第7話 源田一の苦悩
酒場を後にしたあたしは連中のいう
みすぼらしい変身を解いて、美しい姿に戻る。もちろん透明化を施して。
アホの一匹が言っていた「夜ごと
あたしは外壁をよじ登り、てっぺんの十字架がある場所にたどり着く。いっておくが、悪魔は十字架なんて恐れない。あんなもの、ただの飾りです。
てっぺんで耳を澄ましていると、なにやらぶつぶつとダミ声が聞こえてきた。これが噂の
十字架のすぐ真下には天窓があって、そこから中の様子が伺えた。思った通り、例の豚のオッさんが忙しなく叫び声をあげていた。
で、以下はその独り言の抜粋なんだけど、いちおう後学のためにアンタらも読んでおくといいよ。
本当に役に立つかって?さてね。どうだろう。娼婦が寝床で話す思い出話よりは退屈かもしれないねえ。
以下、源田一こと天空教マックスオメガ教祖の独り言。
「ワシは、医学や哲学、宗教を学んだ。あらゆる学問に手を出した!」
「怪しげな術にだって手を出した!」
「密教、陰陽の術、
「そうすれば真理が理解できると思った」
「万物の創造主たる意志との対話ができると思った」
「それがどうだ。この身は地上に縛られている」
「ここまで歳を重ねても何一つ賢くなっちゃいない!」
「無知な信者どもに崇められてきたが、その結果さとったことと言えば、己が何一つ解っていないといということだけだ!」
「広い世界に行きたい。宇宙の真理を知りたい」
「ここから逃げ出したい」
それから奴は突然、一枚の絵を取り出した。
「これは随分と禍々しい絵だ」
「名も無き狂人が描いた鬼の絵だ」
「だが鬼気迫る絵ではないか」
「おい鬼よ」
「もしもお前に魂が宿っているなら応えよ」
「我が問いに応えよ」
そうやって今度は何かブツブツと呪文を唱え出した。もちろんインチキ魔術だろう。なんの力もない。
突然、源田は机から何やらつまんで取り出した。それは一枚の小さな紙片。そこにはリンゴの絵が書いてあった。奴はそれを舌にのせると口を閉じて、暫く絵に魅入っていた。素人が見ただけならよく解らん行為だがあたしにはすぐピンときたね。
あの野郎は
「マルス」
いわゆるドラッグの一種なんだけどね。
マルスってのは地獄での呼び名で、こっちじゃブルーヘブンとかパープルヘイズとか色んな呼び方がある。有名なとこだとLSDって名前かな。
幻覚作用に優れていて、床がグニャグニャしたり幻聴なんかも聞こえたりする。
ずいぶん昔に人間の間で流行して、カルト宗教なんかもよく儀式に使ってたっけ。
え?どうして人間のドラッグなんかを悪魔が知ってるのかって?
おいおい。勘弁してくれよ。もしかして世界に
冗談じゃない。
数々の魅惑的な体験。その足賃として払う数多の代償。そして、一片の骨になるまで中毒者の命を蝕む禁断症状。この絶妙なバランスはまさに神の、いいや……悪魔の
いや、ドラッグ自体を精製してるわけじゃない。あたしらはその物質にどんな効果があって、どのくらい中毒性があるか。そういう根本的な事を決めてるんだ。
そしてそれらがいかにドラマティックに人間に見出されるかも演出している。有名なドラッグはいつも偶然に発見されているだろ?何かの治療薬を作ろうとした副産物だったり。
いつもたまたまだ。でもそんなわけない。人間は偶然発見したと思っているがあれは全部悪魔が書いた脚本によるもんなのさ。
悪魔だって大変なんだぜ?こいつは頭のキレる一部の上級悪魔にしかできない仕事だ。
なんせ、むやみにキマって中毒性が高けりゃいいってもんでもない。あんまり強烈過ぎてもショックで死んじまう。それじゃダメだ。適度にキマって、適度に中毒性があって、徐々に堕落する。これが理想の
世界の蔓延させるってのは難しいことなんだ。
ちなみにマルスは何を隠そうあたしが創った可愛い我が子だ。
LSDって名前の方が通っているらしいがあたしはあんまり好きじゃない。業務的だし、記号みたいでさ。
でもやっぱりマルスって名前が好き。名前に関してこんな話がある。
まだちゃんと地獄での呼び名が無かった頃。アレが人間に使われはじめると、人々が凄まじい勢いで堕落した。アレは世界的に大流行したんだ。
その姿を見て、メチャクチャに怒った神がこう言ったらしい。
「人間め。また追放されたいのか」と。
本当かどうかは解らない。だがあたしはこれを地獄で聞いた時、腹を抱えて笑ったもんだ。
だからあたしはこの出来の良い我が子に素敵な名前をつけてやることにした。身内の大手柄にあやかってね。
それが
解るだろ?ホラ。アダムとイヴ。蛇とリンゴ。な?
さて、話を源田猊下に戻そう。
奴は暫く鬼の絵とやらに魅入っていたが長い時間をかけて、徐々にトリップし始めた。目を見れば解る。発情期の犬みたいな目つきになってるからな。
しかしこんなことがあって、あたしは少しだがあの男が気に入っちまった。奴は神の下僕でありながら、愛しい我が子の中毒者でもあったわけだ。
悪魔は身内に甘いんだ。
「うおおおおおじめんがぁあああ」とか
「うるさああいいいいいいいいい」とか
「んんぎぼぢぃぃぃぃぃぃ」とかとか
そんな風にわめき続ける奴をあたしは暖かい眼でしばらく見守っていた。いやさ、地上での
いい
こんな時間が続けば良い。
そんな風に思っていた時、邪魔が入った。
続く
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