save57 戦え、凄絶に



 ロイドは鞘と一体化した剣を振り上げ、踏み込んだ。

 迎え撃つ邪神との対比は、獅子に挑む鼠と例えてまだ足りぬか。万人が悲愴と捉える光景であり、それを裏切らぬ現実が、繰り広げられる。

 コォッ

 邪神が放った一喝だけで、ロイドの身体は軽々と宙を舞い、極めて生々しい音とともに叩きつけられた。

 ごり、と割れた頭部から溢れた血が、彼の顔を濡らす。


 ロイド レベル3


 跳ね起きたロイドはダッダッダッと、不格好に何度も地をり、突撃する。

 ボッ、邪神の口から、直線的なブレスが迸った。

 紙一重の差で躱しそこねたロイドの肌が焼け、燃える。焦げ跡を身体に残しつつ派手に横転した彼は、しかし即死はしなかった。

 倒れた彼に、邪神が編んだ魔力の一刺しが槍と降る。ロイドは無様といえる様子で回避。距離を取る。


 ロイド レベル17


 邪神が左腕を振り上げた。破壊のエネルギーが纏わりつく。

 ロイドは死地に踏み込んだ。

 雷のように轟き落ちる一撃を掻い潜り、邪神への距離を詰める。炸裂したエネルギーの飛散が一筋、鋭い欠片となって彼の腰部を貫通、血を焼きながら突き抜けた。

 邪神は力を右腕に纏わせて、地面を叩いた。

 ロイドは振り下ろされた腕に向かって跳躍。ボロボロの腕の引っ掛かりを掴んで、床に広がった魔法陣を回避。消えたところで手を離し、落ち際に一撃を振り下ろす。

 指先を殴打するその一撃を受けた邪神は、当然のように無傷。蟷螂の斧と例えるのもはばかられるくらいの、無意味な一打。

 咆哮を受け、着地したロイドは吹き飛んだ。


 ロイド レベル32


 その戦いぶりに希望を抱く人間など、いないと断言できた。

 それは確かに絶望的な光景であった。

 無意味。そうとしか感じられない、そのはずであった。

 だが、


「あああああああああああああああああっ!!」

 ロイドは叫ぶ。

 正面から突き込まれた左の抜き手を、剣を叩きつけて宙に浮いて交わし、

 掴み取ろうと迫る右手に投げる爆弾。起爆、爆風圧がロイドを地面に叩き落とす。白ダメージによりライフを削り着地、血を撒きながら空いた胴体へと駆け寄り跳躍、一撃を叩き込む。

 邪神の胸部が輝いて、閃光。

 肉の焼ける音と共に、先程の数倍の加圧により吹き飛ぶロイド。

 がしゃぁああっ、と瓦礫に荒く切り裂かれながら床に。血がだぱっと舞い、びしゃりと床に落ちる、が、

「ああああああああああああああああああっ!!」

 跳ね起きて、挑む。


 その死闘を、エリスは立ち尽くして、見つめている。

 足は動かない。

(無謀を行おうとするもの、わらわは嫌いだ(そしてそのときに決めたのだ。わらわはすべての母になる。いまはまだ、か弱きものは、わらわが守る、とな(焦らなくともよい。わらわは、そなたのとなりにいるよ(ただ持てる力のすべてを尽くして、御意をなすことでしょう(民をおどかす醜悪姦邪、不埒な所業はこの目に余るっ!(この国を包んでいる闇、わらわが晴らしてみせようぞ(……たとえ、敵わぬ相手としても。

 わらわは、そなたを守るだろう)

 彼女の中に駆け巡るものは、自分が口にしてきた様々な言の葉。これまでに言い放ってきた一つ一つが、千千に乱れて責めつける。我が身を突き刺す圧倒的な現実に打ちのめされている。

 こんな自分にいま、なにができるのか?

 そう考えたとき、彼女の中に一つの思いが浮かんだ。

 がんばれ、と。

 彼を応援するべきだ、という、あまりにも陽だまりじみた子供のような考えが浮かんだ。

 吐き気すら催す否定の感情とともに、すぐさまに打ち消す。

 彼女がこれまでに培ってきたものが、責任ある王族として育ってきた彼女自身の、それは芯となった矜持が、否定させた。

 あの闘いは、本来は自分が行うべきものだ。自分が負うべきものを、他者の〈血〉で負ってもらっている。

 そんな現状に、そのような台詞は、口が裂けても。いや、心が張り裂けようとも、考えることすらいけないこと。


 そのはず。なのだ。


 けれど、エリスの口は、喉は、動いて。声を、出そうとする。

 けれど、震えて出てくるのは、無音を鳴らす空気の音だけ。

 結果、エリスはなにもできない、ただの自分として、そこにあるだけだった。


 そんな彼女の意識は、すさまじい音に引き戻される。


 グチャアアアッ。あれは肉を潰す音だ。肉屋で聞いたことがある。パキィインッ。それは骨を砕く音だ。鍛冶屋の炉端で知った音だ。

 それらを複合させた音をより大きく鳴らしたロイドが、床に倒れている。

 両足。それは骨折という症状、などという生易しいものではなく。〈折れた〉〈骨〉が〈皮膚を突き破り〉、〈血に濡れた先端を覗かせている〉。

 目眩がする。唾すら飲み込む気力も失せる。息をただ細く零すしかないような光景がそこにある。

 けれども、彼は、立とうとする。


 ――しかし、立てず。


 当然だ、あれは、足が……、壊れている。

 エリスは遅れてきた震えにがくがくと身体を揺らしながら。

 気づけば涙だけは流れていた。

 その溺れた視界の中、

 ぽつ、。と、邪神の中から、漂いでる燐光を、見た。



 ……怒りで、支える。

 今、彼にできるのは、それだけだった。

 自らの願いで、自らの魂を揺り動かすには、圧倒的に力が足りず。

 ならば、持てるすべての感情で、心震わせるしかない。

 ……けれど、

 物理的に砕けた足を、修復するような意志の奇跡は、望めない。

 魂は、肉体の形すら変える。けれど、精神こころはそこに届かない。


 それでも、折れない。

 挑むと、決めたのだから。


 その眼差しにだけは不屈を宿し、ロイドは剣を杖に、半身を持ち上げる。

 そんな彼の目に、小さな奇跡が映った。

 それは邪神から漂い出た、儚げな二つの燐光だった。

 それらは宙を舞い、ロイドの身体に、触れた。


(しっかりしなっ! ロイドッ!!)

