第六章 ドラゴンクエスト
save29 彼女は美しきを示し
洞窟の通路は薄暗い。この辺りは明かりが少なく、視界が狭い。
地底湖を飲み込んだ洞窟は、わずかに湿り気を帯びている。生き物の喉に錯覚させる。
フェリエは広い通路を歩いている。前方に、包帯を巻いた男。先導されている。
先程までは、入口近くに作られた、用務部屋の一室にいた。
閉じ込められてはいたが、居心地に不都合はなかった。状況としては最悪だったが。
「三日の約束だったが、速攻で反故にしてきやがったんでな。一応、今帰ったぞ、連れてきたぞ、という体で引き渡すんで、適当に協力してくれ」
縛られたりもしていない。こちらを見もせずに、包帯の男は言う。
明かりの魔宝石が減じ、陰がさらに深まる。所々に、濃く深い闇がわだかまる。
そんな中、フェリエはなにかに
硬いものに足先がぶつかった、と、反射的に思ったが、存外それは柔らかく。
人間だった。
「ひっ
「暴れてここまで跳ね飛ばしたんだろう」ガキのおもちゃか。鼻で笑う。
足がすくむフェリエを無視して、包帯の男はすたすたと行く。だがある程度距離が空いたところで立ち止まり、いくぜ、と声をかけてくる。
震える足、零れそうな口元を押さえる。
自分を待ち受けているものが、ダークネスだとは聞いた。なんのアイコンも浮かばないこの人の身体。事実なのだろう。
それでは自分も、こうなるのか。
フェリエの中に去来するのは、かつての記憶。
両親を理不尽に奪われた。震えながら縮こまり、ただただ神の足元にすがるように、這いつくばって祈りを捧げた。ただ、捧げるだけの祈りだった。
それが嫌で強くなろうとした。
その強さを示してくれたのは誰だっただろう。
……ああ、覚えている。
誇りを持て、と、教えてくれたのは。私の二人目の、父と母だ。
足を踏み出すフェリエに、包帯の男は口角を上げる。
「まあ、女としてのろくでもない目にゃ
「……あなたが、どの口で」
くつと笑う。
「違いねえ」
進む先にも、人の身体がぽつりぽつりと横たわっていた。
やがて前方に光が見えた。
大ホール。まばゆいばかりに照明された、大きな広場の明かり。
視界を
光の中に、入っていく。
ぐわ、と視界が開ける。天井の高さは塔を収められるほど。それほどの空間が、複数ある巨大な魔宝石によって照らし上げられている。
広場には、アイコンのない人々の身体が無造作に散らばっていて。
その中央に、黒いドラゴンは座していた。
巨体、であった。漆黒に包まれた、体。翼、広げれば飛ぶのだろう。
姿形だけならば、魔王と呼ぶに相応しい。
けれどその目。いやらしさが内から覗くその目には、魔王としての品格は微塵もなかった。
『ほう、急に見繕ってきたにしては、なかなかの上玉だな』
「……こいつは、どうも。お気に召していただけたようで」
不機嫌だと聞いていた。だがドラゴンは、途端に機嫌を直したようだった。包帯の男は、ならば余計なことは言わぬとばかりに口をつぐむ。
あるいは単純に、目の前のこのドラゴンに言葉を尽くすことを、そもそも疎んでいるのかも知れなかったが。
『女。寄ってこい』
巨大な声が促す。
待ち受けるのは、闇色の重圧。大きな影。そこに踏み出さんとする人の足の、なんと心細いことか。
けれど背筋を伸ばし胸を張り、フェリエは一歩を踏み出し、進んでゆく。
そこに在るのは、弱者の矜持。踏みつけられようとも屈しない、心だけは挫けない。
彼女の矜持。
フェリエは、黒いドラゴンの前までやってきた。
天井を睨むようにして顔を上げ、黒いドラゴンの顔を覗き込む。
『ほう、生意気そうな顔をする。だが、そんな女を屈服させるのも面白い。もしも従わなければ、貴様は俺の供物。人間の生を我に捧げよ! それが嫌なら、せいぜい機嫌を、
「お断りです」
ピタリ、と巨竜の動きが止まった。
「私は屈しません。あなたの機嫌伺いなど、当然のようにいたしません。
弱者には弱者の矜持があります。それは強大な暴力に対して膝をつき、相手の靴を舐めることではありません。
生きるためにあがくこともできず、神にすがるしかない状況で、最後まで神を信じぬくことです。
この足はあまりにも弱く、あなたから逃げ出すことなどできません。この腕をふるっても、あなたにはそよ風のほうがまだこそばゆいでしょう。
ならば私は屈しません。あなたに踏みつけにされようともこの心は私のものです。
つまらない反抗は、あなたを楽しませるだけでしょう。
ならば私は祈るだけです。神に、あるいは――天に」
…ふん。と黒竜は鼻を鳴らす。『祈って、どうなる。なにが来る』
「あなたもダークネスならば、大勇者アルドのことを知っているのでは?」
ぴくっ、と巨竜の表情が引きつった。
「もしもあなたが千年の過去から今に蘇ったものならば、あるいは一度、滅ぼされているのではありませんか?」
びきっ、びきっ、と音すら立てて、巨竜の
フェリエは、にっこりと笑った。
「それでは私は、そのような勇者に対して祈りましょう」
『……はん、くだらん女だ。ならばお前は俺様の餌にしてやろう。そう、丸呑みにしてやろう。一人ぐらい、腹の中に入れておくのも悪くない』
ごう、と咆哮し、大口を開けた黒竜が上から迫る。重みにて
(主よ、善き神々よ、天よ。天の意思を受けし方々よ)
今、まさに食われんとするフェリエは、誇りを持って祈った。
(ここに、闇にとらわれた、人の町があります。
天の子として正しく生きる善き人々と、
わたくしの、小さな家族。
大切な弟、マルコ。
彼らが住まう、小さく清き人の町です。
どうか、救いの御手を、お示しください。
願わくば、どうか、
わたくしたちを……たすけてください……!)
