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     ■




 ……最近、ちゃんと眠れているかね? 疲れが顔に出ているようだが。


 はい。 さすがに不規則な生活にはなってしまいますが……。 …お恥ずかしいです。今日は化粧を忘れてしまって。


 あまり無理をするものではない。 君は戦時に生まれたのではなかったな。 戦中の空気というものはね。人の身体を軋ませるんだ。心を痛ませる。

 ――危惧は現実となり、戦争が始まった。人類は、今こそが危急存亡のときだ。

 ……しかし辛かったら、構わない。 ちゃんと休息を取りたまえ。


 ……、はい。


 騒ぎ始めた下位連中アンダーズのことも心配だ。

 最上級が不気味なほどに落ち着いているのに対して、下の連中は必死だ。

 人類への貢献なんて考えていない。人々を踏み台にして、連中の神の足先に触れることだけを考えている。

 その擾乱じょうらんが我々の元にまで波及している。

 馬鹿げた話だ。 心から、 馬鹿げた話だ。

 火が消えたはずのゴールドの派閥が、あの猿を中心に再興を始めているのがこの現状だ。

 ……俗物どもは呪われろ。

 いま、手を取り合うべきときに、他人の足を引くことでしか自らを立たせられない連中が再び幅を利かせている。

 かつて無名の若者を嘲笑った連中が、へし折られて地に落ちて、けれど浅ましく這い上がる。

 地獄に落ちればいい。ことごとくだ。巣穴に群がる犬どもが・・・・・


 博士。

 、紅茶を、お淹れしますね。


 …………。


 アールグレイの良いものを頂けたんです。

 ぜひ、おめしあがりください。


 ………………、

 ――あ…… 、……。

 ……ああ。

 …………、ありがとう……。


 お気になさらず。もちろん、ティー・ロワイヤルで。ご用意しますね。


 ……たのむよ。




 ――――――――。

 ………………では、素案策定の前に、彼ら――三人のオーバーソウル能力者たちについて、それぞれの特徴を、いま一度、改めてみようか。


 ――それでは、わたしが。 ……よろしいでしょうか?


 もちろん。


 はい。

 まず。


 ――ライリー博士は、彼らが持つ魂に、オーバーソウル:超越的な魂という呼称を与えました。

 彼ら全員に共通するのは、常識を超えた実現力を持っていること。

 発露の契機となり、実行の際のエネルギー源ともなるのが、自らの〈欲〉。

 これは、彼と彼女についてが、特にそうです。


 最初に、彼は、シンプルな存在です。欲を体現する、という意味で。

 欲しい。だから得たい。得たいを得るに変える力。

 スペースにおいては、常人を遥かに超えた筋力、運動能力、知覚力。またはPKといった形で、この力は行使されます。

 元世界においても、彼は尋常ならざる能力を発揮していました。

 それが、

 あちら側で彼が行なってきた、数百の殺人に現れています。動機はもちろん、純粋に「欲した」 ――そのためです。


 次に、

 彼女が求めるのは、悪意の根絶です。

 が動く。と彼女は言います。

 心が常にその方向に向くわけではない、というのは、彼女の特徴でしょう。

 彼女も、元世界で、多くの人を手にかけています。けれどやがて、正義を奉ずる人々からは、黙認されるようになりました。 たとえそれが、場所を選ばぬ、通り魔的な行為であっても。

 彼女の行動も、動機の大本となっているのは、それを成したいという欲です。ただし、彼女自身は、あまり欲としては意識していません。これについては、自らを自動的と評したこともあります。


