save51 黒髪のクロイ



 そこは広い部屋だった。

 湖の塔の中層、ただ戦闘をするためだけに施工された、石造りの空間。


 いま、エリスの目の前には、二人の見知らぬ者たちがいる。


「……これは一体、どういうことか」


 意図せず口に出る。答えを求めた問いではなかった。

 だがその回答を、自身が欲していることに間違いはない。

 エリスは、黒髪の少年――の見た目を持つ彼――を見据え、会話を行うことにした。

「黒髪の、そなた」

「ああ」

 彼の声。

 ロイドの服装をしていて、そして直感的に、ロイドがにいるということがわかる彼の声は、けれど。

 ロイドの声ではない。確かに、大人の、男の、声。

「そなたは――なに者だ?」

 わずかため息し、男は答えた。

「俺自身、正直今の状態がよくわからんが、

 こいつの……ロイドの身体の、間借り人だ。

 こいつにも俺のことは知らせていなかった。

 外のことは、見聞きできていた。お姫さん」

 エリスは、言われたことを飲み込むためにしばし口を閉ざしてから、再度問うた。

「……勇者の中に、いたのか、ずっと」

「――空から落ちる前までは……、  、 ……別々だった。

 だが、

 目が覚めたら、俺はこいつの中にいて、そして空から落ちていた。

 その時からは、ずっと中にいる」

「……そなたの名前は?」

 ―――……。

 男は、しばし逡巡しゅんじゅんする。

「……さあな。なんだったか」

「そなたも記憶喪失か」

「――そんなもんだ」

 ふーむ、とエリスは声を出す。

「窓は」

 黒髪の彼は、手を開き、見下ろしてみる。

「……いや、出ねえな」

 うーむ。

 彼に対してずいぶん気安く接していると思いながら、エリスは、ふむと言う。

「まず、名前がないのは不便だろう。

 クロ、黒い……クロ勇者……黒い勇者……くろい…。

 うむ。今日からそなたはクロイと名乗るがよい」

 はっ、と息をこぼして、男は笑った。「クロイか。いいな。気に入った。ありがたく使わせてもらうぜ、お姫さん」

「うむ。まずはよろしく願うぞ、黒勇者のクロイ」

 ふ、と彼が笑う。

「勇者じゃあねえ。

 戦士だ」


 その言と同時に、ステータスウィンドウが出現する。


「ん」

「おお、窓が。出るではないか」

「いや……知らん。勝手に出た」

 二人、覗き込む。



 クロイ


 戦士

 レベル 578


 筋力  2014

 技力  357

 魔力  43

 体力  1484

 耐久力 1734



「おお……」

 エリスが、感嘆の声をこぼした。彼女の感動は、目のきらめきによく表れていた。

 輝きが特に注がれているのは、ステータスの、一番大きな数字。

 例えばそれは、自分よりも高身長の男性を、初めて目にした女性のような。淡いときめきにも似た眼差しだった。

 クロイも、初めてのものを見るように。けれどそこには、類似を知りつつ、初見を確認するようなさまがあった。

 そうして、今は立ち上がっているネネを、ちらりとだけ見て、

「お姫さん。

 ロイドが、あんたに話があるらしい」

「うん、 勇者が、?」

「ああ」

 だから俺は一度引っ込む。そう言いつつ、クロイは真面目な顔をエリスに向けた。

「……その前に、


 あんたに礼を。


 命を救ってもらった。

 結局、直接は言えなかったんでな」

 わずか自嘲気味に笑う。

 しかし彼の瞳には、いつわりのない、心からの、深い感謝の光があった。

 それだけのものを向けられる心当たりを、エリスは、胸のうちに探す。

「俺だけじゃなく。あいつも助けてくれた。

 ……ありがとうな」

 穏やかに、優しい声。

 静かに胸にしみてくるのを受け止めつつ、エリスは、訊ねてみる。

「そなた――らが、空から落ちたときのことだろうか」

「……ああ。 ――そうだな」

 クロイは、ふ、と笑った。

「うむっ」

 エリスも、笑顔で答えた。

 そして、クロイに対して感じていた、ちかしさの訳を理解する。

 わかるからだ。彼の――クロイの。ロイドに対する思いを、そのぬくもりを、感じることができるからだ。



 クロイが言う。

「それと……俺が言うのも何だが、俺のことは流しておけ。

 今は、あいつの……ロイドの言うことを、聞いてやってくれ」

「ふむ…。」と、エリス。


 それらの会話を、ロイドは不思議な浮遊感に包まれた内側で聞いていた。

 ここは、肉体の中。魂の外側。つまり精神ということか。

 彼――クロイが、いた場所なのだろう。

 理解ができたことで、これまでに自分の内側に生じた感情の正体にも見当がつく。

 それらが自分のものでなかったことは少し残念だったが、けれどそれ以上に、はるかそれ以上に、という事実が嬉しかった。

 とても、うれしかった。


 上から、クロイが沈んでくる。

 代わりに、自分が浮き上がっていく。

 すれ違いに、声をかけた。


(ありがとう。)

