書類を留めたクリップボードを手にした男の人がいた。
あの日二人のいる家を訪れ、少年とともにダークエルクを追いに行った男性だった。
「……あの時は、すまなかったね」
近づいてきた男性は、少年と、彼が手にした本のタイトルに、申し訳無さそうな視線を向けた。
少年は、ふるふる、と首を振って。
「……おじさんの家族は?」
男性は、にっこりと笑った。肌に染み渡るような喜びが、眼差しから溢れていた。
「娘も……妻も。元気だよ」
少年も、笑って。
そして男性が、頭を垂れて、胸に手のひらを当てたのを見て、
ぱん、と本を閉じ少年は立ち上がり、男性の側に立ち、胸に拳を当てる。
少女も、少年の隣に並び、手のひらを胸に当てた。
天と――勇者への感謝を、三人は捧げた。
「よう、聞いたかガルさん」
「あたぼうよ」
ザックは、軒先の下に腰を下ろしていたガルディスに声をかけた。開いた新聞に目を通していた彼は、当然の調子で答えを返した。
「見るか? 見ろよ。どうせ又聞きだろ?」
読めよ、活字を。言いながら、新聞を手渡してくる。
リーダーとしてもう一回り大きくならなくては、という意識が生まれていたザックは、素直に受け取って、読む。
つらつらと滑る字面の中、やがて目に留まったのは、王都で起こった事件を解決した新しい勇者の名前。
さほど珍しいとも思えない彼の人の名を、まさかな、という思いで、ザックは二度見した。
王都ルミランス。
事件から、明けた次の日。
ダーシャは両親とともに、家の周囲を片付けていた。
発生した魔力嵐によって、我が家を含む近隣一帯は――いや、おそらくは王都全域が――ひっくりかえされたようなひどい有り様になっていた。
家の付近には、片付けに男手が必要なところもあり、父はそちらの手伝いに行っている。
ダーシャは母とともに、黙々と作業をしている。
「――ふぅ」
立ち上がって、腰を伸ばす。作業に集中するのは得意だが、肉体労働となると多少勝手が違うものだ。
「体を動かさなきゃだめよ」
「気にはしてるのだけれど。お母さんは平気そうね」
「私は村育ちだもの」
おっとりと、けれど疲れ一つ見せずに、母はほほ笑む。
せーの、 よいしょぉっ!
男衆とともに、汗を流している父の姿が向こうにある。
真面目な顔で黙々と、大きな背中の父は、作業に
ダーシャは、王城があったほうに目を向ける。
ぽっかりと、ぬけてしまったような。背景の青空。
「……お城、なくなっちゃったわねぇ……」
笑うべきではないのだろう。けれどあまりにも残念そうな母の声に、目元が緩む。
「そうねぇ…」
「けれど、勇者様がたくさんのご寄付をくださったのでしょう? ……ほんとうに、ありがたいことね……」
「……ええ」
その声に乗せられた、母の気持ちに。ダーシャも、深く同意を示す。
と、
こんにちは。声をかけてきたのは、馴染みの郵便配達人だった。
「ダーシャさんに、お手紙です」
配達人は、鞄から取り出した手紙を、丁寧に両手を使って差し出してきた。
「どうも」
差出人の名前を見たダーシャは、目を丸くする。
「あら、まあ」
母も口元を抑え、離れた場所からこちらを見ていた父を大きく手招きする。
配達人の若い青年も――職業柄、あってはいけないのだろうが、ものすごく興味津々といった顔。
ダーシャは、一つ呼吸をし、天への感謝と同じ祈りを捧げたあと、
丁重に、手紙の封をあけた。
デパートの上階にある執務室。
「社長。壁面にできた、傷の修理についてですが、」
「それを なおすなんて とんでもない!」
目玉をかっぴらいた大声に、ははっ、と頭を下げる部下。
「壁面の傷跡は大切に保存。勇者様から頂いた修繕費は、同じく頂戴した感謝のお手紙を展示する台と、傷跡の由来を示すプレートの作成に使用するように」
「かしこまりました」
部下は了承の返事をし、胸に手を当て一礼をした。
ここは〈アドルシア〉――かの勇者王が治める国。
位置は西方。
西の都、と呼ばれる大都。
その、城内。
ルミランスターの四人が、放心を顔に表し、通された部屋にいる。
今日の朝、勇者ロイドと別れたあと、彼の意を携えて、ここまで来た四人。
戦王の歓待のため、この城を訪れている勇者王と、謁見するために。