 ですが、

 彼と彼女は、自らの「実現欲」だけで強い力を出せる。この点は共通しています。

 特に彼女は、この世界で、悪意を持って犯罪行為を行う者たちに対しては、たとえ一軍ほどの数を相手にしても、一人で殲滅できるほどです。

 ――最上級に絡んだ組織犯罪の減少、抑制。今日こんにちまでのスペースの治安維持には、彼女の尽力が、大きく影響しています。


 ……そして最後に――、ですが。


 彼は特別です。

 彼は個人では完結できない。

 彼が力を発揮するためには、願う人が必要です。

 願う人のいない彼は、最弱。

 いえ、そもそも、能力者としては機能しません。


 たとえ、たった一人の家族のため、でも、

 彼の願いは、彼にとっては、無力でした。

 ゆえにあのとき、彼は、破滅的な道を選ばざるを得なかった。


 「彼には願う者が必要である」


 これは疑いなく。間違いはありません。



 ……



 ―――…。


 ……遮ってすまない。

 ――これはどうしようもないただの愚痴だが…………、

 ……聞いてくれ。


 …………。 はい。


 ―……。

 私は。

 しかし私は。

 ――それでも私は、HD計画には反対なんだ。

 出自不明の技術――ということは、実際的に、もう、どうでもいい。

 それが機能して……かつ、有効性があるならば。

 そして確かに、彼に魂の蓋は無く。

 プロメテウス実験から得られたデータは、彼をより強力な存在へと昇華させうる強い可能性を示してみせた。

 だが、

 リスクはある。

 そしてそのリスクの根源は、彼の側ではなく、我々の側にあるのだ。

 意味するものは、不安要素の増大だ。分母を考えれば当然だろう。

 ――〈剣〉の製作が凍結されることはなく、主導権を守ることもできた。

 だが、HD装置は、あちら側の主導だ。関与はできない。

 ……口惜くやしいんだ。

 中央要塞防衛戦のとき、たしかに彼は邪神に届かなかった。

 けれど、そのとき、

 は、彼の隣にはいなかったのだ。

 だが、最終作戦においてはどうだ?



 ――――彼の隣には、彼女がいます。

 ……必ず。彼女・・はそこにいます。



 ……ああ。

 そしては戦うだろう。

 彼女のために。

 戦えるだろう。


 ――――、


 どうにか。

 したい……。

 あの二人の純粋を、私は――…、守りたい。



 ――――――――――――――博士。

 けれどわたしは、彼に対して、ふと疑問を抱くときがあります。

 そして…… 、怖くもなるのです。


 彼女の好意が、彼に向いていることは、間違いなくわかります。

 ……不器用なあの子が、彼と触れ合うことで、明らかに変わっていった過程を、わたしは近くで見ることができました。

 わたしは、彼女の、彼への気持ちは、全く疑っていません。

 彼女は、彼のことを、心から信頼しています。 ――見るだけで、わかるほどに。

 

 けれど、


 彼は、はたして、本当に、彼女のことを想っているのでしょうか。


 彼の、彼女に対しての振る舞いには、不規則さが……あります。

 彼女の命をないがしろにするような行為――… 彼女に多大なリスクを背負わせて、わずか数名の…………、 ――一般人を助け出す―― そのような行為に及んだこともあります。


