第3話 天の査察官

「おいでなすったな」


「あーあ胸焼けしてきた」


 周りの同胞達も皆手を止めて一斉に顔をしかめる。あのラッパはいつ聞いても嫌な音だ。まるで腹に一発良いのを喰らったみたいな気分になる。


「悪魔の方々。一同静粛に」


「我々は天界所属の浄化作業査察官である」


 男の様で女のようでもある。はっきりしないあのトーン。紛れもなく奴らだ。


「諸兄方は今一度その手を止めてこちらに注目していただきたい」


天使マザーファッカーのおでましだ」


 眩しい。目が眩む。あたしら悪魔は光を好む方じゃないがその理由の一つはこれにある。奴らがこれみよがしに放つ光を直視すると低級な悪魔はそれだけで溶けちまう程だ。太陽とは別の威圧的な光り。だから嫌いだ。


 光りを纏った奴らはあの白く輝く羽根をバサバサ鳥みたいにはばたかせて降りてきた。


「繰り返します。これより浄化行為への査察を行います。速やかに手を止めて注目なさい」


 あたしは奴らの姿を一瞥すると直ぐさま気分が悪くなってきた。何故かは知らないが上級の悪魔になればなるほどこの怒りにも似た衝動は強くなるらしい。


 あたしは唇を噛み締めワナワナと肩を震わせる。


子猫ケイティ。気をしっかり持て」


 ベルちゃんが大きな毛むくじゃらの腕であたしの肩を抱きしめてくれる。


「わかってる。わかってるよベルちゃん」


あたしはなるたけ冷静な風を装って応える。今、奴らとケンカする訳にはいかないのだ。


 天使と悪魔はこの世界に産まれたときから仲が悪い。実に癪な話だが、先に産まれたのは天使だった。その後悪魔が産まれた。そして悪魔は、創造主である神の意志にそぐわない生き物としてこの世から消されそうになった。理由?そんなの知るもんか。神の考えてる事なんて、誰も知りゃしない。とにかく神は悪魔を理由もなく排除しようとした。しかし神の右腕とも言うべきある一人の天使がその意見に反対した。


「万物を愛する神なればこそ、その慈悲をもって悪魔を救われよ」だと。


 神は怒った。大いにね。自分に意見するヤツが存在する事にお怒りになった。そしてその天使と賛同する者共々、悪魔達を天界から地下深く叩き堕とした。神に反旗を翻した最初の天使は悪魔の王となって彼らを率い、数千年に及んで天使と戦争を繰り広げた。そしてつい最近、ようやく双方に疲れと飽きがやってきた。


 そらそうだ。最初の戦争から三千年経っている。こんな不毛な戦いはない。ひとまず、お互いに譲歩し合うという事で暫く休戦することにした。その一つが「双方による浄化行為の査察」すなわち拷問や説教の検閲だ。


 人間の魂は死んでから一度、地獄なり天国なりに行きそこであらゆるものを削ぎ落とす。天国なら神の光に抱かれ天使たちの説教を聴き、春の午後にうたた寝をしてような気分で浄化される。


 なぜあたしが知っているか。見てるからな。


 地獄ではさっきも説明した通りの拷問が作業になる。そのどちらも本質は同じだ。これらは「魂の浄化」と言われている。双方でキレイに洗濯された魂は転生し再び地上に生を受ける。これの繰り返し。その査察を互いに行っている。


 でも今は天国への査察はない。なんで査察されるのが地獄側だけなのかって?最初は天国側にも悪魔の査察官が何回か行ってたんだ。でもすぐ行かなくなった。理由は簡単。狂いそうなくらいクソな場所だったからだ。それだけ。以来天国への査察はなくなった。ちなみにあたしはその査察官の一人で、廃止の意見を真っ先にあげた悪魔でもある。


 まあ兎に角、今は休戦状態。ケンカは御法度だ。


 あたしは全身を駆け回る虫酸を我慢してとびきりの笑顔で応対する。


「クソの国のお査察官さま。調子はどうですか?」


「おやおや。これはこれは悪魔の元査察官殿。ご丁寧な対応、恐れ入ります」


「いえいえ。ド田舎からおいでになられてさぞお疲れでしょう。」


「ありがとうございます。ですがそのような言葉は無用です」


「はあ?」


 あたしは嫌な予感がしていた。こっちが我慢していても、むこうがしてるとは限らない。


「無理はお止めになった方が良い。淫売は所詮どうしたって淫売だ。神に許しを請わぬ者はどのように取り繕っていても下種な臭いは拭えない。あなたが口を開く度、正直鼻が曲がりそうだ」


「てめえ・・・」


 あたしが今にも殴り掛かろうとした瞬間、後ろからグッと肩を掴まれた。


「喧嘩売るってんなら買ってやるぜ。だがな、こいつはてめえが考えてる程安い喧嘩じゃねえ。おう。三下チンピラ天使風情が図に乗るなよ」


 ベルちゃんが鋭い目つきで啖呵を切っている。いよっ!ベルちゃん!悪魔の鏡!


「これはこれは。誰かと思えば使のベリアル殿。お目にかかれて光栄です」


 ベルちゃんは親父の弟であり、最初の頃に地獄に堕ちた天使の一人なのだ。


「いきなり喧嘩腰でくるたぁてめえらの頭も少しは陽気になったじゃねえか」


「ふん。貴様らが天国の査察を拒んだ様に我々だってこんなおぞましい場所に来たくはない」


「なら来なきゃいいだろ。マヌケだなてめえら」


「間抜けは貴様の方だ。我々が見張っていなければ貴様らは良い様に人間の魂を拷問し続けるだろう」


「そりゃあねえ」


 あたし達は顔を見合わせる。親が留守なら悪ガキ共は家中を遊び道具にしてぶっ壊す。悪魔も悪餓鬼パンクスも同じようなもんだ。


「貴様らはやり過ぎだ。そんな事をしたらいずれ魂が消滅してしまう。転生する魂の量が減ったら、世界のバランスが崩れる。解ったか間抜けなメス悪魔くん」


「てめえ。涼しい顔して随分と誘ってる口ぶりだな。今すぐケツにブチ込んで欲しいのか?」


 あたしは敵意を剥き出しにして身構える。コイツはやる気だ。望むとこだ。


「近頃は悪魔と口喧嘩が絶えなくてね。下品な言葉を随分学ばせてもらったんだ。役に立ったよ。悪魔も存在する意味があって良かったな。でもやっぱり臭うな。さっさと土に還れよ」


「災いは口から入ってケツから出てくんだ。さあてめえのケツを出せよ。ケリ入れてもっかい口ん中にもどしてやる」


 あたし達が今にもおっぱじめようしていたその時、頭の上からすさまじく不快な歌声が響いてきた。あんまり不愉快だったから、ここに全部は書き残さない。解るだろ?書くのも嫌になるくらい、胸焼けする程の悪趣味な歌だ。


続く

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