けれど到着した彼らが聞いたのは、その事件、解決しましたよ、という知らせ。
ともあれ、お入りください。王にはお取次ぎをさせていただきます。ということで、通された部屋に待機している。
一人の犠牲者も出なかったと聞いている。ぽかんと抜けたようになるのも、いまだけは許されるだろう。
「――まあ、なんだな」
カーティスが、口を開いた。
「結局は、無駄足、ってぇことにはなったが……」
視線を向ける。
「お前を見直したぜ、クリス」
マルコットの町からこの都までは、直線距離でおよそ2千キロメートル。
それを半日もかからずに渡ってみせたクリスの手腕に対しての称賛であった。
「僕はなにも……。父様と兄上の人脈、火竜王様から頂いた特別の温情……大きな天運に、助けられただけだよ」
「それも含めてお前の力と思うがね」
ザスーラとユキも、カーティスの言葉に同意を示す。
彼らは全員、未知の存在からの襲撃を警戒して、凄まじい緊張を保ったままここまでやってきた。
魔界を経由するポータル流通を利用しての移動。クリスの発案に、博打だな、と笑いつつも、カーティスを始め、皆同意を示してくれた。
――ただ。最悪の場合、せめて最低限の情報だけは残せるように、というのが勇者ロイドの主な意図だったろうと思うし、そのくらいであれば見逃される可能性も高い、という判断もあったのだろう。それを考慮するならば、わざわざ真剣に狙われうる、危険な橋を渡る必要はなかったのかもしれない。
「僕は、まだまだ、だよ。むしろ君たちにこそ――ありがとう」
「ばかやろう」
水臭えよ。
カーティスが言って、ザスーラは珍しく声をこぼして笑い、ユキも、微笑んで。
……ああ。本当に。
良い仲間に、恵まれた。クリスは、天に感謝する。
部屋の扉を、誰かが叩いた。
続いて告げられた、今から入室をする、
ばっ、と四人は立ち上がり、胸に手を当て、敬礼を持って迎える。
扉が開く。
勇者王と、戦王――王にして勇者である二人の人物が、近づいてきた。
フロランシエ市。警察署。
その一室。
「奴らは喋ったか」
警務大尉は葉巻を
「いえ。大尉。
上から命令された。近くの森に潜み、あの日、あのタイミングで村を襲った。
例によって、それだけです」
大尉は咥えていた葉巻を離し、はっ、と煙を吐く。
「心当たりの一つもなく、何もかもが上の意向。…ふん。
自分たちは使い捨ての雑魚でござい、ってか」
王都で起きた、大事件。
何かの関係があるのは間違いない。
すでに多方面と連絡はとってある。
またありがたいことに、署長である警視官が、大衛機関になかなかのコネを持っていた。
「超能力捜査官が、
出涸らしだろうが、何でもいい。
最後の一滴まで、絞り尽くすぞ」
はい。
上司と部下は、硬質の瞳を見合わせた。
王都ルミランス。
とある地区にある、雑居ビル。
自分たちが所属している劇団。そこが間借りしている一室が、この建物にはある。
部屋の鍵を開けて、二人の人物が中に入る。
「やっぱり誰もいないわね」
「鍵がかかっとるんだから、そうだろう」
若い女性と、お爺さん。
二人は、椅子に腰を下ろし、一息つく。
警察に行って、知る限りの情報を伝えてきた。後日また、協力をお願いすることもあるかも、と開放されたのは、かなりの時間が経ってからで、緊張もあって、だいぶ疲れた。
仲間たちにも、一応連絡できるならしておこうとここまで来たが、さすがに皆、居なく。
ならば茶でも飲もうと、途中で買ってきたペットボトルの水をやかんに入れて、火にかける。
――あの日。
一人の男性が、この劇団を訪れた。
友人の子息に、ちょっとしたサプライズを仕掛けたい。とある情報を伝えるための芝居を、彼の前で行なってほしい。
そんな依頼を受けて、自分たち二人が出向いた先で。
相手にしたのが――勇者、ロイドであったということ。
くらくらと音を立て始めたやかんを前にして、女性は思う。
あの男性――かなりの精度の人相書きを、作成することができたと思うが――改めて感じる、何の特徴もない顔をした、あの男は。
一体、何者だったのだろうかと。
「お養母さん! おかあさん!」
「なんだい、騒がしいね」
来て! きて! はやく! 来て!