とくんっ、と、波紋が広がるように、鼓動が響き、
「やいやいやい!!」
ホールに駆け込んできた小さな人影が、黒いドラゴンの動きを止めた。
「オイラの名前はマルコ様だ! 名だたる偉業を成し遂げる、将来の勇者様だ!」
「マルコ?!」 フェリエ、驚愕。
『…なんだ、お前は』
「マルコ様だ! お前を退治して、英雄になる男だ! さあ、かかってこい! おいらと勝負だ!」
ぶつん。太い綱が切れたような音が響いた。
噛み締めた口で鳴らした黒いドラゴンは、いよいよもってぶち切れた怒りを吐き出すための咆吼を放たんと、大きく息を吸い込んで――、
カギュンッ! その頭部に、ブレイクアウトボムの直撃を受けた。
『ぎゃおぉああっ?!!』
ダメージはない。けれどその咆哮は、控えめに言っても、尻尾を踏まれた猫のものだった。
広場の端。
二階相当の高さにバックリと口を開けた、大通路の入口の前。広場を見渡せる、台座状の場所から、
「おーい。」
茶色い髪の、眼鏡をかけた少年が、手にしたラケット状のものを放り捨て、
「ばーか。」
響かせた。あまり
黒いドラゴンは、数秒、かたまって。
びぎぃっと眼球をみなぎらせ、ごぎゃー、と咆哮。身を翻した少年を追いかけていく。
そして……。
「マルコ、あなた……」フェリエは、驚きをもってマルコを見つめた。
へへっ、マルコは、軽快に笑う。
「無事でよかった。 じゃあおれ、大事な仕事があるんだ」マルコは身を
「っ、まって、マルコ!」
そこに、精強そうな冒険者たちが現れる。
めまぐるしい展開に戸惑わざるを得ないフェリエは、彼らから説明を聞く。
先程の、眼鏡をかけた少年が、勇者であるということ。
彼ら――ルミランスターは、それに助力するということ。
マルコも、戦うということ。
「ロイド様が作戦を完遂すれば、人々の魂は戻されます。
そうしたら、一箇所に集めたこの場の人々を、これで気付け。連れて外に出ます」
リーダーのクリスが取り出したものは、広範囲に効く気付け薬の噴霧器。
流れを飲み込んだフェリエは、言った。
「……では、ドラゴンが暴れたせいで、通路の中に跳ね飛ばされた人たちがいるはずです。私が通ってきた通路にも、数人いました」
「なるほど。確認しましょう」
お手伝いします。
言いかけたフェリエは、包帯の男の存在を思い出す。
はっとして周囲を見れば、その姿はどこにもない。
「あの……」
しかし、それについては心配ない、と言われる。
不安は残るが、勇者が天より直接聞いたと、言われれば信じざるを得なかった。
フェリエはしばし足を止め、いまはもう、見えない小さな弟の背中を見送った。
「……始まったようだ」
つぶやいたのはコートの男、LOW。
なにやら気分の良さそうな侍――ライドウが、それを受けて言う。
「今回、一切の手出しはしない。それでいいんだな」
「ああ。
この状況に決まりがついたら、ここを出ようか」
ライドウは、自らが大将と仰ぐ男の様子を見る。
隠しに両手をいれて、椅子に腰掛ける様子はいつもと同じもの。けれど、あの眼鏡のロイドと顔を合わせて以降、その声、仕草に、家族に向けるような物思いの色があることを、ライドウは感じていた。
「姫。……こちらへ」
「はい。LOWさま」
連れて、部屋の中に急造した牢屋へ。
「大将。例の石は、どうするんだ。回収するのか」
「いや、あれは破棄しよう」
「そうか。壊せばいいのか?」
「いいや、完全におこなったほうがいいからね」
言って、彼はゆっくりと立ち上がった。
「俺が盗ろう」
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