 激励が、走った。

(うちの飯をあれだけ食ったあんたならできるよ! 食いもんはね、腹のなかで力に変わるんだよ! そいつが人を支えるんだよ! 立っておくれよ! 勇者なんだろう! あんたはっ!!)

 声は悲愴で、涙に濡れていた。けれどそこには、人ひとりが、一人の人間に対して送る、あらん限りの、熱い力が込められていた。


(……なあ――ロイド。

 お前、すげえやつだよ。

 ……びっくりしちまうよ。

 実は勇者で。こんなにも、戦ってて。

 ……すげえよ、お前は。

 すげえ、やつだよ)

 語りかけるような独白は、砕けたように泣き崩れた。

(おれぁ自分が情けねえよ……!

 けどなぁ……。

 頼むよ……!

 がんばって、くれよ……!

 おれたちを……この国を……たすけてくれ……っ!!)

 責任すら負えない自身の無力を噛み締め打ち震えながら、涙を浮かべてひたすらに思う人の願い。


 どくん


 最初に震えるのは、心。鼓動として、それは鳴る。

 そして、〈真〉に届く。震える、魂。

 振動数が、高まる。

 それは彼の、力となるのだ。

 ロイドは立ち上がった。

 折れた足を折れたままにして、しかし砕けぬ膝とする奇跡。

 目を閉じる。

 深く、感謝を。

 そして開く。


「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 雄叫びを上げ、駆ける。挑む。

 そして再び吹き飛ばされる。

 けれど、また、ぽつりぽつりと。


 食堂で出会った人たち。

 城で出会った人たち。

 商会で働く人たちの。

 ネネを追っていた男性の。 

 帽子を渡してくれた少年の。

 研究所の人たちが。

 助けてくれた巨漢の冒険者が。花瓶を投げてくれたおばあさんが。馬番のおじいさんが。


 そして彼ら彼女らに、揺り動かされた人たちからも。

 邪神のおどみの奥深くから、かろうじて、途切れそうな意識で、送られてくる魂の声援が。

 数十、数百、数千、いまや数万、数十万。

 あふれた燐光が、ロイドを取り囲み、彼に力を与える。

 魂を震わせる、願いを、届ける。


(ありがとう)


 ロイド レベル 387


 心よりの感謝をささげ、

「あぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

 自らの血を絞り出すような、形相には悪鬼の赫怒。

 吠え猛りながら、立ち向かう。



    ◆   ◆



 エリーゼとマオスが並んで、彼方の我が子を思い、会話をしている。

 なぜだろう。先程から、空の向こうが妙に気になる。


「……話をしていたのだ。


 わらわはすべての母になる。

 いつかあれが、そう宣言した日のことだ。

 頼もしくなったものだと――嬉しく思うと同時に、一抹の不安も覚えた。


 あれは、一人。

 艱難かんなんを乗り越えて、真っすぐ伸びたと思うが、ただし一人。

 ……あれは飛び抜けて強い。ならば、その他すべてが弱き者。

 だから守ろうとする。守るためには、前に立たねばならぬ。

 隣にもいない。前にもいない。

 ゆえに一人。


 ――人を頼れと教えた。

 我が身一つで事は成せぬ。その大枠は身につけただろう。

 けれど……、

 肝心なところで、あれは……、人を頼らぬ」


 マオスよ。お前は、竜王の一件以来、あれに甘えられたことがあるか。

 マオスは首を横に振る。

 うむ…。と、エリーゼも同意を見せる。 


「……なあ、マオスよ。

 ……強きは弱きの剣たれと。それをあの子に説いたのは、妾だ。

 ――いま、ふと……不安なのだ。

 あるいはその言の葉は……あの子の呪縛に、なってはいないだろうかと」


 心の内を、つまびらかにしたエリーゼ。

 自身は気づいていないが、彼女の指先は、かすかに震えていた。

 けれど、


「ねえ、エリーゼ。きみは笑うかもしれないけれど」

 返された言葉は、ずいぶんおっとりしていた。

「実はね。

 僕は、それほど心配していなかったんだ。

 つまり、エリスが――、あの子が、ひとり、……という危うさについては。

 あの子がえがいていた、〈勇者〉。その絵を見たときから。

 運命の出会いが、あの子にはきっとあるはずだと思っていたんだよ。

 だから、

 心配してはいなかった」


 エリーゼは、可愛らしいとさえ言える、気抜け顔をマオスに向けている。

 やがて、ふ、と、彼女の頬に、笑みが緩んだ。

 胸の震えも、ふと止まった。

「……なるほど。――事実、そう、なったな」


 ロイド。


 エリスが幼いころ、好んで描いた絵に出てくる勇者。

 姿も、名前も。

 同じ少年が彼女の前に現れるという奇跡は、確かに起きたのだ。


「――ならば、彼に願おうか。

 娘の……、あの子の、幸いとなってくれんことを」

「うん…」


 二人は並んで、空を見上げた。

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