この嫁、若々しいのはいいのだが、時々子供っぽいのが困る。
「年寄りを急かすんじゃないよあんた……だれが年寄りだい」
「そういうのいいから!」
「母さん!」
一階のリビングで、テーブルの上に置かれた包みを前に、息子も柄にもなく興奮した様子で。
どうしたんだい。と問えば、彼は包みを指し示し、
「これ、勇者様から」
はー…………。と、聞いた瞬間、ある種の、気が抜けた。
言葉としては上からかもしれないが、一つの、感心を覚えた。
まさかあの時のあんなもので。
……だとすれば、包みの中身にも想像がつく。
べりっ、がさがさ。いつもの自分からは考えられないほど丁寧に包みを開ける。
はたして、そこには。
「……こりゃあ、いいものを頂戴したねえ……」
ほほ笑むお婆さんの前には、立派な花瓶が現れていた。
「おじいちゃーーーーーーーーんっ!!!」
興奮した孫の声に呼ばれて、老人が顔を出せば、家族から、手提げ籠に入ったそれを示される。
綺麗な布に乗せられたぴかぴかの1Gと、たくさんの人参。つやつやしていて、見るからに高級品。
勇者様からの、お礼、だという。
「ねえ、なんでっ?! なんでっ?!!」
両の瞳を、きらっきらとさせて。
老人の、眼差しが緩む。
愛しい肩に触れ、おいで。と行く。
この感謝は、馬たちに返してあげないといけない。
手伝いを終えて、宿に帰ってきた巨漢の冒険者。
いささか興奮した様子の従業員から、一通の手紙を手渡される。
自分でも確認してみれば、封筒には確かにその名が記されている。
勇者ロイド。
胸に手のひらを当て、目を閉じ、天を仰いで敬意を示す。
開封すると、
最高級のマッサージ店のプレミアムチケット。
ぐっ、と、彼の中に熱い何かが滾った。
「あのぅ、牢屋に入っていた、例の三人組なんですけど……」
「ああ」
掛けられた声に軽く振り向けば、そこには青い顔があった。
自身が対処できる容量を遥かに超えた事態に直面した者から出る、呆然的な声、と分かり、
急行する。
牢屋に入っているはずの三人組。
その姿が、消えていた。
後には、子供の玩具のような人形が三つ。落ちているだけ。
その後の詳しい調べにより、王都にあのような三人組は存在しなかったことが明らかになった。
詐称された戸籍、知る人のいない顔写真。
ホテル・グランディリア。
他国より来訪した王族が宿泊することもある、最高位の品格をそなえたホテル。
その、一室。
ライラ王女の側付きの女官は、床に伏せて泣き崩れた。
「申し訳、ありませんでした……っ」
ライラは慈母のように床に膝を付き、彼女の肩に触れた。
「――なにがあろうと、あなたを責めることはありません。
……けっして、ありません。
なぜならば、わたくしには、あなたが素晴らしく善き人であることが、わかっているからです。
全ては、わたくしが生を受けてから今日までの間、絶えることなく、あなたが示し続けてくれたこと」
震えながら顔を上げた女官の頬に、そっと綺麗なハンカチを当てて、微笑む。
「……あなたに、なにが起きたのか。教えてください」
「はい……っ」
ハンカチを握りしめて、女官は自身の身の上に起こった出来事を、話し始めた。
日が暮れて。
マルコットの町の、冒険者ギルド館。
「ふぅ……」
窓を灯す明かりを背中に、フェリエが玄関から出てきた。
肩を回し、眼鏡を押し上げて目元を揉む。
