第13話 源田とメフィスト

 源田の言う通り裏口の扉は鍵が掛かっていなかった。そこを開けて階段を登る。


 ゆっくりと階段を上がっていく。そうしててっぺんまで来て、扉の前で立ち止まった。源田に侵入を許可されているのはここまで。部屋の中までは入ることを許されていない。


 あたしは大きな音でノックして源田の名前を呼んでやった。


「センセ!あたしですよぉ。遅くなってあいすみませんですぅ。中に入れて下さまし」


 あたしが甘ったるい声をだすと、中からドタバタと音がした。そうして直ぐに源田の返事があった。


「あーキミかい?先ほどの。いやぁ随分かかったじゃないか。心配したよ。さあ、中に入りなさい」


「ゴメンなさいセンセ。怒ってらっしゃる?」


「いやいやとんでもない。少し心配しただけさ。良いからお入りなさい。鍵はかかっていないよ」


「お優しい方。あたしってば本当にそういう言葉に弱いのよ」


「どうしたんだキミ。鍵は空いてるよ。それとも何か中に入れない理由でもあるのかい?」


 流石は神が選んだ男なのか。勘が良い奴だねどうも。


 悪魔が部屋に入る場合、その部屋の主から三回許しを得ないと中に入れないキマリになってる。理由は知らない。そういうキマリなんだ。


「ねえセンセ。後生ですから。あと一度だけ、中にお入りと、そう仰って下さいまし」


「はてな。悪魔でも招待してしまったかな。冗談さ。中へお入りなさい」


 冗談じゃないぜ。では失礼して。


 あたしは生暖かい突風を吹かせ、ドアをブチ破った。


 あまりの勢いで源田の無駄にデカい図体が尻餅をついちまうくらいだった。奴は床に座り込んだまま動けずに、あたしの方をパチクリしながら見ていた。


 あたしはたっぷりの余裕を込めて極上の笑顔で挨拶をくれてやった。


「はろうセンセ」


「や、やあ」


 最高の登場シーンに驚いた顔はしてたけど、まだあたしが人間じゃないと気が付いていないようだ。


「どうされたんですセンセ。先ほど会ったばかりじゃないですか。まるで三百年もあってない様な顔しちゃって」


「いや、なんか昨日とは雰囲気が変わったなと思ってね。キミってそんな感じの娘さんだったかな?」


「いやだわセンセったら。お忘れなのかしら。昨晩は熱帯夜ファッキンホットを過ごしたばかりじゃありませんか」


「熱い?ああ……うん?ま、確かに熱い話をしたよ。いや、ワシの熱意が伝わって良かった。それにしても何かが違うような」


「オンナは違う顔をいくつも持っているんです」


「なるほどね」


納得すんのか。


「それよりも、早く、ね?」


「ん?」


「んもう、意地悪なんですよぉ。続きを。昨日のつ・づ・き」


 あたしは産まれこの方した事がないくらにシナをつくって誘惑した。


「ああ、そうだね。じゃあ昨日の続きを始めよう」


 契約の前に親交を深めるのもいいだろ。既成事実を作っておくのもいい。悪魔と一晩過ごして、天国に行けた奴はいない。


 あたしがこの勝負の勝ちを確信した時、源田は突然にぶ厚い本を開いたかと思えば、馬鹿みたいに高いトーンの声で朗読を始めた。



「ええ、オホン。主とは、生である。主とは、また死である。主とは、常に側にいらっしゃる。主とは、遠くから見ていなっしゃる。主とは全ての終着点である。始まりでありムニャムニャ……」



「ちょ、ちょっと待ってくれ!!なんなんだ急に。センセ、何をおっ始めようってんだ!」


 あたしは化けてるのも忘れてつい、いつもの調子でやっちまった。


「何って、我が教会の聖書だよ。昨晩キミに読んであげただろ?忘れたのか?」


「え、ちょっと待ちなよセンセ。それじゃあ何かい?昨日はハッスルしたんじゃないのかい?男と女のめくるめく素敵でイヤラシイ夜は無かったってのかい?」


源田はいよいよ顔をしかめて言う。


「イヤラシイ?とんでもない!!私はキミにこの聖書を朗読してあげようとしたんだ。そしたらキミが冒頭の五分くらいで『とっとと出てけ変態』って追い出したんじゃないか」


 予想が大いに外れてる。やらかしたね。


「じゃ、じゃあなんで和具名に店に行った事をバラすぞって脅された時、何もしてないって言わなかったんだ!やましい事がないならアイツの要求をのむ必要はないだろ!」


「え?なんで和具名が出てくるんだ……?だってアイツが信者は私がそういう所に出入りしてるって聞いたら幻滅するって言うから」


「なにもしてねえんなら幻滅なんぞしねええええええ馬鹿かお前えええええ!」


 あたしは頭を抱えた。じゃあ何かい?この脂ギッシュな中年太りのスケベそうなおっさんは、あんないかにもって感じの若い女にポエムを読み聞かせしてたのか?指の一本も触れずに?


 まんまとやられた。純粋な魂ってこんなヤバいのか。


 こんなことなら和具名の邪魔なんてせず、とっとと転落人生してもらってた方が良かった。


「あークソあークソ。マジかマジかマジか」


 あたしが頭を抱えて唸っているのを見て、源田はいよいよ訝しげな目つきになっていた。


「キミ、本当に昨日の娘さんかい?なんかおかしいな」


「おかしーのはテメーの頭だよ。あーチックショーやってられるか」


「和具名の事を知ってるのも気になるけど、もっと気になるのはキミ自身だ。雰囲気というか、上手く言えないけど根本的に何かが違う気がする。今まで接してきた人たちとも何か違う。私も立場上、色々な人間と会って来たけどキミみたいな人は初めてだ」


 ここいらで潮時かもしれない。


 あたしは足で床を二回、ドンドンと鳴らす。悪魔は正体を晒す時は演出に気を配る。


 言っちまえば見栄っ張りなのさ悪魔あたしらは。


 あたしはいつもの合図で地獄からマイフレンド炎のニッキィ・ミナンジュを呼び出す。


 ニッキーは地獄産の炎だが、あたしの昔馴染ツレだ。お互い呼吸ってヤツがある。ニッキーは悪魔の演出を助ける以外に特に出来る事はないんだけど、そこ関しちゃスペシャリスト。色や形、臭いなんかまで状況に応じて多種多様な炎になってくる。


 ニッキーはいつもの様に凄まじい音を立て、真っ赤に燃え盛って背景を飾ってくれた。


 あたしはパーティドレスみたいに全身を炎で着飾り、落ち着きを払った声で物を言う。


「センセ。お気付きかもしれませんが、あたくしは昨夜、センセが説教をくれたオンナとは別の存在でございます」


「うぁあああああ、なんだキミ!燃えてるじゃないか!!あぶっ!あぶっ!」


 源田はパニクって水を探すけど、部屋中の水という水をニッキーが片っ端からカラカラにしちまう。


「ご静粛に。センセ。大丈夫でございますよ。コイツは馴染みの炎でございます。人の肉は燃やしても、あたくしの身体には火傷ひとつございませんから」


「キミは一体‥何者なんだ?」


 満を持して、あたしは名乗りをあげる。


「地獄の姫、あかつきの娘。メフィストフェレスと申します。ま、ざっくり言うと悪魔でございますよ。ア・ク・マ」


「なんてこった……悪魔……だと……」


続く

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