(、いや。)


 ロイドは、浮上した。



 クロイと入れ違いに浮かび上がってきた姿を、エリスは見た。

 ざわっ、と音が聞こえるように、容姿の大枠が入れ替わる。

 硬質を表していた黒髪が、柔らかな茶色の髪に。きつめだった目つきが、穏やかな眼差しに。

 体つきや、細部のつくりも、明らかに変わっていく。顔立ち含め、やはり、別人になっていたのだということがはっきりとわかった。

 そうして現れたのは。

 はにかんだ様子で、居住まいを正す――ロイドだった。


 ……再会は、ぎこちない沈黙とともに。


 やがて、

 先に口を開いたのは、ロイドだった。

「姫」

 ごめん。

 と、頭を下げる。

「ん……、」

 まだ少し、気まずいエリス。

 ちら見ちら見と視線を動かしていると、気づく。

「右腕が折れているぞ」

「あ…。うん。さっきね」

 どこからか取り出したポーションを飲む。パキッと音を立てて、腕が治る。

 彼を見ていたエリスは、大事なものの欠如に気がつく。

 部屋を見渡して、

 床に落ちていたそれのところまで歩いてゆき、拾い上げる。

「……ほら」

「うん…。」

 ロイドは、受け取った眼鏡をかける。

 二人の距離は、手の届くほどに近づいた。

 ……見つめ合う。

 ――少しそらして、エリスが尋ねる。

「その……。その、子は、ダークエルク、か?」

「うん。ネネちゃん」

 ロイドは振り向いて、背後にいた彼女を見る。

 彼女に歩み寄るロイドに、エリスはついていく。

 途中でリュックを拾い上げ、取り出したハンカチを、ネネに手渡すロイド。

「ウェットティッシュもあるよ」

 更に取り出したパッケージを、彼女に見せる。

 ネネは、少しだけ笑顔を見せる。

「……はじめまして。ネネ。わらわはエリスという」

 ネネは両手でハンカチを持って、目礼気味に頭を下げる。

「――実はな」

 二人に聞かせるように、エリスは口を開いた。

 邪教徒のアジトなる場所で、手に入った情報のこと。何らかの企てが、そこにいるダークエルクの少女を巻き込む形で、進行しているらしいのだ。

「そうなんだ」

「うむ。わらわにも、詳しくはわからぬ。だが……」

 続けかけて、あ、とエリスは思い出す。

「その……、なにか、話があるのか……?」


「……うん」


 理想的な条件下ではなかった。

 けれど、ここを機としよう。

 エリスをするために。

 ロイドが口を開こうとした、その時。


 どごぉおおんっ、と、塔が揺れた。


「なんだっ?!」

 エリスは跳ねるように振り返り、駆け出した。

「ついてまいれ!」

 上りの階段に向かうエリスの背中。ネネの手を引き、足を踏み出しながら、ロイドは考える。

 静かな時間は、得られなかった。

 いま、話をしても、集中力は五秒ほどか。

 一時間の真剣が欲しかった。けれど、もはや無理だろう。

 このイベントをクリアしていれば、あるいは得られたものだろうか。

 ……考えても、もはや詮無いことではあるが。

 走りながら、ロイドは自らの内側に呼びかける。

(……クロイ?)

(……なんだ)

 彼の声は、好きだと思った。はっきりと、嬉しいと感じる。

(……きみに、お願いがあるんだ)


 願いを告げたロイドに、クロイは即座に答えた。


(ああ。

 ――あの、自称神様の話なら。

 が、復活するというんだろ。

 いくらでも使え)

(ありがとう)

 心から。伝える。


 勝利のために積める時間は、もはやない。

 嘆きはしない。

 そのような感情はない。

 かえりみない。

 そのような暇はない。

 だから前だけ向いて、足を進める。



 塔の天頂にある階段から、外に出た。

 見える光景は、劇的に変貌していた。

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