今、ギルドは――つまりこの町は、かなりのてんてこ舞いになっていた。
国営である冒険者ギルドは、有事の際、所属する各市町村が設置する防災機関に組み込まれるようになっている。
フェリエも事務作業で協力。久しぶりに、たくさんの数字を扱うことになった。
当面の急務であった水の浄化については、目処が立った。
のちのちは、ロイド様から直接頂いた修繕費でもって、ダンジョン内の修復、清掃作業を行なうことになるだろう。
ただし現在は、この地を担当する領主様の兵士たちを始め、警察の人たちなどが現場の検分に訪れている。
本格的な復旧工事は、それが終わってからになるだろう。
さて、夕食はサンドイッチで済ませたけれど、帰ったらパスタでも作ろうか。それとも、汗を流したあと、食べにでもいこうかな。
考えながら短い距離を歩き、館の側に立つ職員用の宿舎の前までやってくる。
その手前に、人影があった。
「あ……」
「マルコ!」
「おつかれさま。フェリエ姉ちゃん」
どうしたの? と問えば、話があるんだ、と彼は言う。
少し肌寒い今日の夜風。
さあ、あがって、と部屋に通す。
マルコがフェリエの部屋を訪ねてくるのは、初めてのことだった。
ギルド館の方になら、彼女を訪ねてやってきたことは何度かあるが。
おじゃまします。行儀よく言うマルコとともにリビングに。少し緊張している様子の彼を微笑ましく眺めつつ、フェリエは思う。
王都事変の前――黒竜事件の前。
フェリエには、一つの心配事――あるいは気おくれがあった。
突然やってきたおせっかいが、家族のような顔をして、善意を押し付けている。そのような存在として、見られているのではないかという恐れが、どこかにあった。
けれど、
あの日から、マルコが時折見せてくれる笑顔は、そのような懸念など吹き散らしてくれるものだった。
忙しさにかまけて家事をおろそかにしていなかったことを内心安堵しつつ、配給された水を沸かし、お茶を淹れる。
「どうぞ」
「ありがと」
カップを受け取り、匂いをかいだマルコは、あっ、と声をもらした。
「これ、父ちゃんの……好きなやつ」
フェリエ、はっとする。
「…………うん」
震わせまい、としたが。目元には薄く涙が浮かんできた。うまくできたかどうかは怪しいものだ。
昔。同じ家で、あの人が飲んでいたお茶。真似をして飲み始めた。いまではもう、生活の一部にまで、馴染んだ味。
マルコは、一口すすり、
「へへっ。苦いけど、おれ、好きだな。これ」
破顔するフェリエ。
ふたり、しばらく、お茶を啜る――穏やかな時間。
やがてマルコが、口を開いた。
「あのさ。フェリエ姉ちゃん。
お願いしたいことがあるんだ」
「うん」
うなずくフェリエに、マルコは続ける。
「……おれさ。ギルドの……冒険者ギルドの、世話になりたいんだ。
家に、入れてほしい。
おれ、ロイドさんみたいに、強くなりたい。
たくさん勉強して、いっぱい訓練して、自分を鍛える、チャンスを、掴みたいんだ」
語る、マルコ。
彼の声は、しっかりしている。前々から、そうではあった。
ただし今、彼の目つきには、確かな芯が、感じられて。
フェリエは、それが――とても、嬉しくて。
うん、うん。
涙ぐみながら、笑顔でうなずく。
「……あとさ。フェリエ姉ちゃんに、ちょっと……ちゃんと、あやまっておきたくて。
いっぱい、心配してくれたけれど、おれ、けっこう、そっけなかったりしただろ?