 ……不思議なのですが、 ……わたしが、生き残れないかもしれない。 ……そのことは、あまり深い拒否感では、ないのです。

 それよりも、

 彼女が、彼に裏切られる。

 ことのほうが、わたしは怖い。


 ……情、ということは理解しています。


 ただ、

 作戦への一助――いえ、少なくとも、参加はできるHD装置を、わたしは、支持します。

 ――最後のときに、わたしの意志を、反映させたい。

 ……なにもできなかったという後悔をしたくない……、 わたしは、そう、思うんです……。



 ………… 、確かに。

 ……彼の行動には――、ときに大きな矛盾がある。

 すさまじく機能的に動く一方で、あまりにも意味のない行動をとることもある。

 その態度は、彼が好意を示してはばからない、彼女に対しても示される。


 あえて客観的に言うならば、彼女のためとなる行為に、彼が命がけで挑んだことは何度もある。

 しかしまた、彼女に苦役を押し付ける形で、非合理と取れる選択をしたことも、何度もある。


 正直なことを言うと、

 君とは異なり、私は、自分が死ぬのが怖い。


 一見、ひどく気まぐれにも見える彼が……、愚挙と呼べるような何かを行い、作戦を失敗させるかもしれない。

 あるいは、最終的に――、彼が、彼女ただ一人のために、我々全員を犠牲にすることもあるのではないか。 ……そのような疑念に囚われたこともある。



 ……わたしも、けして、自分が死ぬのが怖くないわけではありません。

 ……博士がおっしゃった不安は――わたしにもあります。

 いえ、

 それこそが、わたしの……不安なんです…。


 ……彼のことが、

   わからない。


 研究、という形で、時には日常で、わたしは彼と接してきました。

 けれどついに、彼を理解できたという、確信は得られませんでした。


 彼がほんとうに大切にしているものが、わからない。


 それが、

 …………――。

 ――――わたしが抱いている、怖さ……です。

 ………………………………。




 ……………………。

 ――君はA.D.西暦の始まりとなった、のことを知っているかね。


 ―― はい。

 あまり資料には恵まれませんでしたが……、 〈ナザレのイエス〉です。


 ……の人が説いた〈愛〉については。


 アガペー ――でしょうか。天より全てに注がれる、無償の愛。彼の人の生涯は、その体現であったと。


 その対と言える愛については。


 エロス。 恋しい存在に向けた、ただ一人を求める愛。 、かと。


 その二つは、一人のうちに、矛盾なく収まると思うかね。

 大衆よりもより好ましい個人を愛し、その好ましい個人を差し置いて大衆を優先する。

 そのような精神性は。


 ――――わたしには……わかりません。

 個人の中で成立しているようにみえたとしても、それは分裂――しているようなものだと、わたしには思えます。

 ひとつの……、主義の中で、成立するものとは、わたしは思えません。



 うん……。

 ――他意はないのだが、彼を人類の英雄とは信じられない人々の意識の根も、同じところにあるのだろう。

 確かに彼の行動は、分裂……というよりも、ときに支離滅裂だ。


 極地要塞からの撤退時、彼は第7師団全体を殿しんがりに使い、第1師団隷下の一個小隊を助けた。

 彼自身が率いる第7師団──身内の骨を削ってまで得たものとしては、リスクとリターンがあまりにも釣り合っていなかった。世論を巻き込んで議論が紛糾したのも、記憶に新しい出来事だ。


 英雄的と讃えられた八番大河の戦いのとき。彼は二個の特殊任務大隊を同時に救った。 だれが見ても、どちらか片方を犠牲にして、もう片方を救うべき、という場面で。

 ――友人がぼやいていたよ。彼が理想を成し遂げられる可能性は、3%もなかった、と。


 そして…… 直近に起きた、極東エリア事件では。彼女一人を激戦の中において、彼自身は――――、 ……たった三人の子どもたちを助け出すために、行動したこともある。


 ――…………。


 いや、なにも恥じ入ることはないよ。

 ――美談だとは、私も思っていない。

 今、この時点において、三人の子供の命の価値は、限りなく低い――というより、むしろマイナスだとすら私は思う。

 ……もしも私に好いた人がいたとするなら、私の命は彼女のためにこそ使いたい。その彼女が世界の命運を左右するような存在であるのならば、なおさらにだ。

 ――主体的…… あるいは道理に則った判断、というものが、彼には大きくかけていると…… 私も、そう思っていた。


 ……けれどね。

 確かに彼は、願われなければ、力を発揮できない存在だ。

 それでも、

 彼自身が叶えたいものは、やはりあるのだよ。

 OS能力。

 能力とは、あたう力。 叶える力。

 OS能力・・とは、超常なる魂をもって、ものごとを実現させる力。

 たった一言におさまるような、魂が、望む、その芯が、彼にも、あるのだ。

 ……。

 ――どうしても主観が混じってしまいそうだったのでね。きみには伝えていなかったことなのだが……

 ……彼の一つの発言が、私の考えを変えたんだ。



 ……きかせて、頂けますか?



 ……………………ああ。




 ――――――――――――――彼は、このように言っていた――――――――。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

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