なんていうか、だから、フェリエ姉ちゃんに、さみしい……っていうのかな。そんな気持ちに、させちゃったかもって……させちゃったなって、思うんだけどさ」
マルコは、にっかりと笑った。
「おれ、フェリエ姉ちゃんのこと、好きだよ」
彼の声は、涙に震えていた。
「むかし、父ちゃんと母ちゃんにきいたことがあるんだ。
フェリエ姉ちゃんは、どうしていっしょに暮らさないの、って。
父ちゃん、笑って言ってたよ。
フェリエは大人だからなあ。
でもおまえが、いい男になったら、もしかしたら一緒に暮らせるかもしれんぞ。はっはっは。って。
ちょっと恥ずかしいけど、いまなら意味がわかるよ。
けど、
おれは、
家族として、フェリエ姉ちゃんのこと、大好きだよ」
うあぁあああっ、響いた
駆け寄って、抱きしめて、フェリエは、泣いて。
抱きしめられた胸の中で、マルコも、泣いて。
泣いて、ないて。
やっと、泣いて。
――そして明日からは、新しい一日。
あの日から、数日が経過している。
女将さんとジーンが、厨房にいる。
ネネの正体については、ロイドから話を聞いていた。
水の安全も確保されたというし、復興のためがんばる男衆のために、今日から店を再開することに決めたのだ。
時間は昼時。看板は出してきた。
じき、腹をすかせた男どもが、やってくるだろう。
「しっかしまあ、建材の柱が突き刺さるとか。うちの店も運が悪かったよなぁ」
「なぁに、かえって箔がつくさぁなんて、あの人なら笑うよ」
ははっ、そうだな。同意しつつ、ジーンは修理した椅子から腰を上げる。
女将さんも、火にかけた鍋の様子を確かめつつ、仕込みの確認を行なう。
扉が開いた。
「よう、マーサ」
「いらっしゃいっ!」
「あのよ……」
馴染みの客である大男は、ドアを開けた反対の手に、似合わないものを持っていて。
「さっき、あのネネって子がよ……」
ばんっ、女将さんは戸口を駆け抜けて、
店の外、周囲を探すが、
「いや、この近くじゃあ、なかったぜ」と、遠慮がちに後ろから言われて。
店の中に戻る。
男から差し出された、手紙――そして、花束を、受け取る。花は、買ったものではなく、野の綺麗なものを、丁寧に、選んで摘んだものだと、わかった。
…………ふう。女将さんは、ため息を一つ。頬に笑み。瞳は和らいでいる。
「ジーン、花瓶、出しとくれ」
「あいよ」ジーンも、優しく笑った。
◆ ◆ ◆
ホテル・グランディリア。
夜の中に、光を携えて立つ高楼が、気品を
歩哨に立つ兵士たちの矜持すら、我が身の品格として身にまとい、王城の代わりたらんとする意気を見せている。
明かりに照らされた、落ち着きのある部屋。
ルミランス王と、重臣たち。
ロイドと、付きそうエリスがいる。
「というわけで、こちらがそのオリハルコンメダルです」
ロイドは王の前に、千枚を超えるメダルの入った袋を差し出した。
「話を改めますと、こちらは寄付ではなく、陛下へのご依頼です。
ルミランスの名前が持つ信頼のもと、各〈
その際に、鍛冶素材としてではなく、神学技術者がいうところの〈
というのが要項です。
発生した金銭については、依頼料として、どうかお収めください。
細かい要望をまとめておいたのが、こちらの書類になります」
「――謹んで。お引き受けさせて頂きます」
臣下共々、ウィレム王は頭を下げた。
一礼を返し、ロイドは言った。
「それでは、今回、ぼくが頂戴したい、ご褒美の話なのですが……、
この王都に、〈神殿〉を、
完成予想図を取り出して、ロイドはその神殿が持つ機能について、説明を始めた。
◆ ◆ ◆
邪神が打ち払われた直後の空は、
王都ルミランスを遠くに見下ろす、小高い緑の丘。
わああああああ、と打ちひしがれる、道化師の姿があった。
地面に膝を付き、上半身を投げ出して、あられもなく泣きわめいている。
「ああああああんなに苦労したのにぃいいいいいい がぁんばって用意したのにぃいいいい すぅべてムダになるなんてぇええええええ ああああんまりだぁああああ ああああああああんまりだぁあああああああああああああ……」
ぽろん。慟哭の終わりに、楽器の音が重なる。
打ちのめされた道化の姿の側に立ち、パロンは朗々と語りだす。
「――
道化はその思惑の最後の最後までをもひっくり返され、哀れな膝をついたのでございます」
ユーゴーの、溜息。
地に這う道化師が、ぽんと人形に。
「天よ、ご照覧いただけましたでしょうか。
道化芝居、まずは一幕」
天を仰ぎ、パロンは芝居がかった礼をする。
その背中に、視線が突き刺さる。
彼の臓腑すら穿たんと刺し込まれるのは、おおよそ人が人を正しく統治するこの世では見られなくなった、奴隷が主に向ける敵意。
枷の
振り返った道化師は、視線の主に声をかける。
「おヤおヤ、箱入りのお姫様。
この道化の演目に、ナニかお気に召さぬところでもございましたでしょうカ」
あっと、
失言に気づいたように口を抑える。
「コレは失礼。
共演者に対しテ、まるで観客に対するようナ物言い。
エエ勿論、貴女は傍観者などではありまセン。
けしテ、舞台を盛り上げるための肝心な部分で役に立たなかったとシテも。
そうシテ、出番が終わったあとニ、舞台に乱入するようなトチ狂った真似などせず、チャあんと、端役の分をわきマエて大人しくできた以上は。
褒めてアゲなければ、なりませんよネ」
ぽろん、と楽器を一つ鳴らし。
「 待て ができて、えらかったね。お姫サマ」
笑い声が地に落ちたと同時、残った体がぽん、と人形に変わる。
腕を振り切ったルネの背後に、パロンは居た。
背中合わせのまま、声をかける。
「めでたしめでたしで終わっタ。
そこだけは、本当だったでショ」
ウフフフフフ、と、笑いながら去っていく。
ユーゴーも、同じように歩き去る。
一人、丘の上に残ったルネ。彼女は遠く正面にある王都に、惜別の眼差しを残し、踵を返す。
姿が変わる。肌は黒く、瞳は紅く。
幼い少女そのものとなったネネは、重い足取りで歩いていく。
「盟友」
かけられた声に、パロンは振り向く。
仮面の張り付かぬ半分に、物言いたげな表情を浮かべたユーゴーがいた。
「……あれは、我の還る場所ではない」
「ええ、ユーゴー。
……実はうすうすと、わかってはいたんですヨ」
責めるように向けられた瞳に対して、道化師は、慈悲を乞うように目元を緩ませる。
「申しわけない。許してくだサイ」
胸に手を当て、
「……許す」
端的な表明に、パロンは嬉しそうにして。
半歩、下がって、ユーゴーの隣に並ぶ。
「サテ、それでは――。次はどちらへ、向かいましょうカ」
道化師の言に、破面の男は漠然とした答えを返した。
「……北へ」
「ええ、ユーゴー」
去りゆく二つの影を下にして――青の天蓋はなお、高く。
◆ ◆ ◆
青空の下、緑の草原をゆく二人。
いまは帰路。姫王国に向かっている。
母上から、
どうやら世界会議の開催に向けて、状況が動いているらしい。
話を終えたエリスは、いつものように真っ直ぐな瞳で、すんと前を向く。
立派な背中もぴんと伸び、姿勢良く、歩を進めていく。
そんなエリスを横目に見つつ、ロイドは自身の内側に語りかける。
(ねえ、クロイ?)
(……なんだ)
彼の内側から、彼ではない何者かが声を返す。
間借り人を称する、正体不明の異邦人に、ロイドは――、
(あのね。……きみに、一つだけ聞きたいんだ)
(――――ああ)
二人の関係を左右する、大事な問いを、発した。
(おっぱいは?)
(でかいほどいい。)
がっ。
心と心で固い握手をする。
(これからよろしくね)
(ああ)
我が身の内の相棒とともに、少し離れたエリスに駆け寄るロイド。
振り向き、どうした? と尋ねる彼女に、ううん、と首を振ってから、
「あっ……そうだ。姫。きみに伝えておきたいことがあったんだ」
「うむ、なんだ?」
あのね、大事なことだからよく聞いてね。
あの時、マルコットの町で…………
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「――だーというのだ! まったくもう!」
ぷんすかと。エリスは話を切り上げた。
いま、二人の目の前には、姫王国の――王都ユミエールの城壁が見えている。
「やれやれ……。そなたは真面目なのか不真面目なのか、どうにも極端がすぎる」
「遊び心は、大事だからね」
ぐっと立てられた親指に、ほどがあるわー、とツッコミが入る。
◆ ◆ ◆
『……ああ、そうだ、ロイドくん』
「はい」
『君の、記憶のことなんだけれど。
……実はそれ、僕らにもイレギュラーな事態だったんだよね。
――だから、ある程度なら、取り戻す手助けを、こちらでしてもいいんだけれど』
「いえ、結構です。お気持ちだけ、ありがたくいただきます」
『そう?』
「はい。
……今度はエリスと……あの子と一緒に、歩いていきたいです。
ぼくたちはきっと――――なにもかわらないと思うから」
◆ ◆ ◆
「ほら、いくぞ! 走れ勇者!」
「うん」
軽やかな姫の背中を、眼鏡の勇者が追いかけていく。
Love to BraveⅠ END
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